馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

嫌い、について 14/15


ふだんの生活では、
誰だって好き嫌いなんか、
言っていられない。
        好き嫌いを主題的に意識していたら、
        毎日の生活は、たちどころに、
        嫌いなものごとで埋め尽くされる。
好き嫌いの感度など上げられない。
感受性を断って鈍感にならないと、
気が狂いそうになる。

        僕たちは、好き嫌いで選べるような、
        そんなものごとの少なさを知っている。
        実存っぽく言えば、
僕たちは、選んだわけでもないのに、
気がついたときにはすでに、
どうしようもない状況に拘束されている。



    161020.jpg
    http://oldmanpeace.tumblr.com/post/137083713501

        だから、せめて、
        嫌い、と感じたことくらいは、
        嫌ったほうがいい。
僕が他人と関わることは、
他人のまなざしによって、
僕が変えられることである。
        他人に、僕を規定させることである。
        例えば、優しさの欠片もない人と、
        僕が関わったときは、
僕は、その他人には、
優しさの欠片もない人と映り、
そのような取扱いを受けるだろう。
        例えば、エッチだけが目当ての他人と関われば、
        自分もエッチだけが目当ての人とされて、
        そのように扱われることになる。

そのとき、傷つけられるのは、
引きずり降ろされるのは、
自らの感受性と、自らの、
        他人の感受性を感受する感受性である。
        どちらも大切にしたいのなら、
        少しも損なわれることなく、

        自分で守れ、誇らしく。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年10月20日 21:04 |
  2. 好き嫌い
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

コメント

青梗菜さん、こんばんは!!^^

>好き嫌いの感度など上げられない。
>感受性を断って鈍感にならないと、
>気が狂いそうになる。
まじめにやれば特に嫌いはそうかも(?)。

>        だから、せめて、
>        嫌い、と感じたことくらいは、
>        嫌ったほうがいい。
「他山の石」とは関係ないですか?

>        例えば、エッチだけが目当ての他人と関われば、
>        自分もエッチだけが目当ての人とされて、
>        そのように扱われることになる。
なんかわかりやすい気がしたわけで。私がなにかしらでも考えているということをあたかも目に入らないとでもいうようにふるまったりしゃべったりするふたまわりとか下の同僚とかに僕は困惑するわけで。m(__;m
  1. 2016/10/20(木) 21:36:44 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>まじめにやれば特に嫌いはそうかも(?)。
うん、鈍感にならないと、気が変になるよ。

>「他山の石」とは関係ないですか?
すませんっ、他山の石が分からないw。
他山の石と、したほうがいいのか、
しないほうがいいのか、どっちかですねw。

>なんかわかりやすい気がしたわけで。
ふふふ。

>私がなにかしらでも考えているということをあたかも目に入らないとでもいうようにふるまったりしゃべったりするふたまわりとか下の同僚とかに僕は困惑するわけで。m(__;m
目に入ってるのに入ってないふりか、
そもそも入ってないのか、どっちかですねw。
  1. 2016/10/20(木) 22:00:13 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

あと一回で完結か。
うーむ、幾ら嫌いな人でも、例えば接客業では、それらしく振舞わないといけない。
お前、嫌いだ。もう来るな。なんて言ったら、クビになる。
要は、仮面を着けて、店員という役割を演じている訳で、この、世界という劇場で、役割を演じる自分と本当の?ーそんなものがあるかはともかくー自分、の分裂が問題だと、前から言われていたけど、では、その自分らしさとは何かとなると、これまた、社会の中で、今度は、好きな事をやり、好きな人と付き合いながら培われると考えられるもので、人間に共通するカント的叡智的自我は無意味と考えるべきだろうから難しい。
というか、僕が、勝手に難しくしているのかな?
  1. 2016/10/21(金) 01:27:35 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>あと一回で完結か。
うん、好きを15回、嫌いを15回、
読み返してみて、自分でもびっくりしたのは、
僕のブログは、知識がひとつも増えないのです。
読んでくれる人は、ひとつも利口にならないのw。
申し訳なく思っています。

>要は、仮面を着けて、店員という役割を演じている訳で、この、世界という劇場で、役割を演じる自分と本当の?ーそんなものがあるかはともかくー自分、の分裂が問題だと、前から言われていたけど、では、その自分らしさとは何かとなると、これまた、社会の中で、今度は、好きな事をやり、好きな人と付き合いながら培われると考えられるもので、人間に共通するカント的叡智的自我は無意味と考えるべきだろうから難しい。
というか、僕が、勝手に難しくしているのかな?
うん、一時的な役割。
打者が出塁したら、走者になる。
でも、走者は、投手や捕手や遊撃手だったりする。
遊撃手が電車に乗れば乗客で、
家に帰れば、お父さん。
そして、男や、人に帰るのを、忘れてはいけない。
  1. 2016/10/21(金) 09:42:47 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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