馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

嫌い、について 12/xx


        嫌いな人とのつき合いは、
        自分でなくてもいいような、
        誰かでなくてもいいような、
        誰でもいいようなものになる。

それは、自分が自分でいられないときの、
自分らしくない自分であり、
自分らしい表現ができないときの、
自分でないような自分である。

        埋まらない余地に、
        投げ入れる言葉を選べない。
        届かない距離に、
        継ぎ足す言葉を探せない。

他人のような言葉でしか話せない。
言い換えれば、つまり、

        嫌いな人とのつき合いは、
        僕の言葉が通じないことである。



    161017.jpg
    http://www.news2u.net/releases/71857

感受性の感度を上げていると、
共感できなさがつらくなる。
意図していても、いなくても、
その感度は下げられる。

        自分でなくてもいいような、
        誰でもいいような、
        実感さえもないような、
        嘘みたいな感受性で共感し合う。

他人のような感受性でしか共感できない。
言い換えれば、つまり、

        嫌いな人とのつき合いは、
        僕の感受性を失うことである。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年10月17日 20:34 |
  2. 好き嫌い
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:5

コメント

偏も遍もとくにちがいはないw

たしかに人の感性を頼って生きてる人が多いですね。

究境スキキライを感じるというのは,ものごとを相対化するうえで自分の感性のうち最も信頼できるツールなわけで・・・・それは克服しなきゃいけない欠点とか生きていくうえで不利と考える人が多いのも不思議ではありません。
が。
あたしゃ偏ってると言われ続けてこれまで生きてきましたがね。
とどのつまり生きることということはつまり・・・偏ることだツとおもってればなんの不都合も感じないw


追:あ,自分の好みにうるさいやつは人の好みにもケチつけない,ということです。スキキライ言ったもん勝ちという世の中は考えるだにおそろしいですが
  1. 2016/10/18(火) 17:42:18 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

>たしかに人の感性を頼って生きてる人が多いですね。
はい、自分の感性くらいは、
他人の保証を求めずに、そのまま認めてやろうよ~。
まわりを見渡しているやつは、意気地なしですわ。

>究境スキキライを感じるというのは,ものごとを相対化するうえで自分の感性のうち最も信頼できるツールなわけで・・・・それは克服しなきゃいけない欠点とか生きていくうえで不利と考える人が多いのも不思議ではありません。
人が、言葉によって生きるのなら、
好き嫌いを感じられなくなるのは自.殺です。
不利を有利に変えたのではなく、
生きるのをやめて、死.んでみただけです。
生きものとしてね、好き、は安全、
嫌い、は危険なわけで、
そこを鈍らせたり、他人に任せたりしたら、
そんな種はどのみち絶滅しますわ。

>とどのつまり生きることということはつまり・・・偏ることだツとおもってればなんの不都合も感じないw
好き嫌いをなくしたら、
僕の大好きなあの人が、大嫌いなあの人に接近してしまいます。
それは、大好きなあの人を、この世界から消し去ることと同じです。
そんなことをリアルに想像しながら、
きれいごとではなく、偏差の端っこを見据えなきゃ。

>偏も遍もとくにちがいはないw
とくに、ってw。
ちがいはない、ってw、
中途半端に言い切るなぁ。
  1. 2016/10/18(火) 19:53:07 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

誰かと会話する時、特に初めてのとき、非常に冷酷になっている。
表情、しぐさ、口調、匂、どこからでも相手の何かを知ろうとする時、
自分が冷酷にならなければ、何も知ることが出来ない。
相手が何も示さない時、ジャブを出さねばならない場合が多い。
それは、相手に興味がある場合に限られてしまうけど;;。
ジャブに対してジャブが返ってくれば、
自分の冷酷さと、相手の冷酷さを測り合う為に、
ジャブを出し続ける。
いきなりフックを返された時、避けながら、パンチの意味を考える。
本気で倒そうとしてきたのかと。相手の手加減の度合いも。
アッパーで返されれば、アッパーを打ち返すだろう。
ストレートでいきなり返してくる場合、モーションの大きさで避けきれるだろうけど、クリーンヒットされればノックアウトかも知れない。
ボクシングをしているつもりだったのに、
相手がいきなり大外刈りを掛けてくるなら、逃げるしかない。
これが、相手に惚れている時は、大きく違ってくる。
まず、相手に自分の事を気付いてもらわなければならない。
そもそも、それだけで疲れ果ててしまう事が殆どだ。パンチを繰り出す以前に。
誰かの興味を自然に集める人もいることは知っている。
しかし、僕はそちら側の人ではないので、
シャドウボクシングと縄跳びをして、サンドバッグを揺らすパンチを夢見るまでで、大概は、終わってる。
  1. 2016/10/18(火) 21:21:25 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

まきがいさん、こんにちは。

分かるときは、1ラウンドで分かるよね~。
3分あればじゅうぶん。
手数(てかず)が多い相手のほうがやりやすいな。
本気で倒そうとしてきた相手のほうが、
ノックアウトさせやすい。

会話は、にらめっこみたいなもので、
笑わせたほうが勝ちだな。
笑ったら負けよ、あっぷっぷ。

安藤裕子は、神道(しんとう)なのです。
小島真由美を仏教とすれば。
ストレートと大外刈りのように、
僕には、勝敗がつけられない人たち。
  1. 2016/10/18(火) 23:10:15 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

正、小島麻由美、
誤、小島真由美、
こんな間違いもまた、
僕には避けられないことで。
  1. 2016/10/19(水) 00:21:39 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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