馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

駄洒落仮説 ―― 駄洒落の身体 (`ω´)キリッ 3/3


オヤジといえば、
ハゲで、メタボで、ダサくて、
小汚くて、くさい。
自己管理の失敗例を、
もれなく取り揃えている。

人は外見で判断できないが、それは、
人は外見で判断できることの逆説に過ぎない。
女子なら、誰もが、
人は外見で判断されることを知っている。
身体は、人格の表れである。

自分の身体は、
他人からの評価や価値の対象であり、
自己評価は、他人に依存する。
ヘア、メイク、ファッションとともに、
それらは、社会的な記号である。

駄洒落は、自分の心も身体も、
他人に価値を認めてもらうことが、
期待できないオヤジから発せられる。
社会的な記号性を失った疎外感、
それは、そのまま駄洒落となって表れ、

駄洒落は、社会的な記号性を失い、
他人から疎外されることになる。
しかし、その意識がないゆえに、
オヤジは駄洒落を言い続け、
そして、それゆえに、また、

駄洒落が疎外されることになる。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年01月21日 22:03 |
  2. おもしろさ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

社会的な疎外感が駄洒落か、面白いと思いますが、ちょっと反論を。
小田島雄司先生に教養課程で英語を習ったけど、あの人は、芝居の話と駄洒落しか言わない。「欲望という名の電車」を読んだけど、本当脱線ばかりして、駄洒落を言い続けるんだよなぁ〜。
誰も笑わないけどね〜。
一回当たると、次はパス出来たり。
To be or not to be,that is the problem,だっけ、これをどう訳すか、小田島さんは何て訳したっけ、ともかく、シェイクスピアの翻訳も小田島訳は軽い。
  1. 2017/01/21(土) 22:33:48 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

オヤジの、身体の、疎外感。
女子を対極に据えたときは、
とりあえず、こんな感じで。

でも、なんか違うよね~。
認知を認知する、
つまり自分が発しようとする駄洒落が、
客観的におもしろいかどうかを、
認知する能力に欠けている。
それは、他者の不在というか、
他者としての女子の不在。
また、いつか考えますw。
  1. 2017/01/21(土) 22:59:34 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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