馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

八日目の蟬 1/x


小説が好んで取り上げる主題に、
家族や、親子や、とりわけ母と子があるけれど。

        乱暴に二分して、『晴天の迷いクジラ』では、
        母と子は、置き換え可能なものとして、
対して、『八日目の蟬』では、
替えがきかないものとして描かれる。

        あるいは、子の側からは、置き換えが可能で、
        母の側からは、それが不可能なのかもしれない。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年02月14日 12:51 |
  2. 感想文
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:11

コメント

あゝ、ここ1カ月ほど、うつ気味で寝て過ごしています。
お金使わないのは確かだけど、寝てて、時間を無駄に過ごすというのもー。
母の問題か。
端的に僕の結論を言えば、産みの母であろうとなかろうと、この世界での自分の存在を受け止めてくれた人こそが本当の意味での母。
戸籍上の親子に拘ることないとの考えです。
  1. 2017/02/14(火) 22:31:53 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

うつ気味ですか~。
僕がうつ気味と申告するのとは、
まるで違うことは分かります。

>戸籍上の親子に拘ることないとの考えです。
僕は産んでくれた母親の記憶がなくて、
拘ることもないし、拘れないのよね。
どうでもいいから、いいのですけどw。

みんなが共に大切にしている価値って、
もう家族とか親子とか、
そんなくらいしか残ってないよね。
それらにしたって、流行りの歌みたいに、
薄っぺらになってるなぁ。
  1. 2017/02/14(火) 23:20:03 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、こんばんは!!^^


        あるいは、子の側からは、置き換えが可能で、
 >       母の側からは、それが不可能なのかもしれない。だとおもいますか?(質問ではあり(ry)m(__;m

P.S.(!)(蛇足) 「晴天の迷いクジラ」は5頁目の4行目から、同ページ末尾まで進みました。ーー;
  1. 2017/02/16(木) 00:11:17 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

僕らの時代、「尊敬する人は両親」というと、「親は、尊敬の対象ではなく、乗り越えるもの」と言われたけど、今の時代は「友達みたいな両親」
どう思います?
ヤマアラシのジレンマ、つかず離れず、は古いのか。
  1. 2017/02/16(木) 00:11:32 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

「子供は柔軟だから」を充填いたしたいのでございます、「だと思いますか?」の前に。(倒置法)m(__;mモウネルシ
  1. 2017/02/16(木) 00:19:08 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

親が子どもを愛するようにできているのは、
DNAに組み込まれているからだけど、
DNAに組み込まれていることは、
美しいものとしてとらえるのが、
自然でスムーズでしょうね。
共通の認識って、必要ですよね。
なんでもかんでも、人それぞれだと、
混乱するものね。
  1. 2017/02/16(木) 01:04:28 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

分かんないです。

>(質問ではあり(ry)m(__;m
助かります。
考えると、非常に疲れますw。
  1. 2017/02/16(木) 18:08:24 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>僕らの時代、「尊敬する人は両親」というと、「親は、尊敬の対象ではなく、乗り越えるもの」と言われたけど、
尊敬する人は誰か、と訊かれるのは、子供ですよね。
大人が、「尊敬する人は両親」と答えても、「尊敬の対象ではない」なんて言い返されない。
ってことは、子供が言うことを、子供が言うって理由で否定する、
くだらない大人どもがいた時代なんだな~。

「尊敬する人は両親」と答えるとき、
子供は親を乗り越える足掛かりを見つけたのではないかな。
視野の狭さでも、優等生的な回答でもなく。
それとも、尊敬できない人を乗り越える意味があるとでも?

>今の時代は「友達みたいな両親」
うん、友達になりたいね。
友達にもなれないやつらが、
夫婦とか親子とか恋人とかになろうとする、
そんなの最初から無理だわw。

僕は、難しいことなんて考えられない。
単純で、正直にしか考えられないよっw。
  1. 2017/02/16(木) 18:09:18 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

>共通の認識って、必要ですよね。
ふつう、ってやつね。
ふつう、は最強です。

子供を愛することができずに苦しんでいる母親とか、
母親を愛することができずに苦しんでいる子供とか、
なんとか苦しさから逃れたとしても、
最後に残るのは、
ふつうの感情を持った人になりたかったな、
ってことだと思うのです。

単純で、正直に言うとw。
  1. 2017/02/16(木) 18:10:01 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、こんばんは!!^^

>        母と子は、置き換え可能なものとして、
「置き換え」の意味は、(子Aが母Bに)&(母Bが子Aに)なる(置き換わる)というふうに認識しましたが、合ってますか?

※本を読んでれば、訊かなくてもわかるのかも知れぬが。m(__;m
  1. 2017/02/17(金) 22:10:05 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

なるほど~。
母と子が置き換え可能なとき、
最もシンプルな方法は、
母と子を入れ替えればいいw。
SFっぽい話になるけど、リバースさせる。

子Aが母Bに虐待されて育ったとき、
子Aに虐待が連鎖することはある。
スライドする感じ。

『晴天の迷いクジラ』は、
母と子の関係に迷ったC、D、Eが、
疑似家族になってクジラを見に行く話。
『八日目の蟬』は、
赤ん坊を連れ去って育てる話。
読み終わって、
家族を自分の言葉で言い表してみる。
できそうで、できない。
  1. 2017/02/18(土) 11:12:18 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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