馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

好き嫌いと、善悪、幸不幸、について 2/x


好き嫌いは、好き嫌い。
善悪にも、幸不幸にも、
どこにも着地させないで、
宙に浮かべるもの。

考えるくせのある人は、
それらを結ばない。
考えることは、もつれさせないこと。
考えることは、解(ほど)くこと。

感情は、自分のものとしか、
言いようがないけれど、
考えずにはいられないのは、
きっと他人の仕業だと思う。

多くの視点を持つことは、
どれだけたくさんの他人を、
自分の中に棲まわせているか、
それにかかっている。

他人が棲んでいなければ、
思考はできないし、おそらく、
考える必要性も感じない。
きっと、考えることの、

意味さえ違ってくるだろう。



    161030c.jpg
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自由に考えるなんて、
考えない人の台詞だと思う。
自由なんて枕詞がつけられる思考は、
すべて思考停止だと思っている。

思考は、自分の中の他人に対する、
ぎりぎりの説得である。
そこに、自由を感じるのなら、
それは、自由な思考ではなく、

思考の不自由である。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年10月31日 22:40 |
  2. 好き嫌い
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8

コメント

自分に正直でありたいのですが、
どれが自分の正直な考え方なのか、が、
わからないわけです。

だから、どうわからないか、とか、
こうも思うし、こうも思う、というそのぜんぶが、
私の正直なところ、なのであって、
それを、言葉にできるレベルまで落とし込む作業が、
私の考え事の大半を占めているようです。
人に伝えなければならないときは、
無理やり、その中でもいちばん有力そうなものを選びますけど、
それはぜんぶじゃないから、嘘が混ざっている。

私の正直な気持ちはこうだ!と、
即座に1個にまとめられる人は羨ましいですけど。
正しいんでしょうし。
いいなぁ、正しくて、って感じ。
  1. 2016/10/31(月) 23:03:40 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

自由を感じるとき、それは、どのようなときか?
考えてみる…。
楽しいとき、自由を感じるのだと思う。
考えているとき、楽しいのなら
自由を感じる。
楽しくないなら、不自由。

快と不快。
不自由な思考は不快な思考。
行き着くところは
『他者は不快』ということ。
自分の中にいる不快な他者を説得する試みはスピが試行錯誤している。
これは不快を快にすり替える思考。
その行き止まりは、端的に言えば
『不快な思いを私に経験させてくれて、ありがとう』

なんだこりゃ(笑)
これでいいのだろうか(笑)
などと考えてしまいます♪

  1. 2016/11/01(火) 04:28:11 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

何十年か生きていれば自分の内側は他人の思考だらけ。
孫悟空が釈迦の掌中から出られなかったように、
人は自分の狭い枠の中で思考という雑念を弄んでいるだけ。

ところが、その狭い枠の中には宇宙があるとする思考がある。
意識が自分の周囲の世界を創造しているという考えがある。
とすれば人間とは思考を自由に巡らす意識の塊のようなもの。
言い換えれば人間とはすなわち自由な意識である。
実体である意識は自由なり。脳中の思考が不自由なり。
思考であれこれ考える人間とは、まあ、面白いものですね。
  1. 2016/11/01(火) 10:59:03 |
  2. URL |
  3. ☆バーソ☆ #IGPPA7yY
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

>自分に正直でありたいのですが、
>どれが自分の正直な考え方なのか、が、
>わからないわけです。
ふふふw、僕も、何を書いても、
自分と一致する感じが持てません。

>だから、どうわからないか、とか、
>こうも思うし、こうも思う、というそのぜんぶが、
>私の正直なところ、なのであって、
>それを、言葉にできるレベルまで落とし込む作業が、
>私の考え事の大半を占めているようです。
うん、それそれ、
それが自分の中に棲んでいる他人への理解と説得、
だと思います。

>人に伝えなければならないときは、
>無理やり、その中でもいちばん有力そうなものを選びますけど、
>それはぜんぶじゃないから、嘘が混ざっている。
伝えていないことのほうにも、
自分があるからな~。
伝えていない思いのほうにも本当があるから、
本当を伝えないことに嘘がある。

>私の正直な気持ちはこうだ!と、
>即座に1個にまとめられる人は羨ましいですけど。
まいまいさんは、もう無理ですよw。

>正しいんでしょうし。
>いいなぁ、正しくて、って感じ。
好き、ってのは、正しいと思うのです。
疑いようのない正しさです。
好き嫌いの多くは、言葉にならない直感で、
言葉が揃ってくるのは後になりますから。
その正しさは、好き、が支えていると思うのですよ。
でも、好き、は正しさを保証しませんけどね。
  1. 2016/11/01(火) 12:58:45 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

サルトルですね。
人は、自由の刑に処せられている。
自由であるように呪われている。
考える、とは自由であり、呪詛である。

対して、考えないことは、祝福です。
宗教やスピを信じている人は、
考えることにおいては楽ちんです。
それらが示す道が困難であっても、
その困難さは、考える困難さではない。

>『不快な思いを私に経験させてくれて、ありがとう』
ルサンチマンの極みだな~w。
そんなのを聞き容れても、
自分の中にある別の思考が、
をいをい変だぞ、と異議を申し立てないのは、
祝福としか言いようがないわ。

あ、そうだ、ユウさん、
7千円の領収書を切らなきゃw。
  1. 2016/11/01(火) 12:59:51 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

バーソさん、こんにちは。

>何十年か生きていれば自分の内側は他人の思考だらけ。
はい、自分を起源とするものはないから、
ぜんぶ他人と言ってしまいたいです。

>人は自分の狭い枠の中で思考という雑念を弄んでいるだけ。
シニカルに言うとそうなります。
人にできることは、さしあたりその程度のことかもしれません。
だったら、僕は、雑念を高い水準で弄ぶ人が好きです。
稚拙な雑念を弄んで得られることは、
稚拙な雑念になりますから。

>ところが、その狭い枠の中には宇宙があるとする思考がある。
>意識が自分の周囲の世界を創造しているという考えがある。
はい、認識する者がいなければ、死んだような世界です。

>言い換えれば人間とはすなわち自由な意識である。
では、自由、について、
自分の言葉で定義する。
誰かの言葉の繰り返しではなくて。
僕は、それを思考と呼びます。
  1. 2016/11/01(火) 13:01:39 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

ほうせんか

青梗菜さん、こんにちは!!^^

「自分の中の他人」の意味は、自分で自分の手をつねって、「痛てえぢやないか。」と言うのと似ているとさっき思いました。

あと、「空と君のあいだに」を連想しました。m(__;m
  1. 2016/11/01(火) 14:46:22 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>「自分の中の他人」の意味は、自分で自分の手をつねって、「痛てえぢやないか。」と言うのと似ているとさっき思いました。
やってみたし、言ってみたけど、
似てないと思うよw。

>あと、「空と君のあいだに」を連想しました。m(__;m
孤独な人につけこむようなことは言えなくて、
ってのは、僕はつけこまないことを選んだ、ってこと。
君の心が分かるとたやすく誓える男に、
ってのは、僕はたやすく誓わないことを選んだ、ってことだね。
  1. 2016/11/01(火) 19:26:38 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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