馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

無関心、について 8/8


無関心を、考えられないこと、
考えたくないこと、
        考え続けていられないこととすれば、
        好きの反対は無関心になる。
好き嫌い、とは、
考え続けていられないものごとにも、
        関心を持たせることである。
        無関心にさせないことである。
考え続けることができるものごとなら、
もとより関心を持っている。
        だから、好きの反対は無関心、でいい。
        ずいぶん遠回りをしたけれど、

        どうやら、それで、合っているらしい。



    131019.jpg
    http://forums.kilometermagazine.com/

余計なことを、
つけ加えるなら、
        僕は、美しいものごとが好きで、
        醜いものごとが嫌いで、
それは、僕に限ったことではなく、
誰だってそうだと思うけれど。
        美しいとか、醜いとかも、
        うまく説明ができないことだが、
もしかしたら、好き嫌い、が先に来て、
後に、美醜が来るのかもしれない。

        好きなものごとについての、
        僕の言葉の行き止まりを、
おそらく、僕は、
美しい、と呼んでいる。
        そして、反対に、
        嫌いなものごとについてのそれを、
おそらく、僕は、
醜い、と呼んでいる。
        美しい、とか、醜い、とかは、
        問いが解けず、答を探せないこと。

        言葉を手放すことへの同意である。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年10月28日 22:34 |
  2. 好き嫌い
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:16

コメント

スキの反対は好きじゃない。

キライの反対はそう嫌いでもない

そう嫌いでもないの反対は?そう好きでもない

言葉の持つ力ですねえ
  1. 2016/10/29(土) 01:01:10 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

好きが究極に行くと美しい。か。面白い。
クリニックで、なんか、お互いに意識しあっているーと思うー心理士の女性に、この前、灰色の服なんて着ていたから、昨日、白着てきたから、今日の白い服は、お似合いですよ〜。と言ったら、ありがとうございます!って、嬉しそうにー。
以前の自分ならそんなこと、女性に言えなかった。変わったものだ。
つまり、彼女は美しい。
けど、そこで、言葉は行きつくか?
彼女は、僕を救ってくれるか?
プラトンは、美のイデアが人を救う。と言ったけど、要は、美が救うのではなく、哲学が救う。と言ってる訳で、人は人を救えるか?
  1. 2016/10/29(土) 01:07:45 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

否定形が反対語になると、
「図」と「地」の関係でいうと、
背景に退いていた「地」を指すことになり、
「地」のほうが広いから、そのままでは使えない、
と思ってしまいます。
日本語は、最後に「ない」をつけてひっくり返すから、
「ある」が先に来て「図」を浮かび上がらせ、
最後の「ない」で「地」に移す。
裏切られた感がつきまとうなぁ。

例えば、
「いちばんたいせつなことは、目に見えない」
みたいなフレーズ。
そこから始めなきゃなのに、たいていは、
そこで終わってるw。
では、いちばんたいせつなことは?
ってフレーズなのに。
  1. 2016/10/29(土) 11:45:31 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>好きが究極に行くと美しい。か。面白い。
「美しい」ってのは、「give up」とか「surrender」だと思う。
すべての「美しい」は、「降参」や「放棄」で代替可能です。

>以前の自分ならそんなこと、女性に言えなかった。変わったものだ。
恋愛は、演技性パーソナリティ障害と、
さらには、虚言症の共存です。

>つまり、彼女は美しい。
すべての「美しい」は、「降参」や「放棄」で代替可能です。

>けど、そこで、言葉は行きつくか?
「美しい」とは、言葉の行き止まり、
言葉を手放すことへの同意です。

>彼女は、僕を救ってくれるか?
分かりません。
恋愛は、自己を認めるか、認めないかを、
他者に託した間主体的な行為。
恋愛は、他者への投企です。

>人は人を救えるか?
分かりません。
人には人は救えませんが、人しか人を救えません。
問いのかたちを変えてみましょう。
  1. 2016/10/29(土) 11:47:32 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

まだ、恋愛というレベルじゃないよ。
彼女のこともよく知らないしね〜。
けど、向こうもこっちを意識していることも分かるんだ。敢えて、僕が移動するのにあわせて移動して来たりー。
昨日は、嬉かったのか、僕が帰る時、お気をつけて、なんて言われた。
こんなんじゃ、他の職員に、あの二人、って、思われちゃうな。
けど、彼女に会いに、クリニックに行く。なんてのもいいかも。
ところで、相田みつを美術館行ったんで、書いてみたけど、青梗菜さんのご感想をお聞かせくださいね〜。ここで、こっちはコメントクローズだから。
  1. 2016/10/30(日) 00:37:09 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>まだ、恋愛というレベルじゃないよ。
恋の始まりにおいては、
恋は、交換不可能性に向ける幻想を意味します。

