馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

逃げ切れない 3/x


詩に登場するのは、
私と、小鳥と、鈴なのに、
他の人たちを持ち出して、
別の何かを語ろうとする発想には、
必ず、嘘が紛れ込む。

他人を、小鳥や鈴くらいに扱う、
そんな発想なら僕にも分かる。
その是非はともかくとして、
小鳥や鈴に引きずられて、
他人が出てきた理由は分かる。

「みんなちがって、みんないい」、
おそらく、みんなもそう思っているし、
僕もそう思っている。
しかし、おそらく、自分については、
今のままではよくないと思っている。

みんなと呼ばれる各自が、
今の自分をよくないと思っているとしたなら、
「みんなちがって、みんないい」、
それは、直ちに破綻する。
論理的には、崩れてしまう。

個性を尊重する、などと言いながら、
個性の主体が見えていないのだろう。
そして、この詩を、
書き手の個性を尊重して読むことも、
できなくなっているのだろう。

僕は、金子みすゞに沿って読む。
余計なものは、何も足さない。


        私が両手をひろげても、
        お空はちっとも飛べないが、
        飛べる小鳥は私のやうに、
        地面(じべた)を速くは走れない。

        私がからだをゆすっても、
        きれいな音は出ないけど、
        あの鳴る鈴は私のやうに、
        たくさんな唄は知らないよ。

        鈴と、小鳥と、それから私、
        みんなちがって、みんないい。

        ―― 「私と小鳥と鈴と」/金子みすゞ



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年12月09日 12:53 |
  2. 反スピ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8

コメント

みんなちがって、みんないい
なんてところには、たどり着く気がしないです。
きもいやつはきもい。
鈴はうるさい。
そんな私は、よくはないけど、
いてもいい、とは思います。
みんなちがって、みんないてもいい
ならわかります。
  1. 2016/12/09(金) 19:54:10 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

みんなちがっているけれど、どこか本質的に共通したところはあると、みすゞも考えていたはず。
そうでなければ「こだまでせうか、いえ誰でも」とは書けなかったはず。
要は、誰でもこだまできる、ということですから、人に対する優しさ、思いやりは、誰にも、備わっていた。と、みすゞも考えていたはずだ。
それが、おそらく、自然とも結びつく。
優しい倫理を、詩にして説くみすゞ、相田みつを、と正反対のように思うけど、みつを美術館では、みすゞとみつを、なんていう展覧会まで開催したのよ。ふざけるな!
  1. 2016/12/09(金) 20:16:16 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

表現されたものをこう読みなさいとか、こう感じなさいとか、こう受け取りなさいってのは、
書いた本人ではなく誰かが言う嘘っぱちで、
普通は私はこう感じました程度にとどまる。

普段の言葉でさえ空間に放り投げたら、
あとはどうなろうと仕方がない。
その仕方がないという部分に対して責任がある。
言い間違いに自分で気付けばあやまればいいし、
誰かの指摘に反論があればすればいい。

難しいのは、
ある狙いをもった表現と思えるものに出会った時。
それを自分だけが感じているのか、
他の誰かも感じているのか、少し気になる。

  1. 2016/12/09(金) 21:37:53 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

>鈴はうるさい。
はははw、鈴はいいとしてもらわないと。
そこから崩されるのは、
金子みすゞも僕も困るw。

>みんなちがって、みんないい
>なんてところには、たどり着く気がしないです。
みんなちがって、みんないい、
ってときは、いい悪いでは違わない、ってことになるから、
結局、みんなあんまり違わない、ってときですね。

>みんなちがって、みんないてもいい
みんなちがって、みんないてもいいけど、
いてほしくないやつもいるなぁw。
  1. 2016/12/09(金) 22:39:38 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>みんなちがっているけれど、どこか本質的に共通したところはあると、みすゞも考えていたはず。
僕は、小ささと弱さを感じるなぁ。
与えられた、役割みたいなものも。

>優しい倫理を、詩にして説くみすゞ、相田みつを、と正反対のように思うけど、みつを美術館では、みすゞとみつを、なんていう展覧会まで開催したのよ。ふざけるな!
はははw、さすが、相田一人館長、
キティやけろっぴとの合作よりもひどい。
相田みつをは、ぬるくて、自分に甘い。
金子みすゞのほうが、自分につらく当たるんだわ。
  1. 2016/12/09(金) 22:40:48 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

まきがいさん、こんにちは。

>表現されたものをこう読みなさいとか、こう感じなさいとか、こう受け取りなさいってのは、
>書いた本人ではなく誰かが言う嘘っぱちで、
>普通は私はこう感じました程度にとどまる。
音楽や、絵画や、文学は、
こんなふうに感じるのが正しいと、
いちおうの正解のようなものがありますね。
そして、作品も正解に収まるものが多くなる。
無理して正解からはみ出したものは、
わざとらしいだけ。

>難しいのは、
>ある狙いをもった表現と思えるものに出会った時。
>それを自分だけが感じているのか、
>他の誰かも感じているのか、少し気になる。
優れた作品は、誰かが言う正解には収まらないし、
ありきたりな正解を言うやつらを馬鹿にして、
自分で正解を見つけるように誘いかけます。

音楽や、絵画や、文学は、
それらを通した作者の感情で、
作者の感情に同意できれば、
それは、その人にとってはよい作品になると思います。
相田みつをの、ぬるさと自分への甘さに共感できれば、
観る人は、自分が心優しい善人であることを、
疑わないでしょう。
共犯ですわw。
  1. 2016/12/09(金) 22:43:19 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、おはようございます!!^^

青梗菜さんが、金子みすゞさんの 「私と小鳥と鈴と」の最後の1行にひっかかるものを感じているのだと理解しました、さっき。「(ry、みんないい。」の「みんな」には悪代官とかも含まれることになりますから、この詩は偽?であるという解釈が可能だと思いました。たった1行のせいなので、これはツメが甘いということですか?m(__;m
  1. 2016/12/10(土) 10:11:27 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>みんないい。」の「みんな」には悪代官とかも含まれることになりますから、この詩は偽?であるという解釈が可能だと思いました。たった1行のせいなので、これはツメが甘いということですか?m(__;m
はい、「みんなちがって、みんないい」と言うためには、
悪代官は、積極的に含まなければなりません。
逆に、良い人は、良い人というだけで「みんないい」に含まれるので、
無視して構いません。
そして、「みんないい」と思っていない人も、
「みんないい」として認めなければなりません。
逆に、「みんないい」と思っている人は、
放っておいても「みんないい」のですから、
無視して構いません。
結果としては、良くない人と、
「みんないい」と思っていない人だけを、
意図的に「みんないい」と認めることになります。
  1. 2016/12/10(土) 12:07:02 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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