馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

加藤諦三、下重暁子、自分を見つけること


自分の意見を、
みんながそう言っている、
と言い換える。
        みんなの意見を、
        自分はそう思う、
        と思い込む。
自分の身の周りで、
起きた出来事を、
広く世の中に当てはめる。
        その時の自分に、
        起きた感情を、
        誰でも同じと決めつける。
僕が言うのも、
どうかと思うけれど、
はなはだ失礼ながら、
        下重暁子は、
        自分を見失っていて、
        論理が構築できていない。

読み手の感情を煽って、
共感を得ようとしても、
ことごとく失敗している。
        下重暁子には、
        おそらく、もう誰もいないから。
        自分しかいないから。
誰もいないところで、
独りで立つのは、
自立ではなく孤立だろう。
        世の中にいるのは、自分と、
        自分と同質の他人だけ。
        その中で自分を見つけることは、
とても容易であり、
かつ、とても困難である。
不可能なくらいに。

        家族に問題があるのなら、
        家族を否定すればいい。
        家族を放棄すればいい。
下重暁子の方法は簡単で、
問いを棄てれば、
答はいらなくなる。
        答を求めない人に、
        論理的な構築力など、
        備わるわけもなく、
下重暁子の文章には、
否定と、放棄と、
自己正当化のほかには何もない。
        下重暁子にとっては、
        自分がない人の代表のような、
        僕が言うのも、

        どうかと思うけれど。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年04月22日 12:07 |
  2. 反加藤諦三
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

コメント

論理的というところが多くの人はつまづく。
僕も、クリニックで、「論理的に考えると」なんて言うから、他の人が引っ込んじゃう。
人と人を繋げるのは、第一に「感情」であって、「論理」じゃないからね〜。
しかし、自閉スペクトラム症、ないしは、アスペルガー症候群の人は、そこが分からない。で、孤立しちゃう。
中島義道の「反 絆論」は、要は、世間的に流行っている「絆」が受け入れられない人は、自分達で「絆」を作ればいいじゃないかと言っている。
中島も、それを夢見て、「無用塾」を作ったけれど、精神異常者の溜まり場になってしまったので、改めて、金を取って、「哲学塾 カント」を開いたそうですがね〜。
下重さんの本は読んでないので、ちょっと違う角度で。
  1. 2017/04/22(土) 22:47:22 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

ディスレクシアや,生物的な意味で認「知」的能力が高い人達,数字的IQが高い自閉症のビョーキを正しくつかむことができないのは,そもそもの日本語の不自由さ,言語自体の理解の未熟さにあると思いますね。

ジツは世界は案外日常的に論理的主体的な言語生活をしているということに,日本人は自覚がない,うとい,にもかかわらずあいまいに「わかっていること」にしてしまっている。

厳密,論理的,と言うことが日常生活では普通に浸透しているその他大勢の国にくらべて
日本の心理学や精神病の臨床はさぞかしタイヘンでしょうネ。

感情を傷つけないために説明を論理的にしようとしても,そういう日本語が・・・・そもそもない,共通の理解がない,というのはw

口を挟んでシツレイしましたm(__)m
  1. 2017/04/23(日) 18:56:01 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

孤独の作法

こんにちは(^_^)/

青梗菜さんに拍手で笑って流していただき気持ちが軽くなりました。
ありがとうございます^^

下重暁子さんの著書は孤独の作法というのだけ読んだことがあります。
旦那さんの話書いていて孤独?とかツッコミどころ満載でした。
嫌な印象を受けたのは有名人との交際ばかり書いてあったところです。
ただの自慢話かい!?と感じてしまいました(笑)

その頃よく本を読んでいた時期で思ったのは文章力と内容は別物だということ。
下重さんの文章は秀逸なので読みやすいし引き込まれるわけですが、
内容が惹かれただけ良いかと言えば違うかなと思いました。
  1. 2017/04/23(日) 23:01:53 |
  2. URL |
  3. 在嶺結為 #roOum4UQ
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>論理的というところが多くの人はつまづく。
論理的、なんてことを改めて言われても、
どうしていいのか途方に暮れるよ~w。

>僕も、クリニックで、「論理的に考えると」なんて言うから、他の人が引っ込んじゃう。
僕なら、今までの話は、論理的ではない、という批判と捉えるよw。

>人と人を繋げるのは、第一に「感情」であって、「論理」じゃないからね〜。
僕たちの知覚と行為は、いちいち論理的整合性なんてものにアクセスしませんから。

>中島義道の「反 絆論」は、要は、世間的に流行っている「絆」が受け入れられない人は、自分達で「絆」を作ればいいじゃないかと言っている。
絆を受容しないパターンは、
あるいは、自分たちで作る絆のパターンは、
いくつもあると思うけどな。
よくある絆で括れなかった者たちを、
つまり、絆の補集合を、
絆で塗りつぶそうとしているのか?
せっかく絆から逃げてきたのに、
迷惑な話だなぁ。
  1. 2017/04/24(月) 11:21:42 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

>ジツは世界は案外日常的に論理的主体的な言語生活をしているということに,日本人は自覚がない,うとい,にもかかわらずあいまいに「わかっていること」にしてしまっている。
疎い、ですよね。
3つ、思いつきました。
僕たちは、うなぎ文、こんにゃく文のような端折り方を許容します。
「ご注文をお伺いします」
「私はうなぎです」―― I am an eel.
「私はこんにゃく。こんにゃくは太らない」―― I am a konjac. Konjac doesn't get fat.
欠落でも、空疎でも、つっこみは入れない。

続いて、北島三郎、
    俺の目を見ろ なんにもいうな
    男同士の 腹のうち
    ひとりぐらいは こういう馬鹿が
    いなきゃ世間の 目はさめぬ

最後に、斉藤和義、
    うだうだ しのごの みなまで言うな
    それでも何かが 足りないような
    議論は 外人さんに任せて
    日本人だろ 目で話したまえ
  1. 2017/04/24(月) 13:10:01 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

結為さん、こんにちは。

>青梗菜さんに拍手で笑って流していただき気持ちが軽くなりました。
ふふふ、優しくないな、青梗菜は。
ってことは、結為さんは、優しい。
真に受けないぞ、青梗菜はw。

>ただの自慢話かい!?と感じてしまいました(笑)
ただの自慢話と思われることが解らないくらいに、
他人のことを考えられない人なんだな。

>その頃よく本を読んでいた時期で思ったのは文章力と内容は別物だということ。
文章力と内容は、たいてい揃ってくるのになぁ。
根っから独善的な人なんだな。
  1. 2017/04/24(月) 14:41:29 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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