>彼女のこともよく知らないしね〜。
まだここにはない交換不可能性に向けて自己を投げ込む、
その試みは、投企と呼ばれます。
okiさんが、投企すればそれだけで恋です。

>けど、向こうもこっちを意識していることも分かるんだ。
僕たちは、演技を通じて、
意図を他者に伝える役者です。
特定の印象を他者に与えるために、
劇場や、衣装や、言葉や、行動を支配します。

>こんなんじゃ、他の職員に、あの二人、って、思われちゃうな。
舞台裏が出来上がるのが恋です。
役者は、舞台裏でなら、
観客には見せないふるまいをするでしょう。

>ところで、相田みつを美術館行ったんで、書いてみたけど、青梗菜さんのご感想をお聞かせくださいね〜。
はははw。
相田みつをは、ポエムでスピでヤンキーですよっw。

>元々、みつをは、17の時、栃木で有名な書家について、23で、全国コンクール一位となり、将来を有望視される書家だったという。
>しかし、30くらいで、自分の言葉を紡ぐ世界に入ったという。
僕は、誰かの印象論で詩や書を理解しないし、
相田みつを伝説みたいな知識を積み重ねることで、
詩や書を読んだことにしないもん。

僕は、冷たい人なんだな~w。
感受性が貧しい、ってことになる。
映画とか、オリンピックもそうだけど、
人々が感動するプロットがあるとすれば、
僕は、確実に感動のパターンを失っています。
効率よく感動する作法、みたいなものを、
感受性とは呼びたくない。
  1. 2016/10/30(日) 10:49:28 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

一応、このシリーズを読んだこととして(^^;)、
花束を君にという宇多田ヒカルさんの歌が、頭に浮かんだ。
彼女は、絶望を歌ってる。自分の絶望を、花束にして。
簡単な言葉は、いつも何かが足りない。
しかし、絶望から浮かび上がってくる何かを、
やはり言葉で伝えたい。
花束にしなければ、歌うことが出来ない。
その花束は、
花束としてしか、受け取ることが出来ない。
花束を君にと言われて、
受け取る勇気が自分にあるのか、とても難しいなぁ。




  1. 2016/10/31(月) 20:33:36 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

まきがいさん、意味深だなあ〜。
しかし、徹底的な、自己否定、絶望を経なければ、希望に至れないのは事実ですね。
絶望の歌は、希望の歌に、いつか転じる。
うちのクリニックは、刑務所行ったことある人も沢山いまして、何しろ、依存症のクリニックだから、果ては、性犯罪者まで。
彼女は、薬物依存の親の会などで、司会務めているようですよ〜。
自分の親と、同じくらいの年齢の人を前にして、何を感じているのかな?
皆、苦しんでいる。いつか、希望の歌の大合唱ができる事を願いつつ。
  1. 2016/10/31(月) 21:13:05 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

まきがいさん、こんにちは。

悲しいね~、死んでるもんね。
言葉の行き止まりは、美しいから悲しいな。
言葉の限界で人は泣く、
言葉が届かない距離に泣くよね。
>受け取る勇気が自分にあるのか、とても難しいなぁ。
ふふふw、
でも、手渡す勇気は、もっとないよっw。
  1. 2016/10/31(月) 22:05:37 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>しかし、徹底的な、自己否定、絶望を経なければ、希望に至れないのは事実ですね。
つらいな~。

>絶望の歌は、希望の歌に、いつか転じる。
うん、絶望と希望の意味を変えてまで、
転じようとするんだな。
強いな~。
  1. 2016/10/31(月) 22:06:48 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

裏切られた感はどこからくるか?ずっとかんがえてました。
>日本語は、最後に「ない」をつけてひっくり返すから、

というそれが日本語の便利さであり,てきとーさ,ふかみのなさ,といういいかたもできますね
「日本語は厳密ではない」。というように「ない」じたいに意味はありません

しかしです。
「ない」を言語化する努力のために発展してきた言語空間というものが世界は存在している。ということですよ,

昔の日本人は二重否定を多用しましたね,これは必然性があるのです
今の日本人は「二重否定とは否定の強調だ」ですませようとしますが全く間違いです。

佛は,無處不在,無,所不在,(佛の在らぬところなどない),
これはただの強調でしょうか?ということです

まず,「ない」とカンタンにはいえますが,無,不,非,すべて「ない」ですが対義語はすべて違いますね

日本語の「ない」なんてことばは,哲学を語るには余りに大ざっぱです,そこを厳密にすり合わせない限り,がっかり,はつづくとおもいます。
つまり,この「ない」がはっきりしないひとのことばは,あまり考えすぎても意味が「ない」。 人によっては不用です。

無用は用がない,非用は用に非ず,そんなかんじですかw

何かを仮に規定しなければ,その仮定が相互にあわなければ,会話は実は深くは進まない。ということもあるかもしれません。
もちろん何を仮定的に規定にするかは相手や語る物事によってそれぞれちがいます


