馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

考える、について (`ω´)キリッ 3/x


考えて書いているのに、
何も言っていない文章に、
なってしまうときがある。
例えば ――、
考える、ためには、

知ること、学ぶことが必要である。

などと、書き出される文章には、
僕は、少なからず落胆を感じてしまう。
たぶん、考えることではなく、
考えるために必要なことを考えて、
考えることには戻ってこない。

考えることが得意な、
頭のいい人たち、
つまり、学業に優れた人たちは、
当然のことながら、
総じて、よく知り、よく学んでいる。

しかし、考えることが得意なことと、
頭がいいことは、同義ではない。
考えることが得意なことと、
学業に優れていることも、
決して、地続きではない。

そして、よく知り、よく学ぶことは、
却って、考えることを阻害する。
誰かが考えた、考える、についての考察を、
正解として取り込めば、
考える、ということが始まらない。

考える、について考えることは、
何のために考えるのかが明確でなく、
いわば、無益な問いである。
機会費用でいえば、考えるだけ損であり、
もっと有益なことを考えたほうがいい。

考えること自体を、考える必要はなく、
ふつうは、一生に一度も考えない。
考える必要がないことに対して、
知ること、学ぶことが必要であるとは、
どういう矛盾だろうか。

知ること、学ぶことは、
頭がよくなければできない。
しかし、その頭のよさは、
理解する頭のよさであり、
自分で考える頭のよさではない。

考える、について考える人は、
その無益な問いに対して、
自分の頭がよくても、悪くても、
自分で考え、自分で答えるしかないことを、
了解しているから問いが立つ。

誰かにとっての、考える、ではなく、
自分にとっての、考える、である。
頭のいい誰か、ではなく、
たいして頭のよくない自分にとっての、
考える、ということである。

考える、ことは、
考えろ、と命じられても始まらないし、
考えるな、と禁じられても止まらない。
いくら考えようとしても、
できることではなく、

考えようとしなくても、
してしまうことである。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年12月15日 12:51 |
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  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

青梗菜さん、こんにちは!!^^

>考える、について考えることは、
>何のために考えるのかが明確でなく、
>いわば、無益な問いである。
>機会費用でいえば、考えるだけ損であり、
>もっと有益なことを考えたほうがいい。
中2の頃?、「私はどこから来たのか?」という疑問文に接した。布団の中で進化論?方向への妄想を考え?続けていた。だが、それをいやいややめて受験勉強に専念することに決めたことを、思い出した。後悔度はハーフハーフなのでございます。m(__;m
  1. 2016/12/16(金) 14:49:26 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>中2の頃?、「私はどこから来たのか?」という疑問文に接した。
算数なら、5つ前のバス停から。
数学なら、座標(x2,y3)から、辺BCの中心から。
英語なら、Where did I come from?
倫理なら、気がつけば、私はこの世界に投げ出されていた。

>布団の中で進化論?方向への妄想を考え?続けていた。
あ、理科ですか~。
  1. 2016/12/16(金) 20:15:44 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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