これは「偏」差を均す,ということかもしれません,つまりかたよりを「遍」在化する,ということです

あいまいのまま語り合う楽しさもあるにはありますがね

  1. 2016/11/01(火) 12:21:59 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

>裏切られた感はどこからくるか?ずっとかんがえてました。
お疲れさまですっw。

>「ない」を言語化する努力のために発展してきた言語空間というものが世界は存在している。ということですよ,
はい、なるほど~、無、不、非、否定のしかたを明確にする。
反とか、未とかを、上手に使うのとセットですね。

>日本語の「ない」なんてことばは,哲学を語るには余りに大ざっぱです,そこを厳密にすり合わせない限り,がっかり,はつづくとおもいます。
>つまり,この「ない」がはっきりしないひとのことばは,あまり考えすぎても意味が「ない」。 人によっては不用です。
うん、好きの反対は無関心、なんてフレーズに違和を感じない鈍感さ、
そんながっかりは続きます。
期待するから裏切られるので、期待しすぎなのかもなぁ。

>何かを仮に規定しなければ,その仮定が相互にあわなければ,会話は実は深くは進まない。ということもあるかもしれません。
>もちろん何を仮定的に規定にするかは相手や語る物事によってそれぞれちがいます
見当違いの返答に、びっくりするときは、
たいていは、僕が提起したい問題が分かってもらえてません。
仮定もずれてるし、かみ合わなさに疲れます。
あいまいのまま語り合う楽しさは、探っているのかもね~。
ひとつの偏りを見つけたら、うれしくなる。
その偏りは、きっとその人に遍く行き渡っているから、
言葉が通じる、話せる相手になりそうです。
  1. 2016/11/01(火) 19:25:24 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

自由は自己中

「自」はね,鼻を象徴してできた文字ですw。
古代人にとって「かぎ分ける能力」がもっとも「自」をあらわしたw。

かぎ分ける能力だけはそれぞれちがって,ことばや見たものや聴こえるもののように客観化してすり合わせることがむずかしかったからではないでしょうか?。
逆に言えばだから言葉在り、絵が在り,音が在り,しかしそれでは絶対に他人に説明できないものがある。

それでは捕捉できない「におう」ものがある

そのかぎ分けたにおうものを「好み」と呼んでも「キラう」といってもいいけど自分の「理由」の自立のさまであることだけはまちがいない,とおもいます。

自他,といったときの自分の感じる距離が相手にとっても等間隔なわけがない。すべてここから始まり,理由がある,だから自「由」なんだとおもいますよ。

応酬できない孤の足元,に立っている,孤独です
それを孤立とかKYとかいうひともいますがねw

ひとは他人を基準にするまえに,いや他人に測られる前に自分を知らなくちゃいけないw。
自由とはそういうことではないか?とただそうおもいます,それはわたしは,揺らいだこともあるけれど,今はゆるぎない確信がありますねw

  1. 2016/11/02(水) 02:53:08 |
  2. URL |
  3. 事故中 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

「自」は「鼻」、かぎ分ける能力ですか~。
におい、ってのは、どうにも言葉が届かない。
悲しいにおい、ってのがない。
記憶によって悲しさをつれてくるけれど。
空、ってなんて悲しい景色なんだろう、と思うし、
マイナーな音、ってのは確かにあります。
僕たちは、視覚に頼りすぎているし、
モニターを見てる時間が長いから、
ずいぶん仮想的になったけど、
対して、におい、ってのはプリミティブですね。
鼻はすぐバカになって、慣れるから、
アタック感が強くて、サスティンがよくない。
再現不可能の一回性を感じます。
一期一会とは、鼻のことですわw。

>応酬できない孤の足元,に立っている,孤独です
その場にいなければ、成り立たない。
そして、その場には、自分しか立てない。
他人をそこに置けば、自分は別の場所に立つしかない。
他人を押しのけて、そこに立つ。
僕たちは、そんな自己中な在りかたしかできません。

>それを孤立とかKYとかいうひともいますがねw
20代の人たちは、孤立とかKYとかを怖がりすぎですわ。
そして、検索可能なことしか考えられない。
公約数から外れると、イタいと言われますからね。
30代、40代になっても、まだ自分の内面を検索する人がいるなら、
そっちのほうがイタいよなぁw。

>ひとは他人を基準にするまえに,いや他人に測られる前に自分を知らなくちゃいけないw。
他人から、イタいと言われることから始めなきゃ。
自由、とは、間違える自由、だと思います。
  1. 2016/11/03(木) 11:46:02 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

すまぬ
  1. 2016/11/04(金) 11:48:28 |
  2. URL |
  3. 事故中 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

鎌〇ぬ
  1. 2016/11/04(金) 12:23:42 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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