馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

好き、について 14/15


好きな動物、好きな歌手、好きなクルマ、
それらから、好き、だけを取り出そうとする人は、
おそらく、気がふれている。
        そんな人は、僕の知る限りでは、僕しかいない。
        ふつうは、考えなくても分かることらしい。
        好き、とは、その説明の不要さである。



    161002.jpg

好き、について考えることは、
考えることが好き、に回収されて行き止まる。
考えることが好き、とは何か。
        好き、について考えることを抜きにしては、
        もう進めないだろう。
        その残りは、考えることを考えることだから。

言葉と、好き、が揃っているリアル、
言葉だけで、好き、が伴っていないフィクション、
好き、が言葉にならない直感。
        それらが混ざり合ったままでも、
        好き、については書き記すことができる。
        それも、考えてもしかたがないのだろう。

        僕には、区別がつかないのだから。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年10月02日 21:18 |
  2. 好き嫌い
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8

コメント

好きなクルマに乗って、好きな音楽をかける。
そこに説明は要らない。その通りです。
それが日常だから。敢えて、そんなこと問わない。
それを問うのは、なぜ世界が存在するか?と問うと等しく馬鹿らしい。
ウィトゲンシュタイン的に言えばー14回目だから、そろそろ、ウィトゲンシュタインとか出てきそう。だいたい分かる。メルマガ時代からだから。
  1. 2016/10/02(日) 21:57:06 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>好きなクルマに乗って、好きな音楽をかける。
>そこに説明は要らない。その通りです。
へへへw、まあ順当なオチです。
しかし、説明はいらない、
それは、多少なりとも、説明しようと言葉で挑んで、
敗れた者だけの台詞です。
言葉はいらない、そんな台詞を言う人の、
99%が薄っぺらですもの。

ここで、ウィトゲンシュタイン、
いやいや、もう終わりです。
「論考」みたいなレイアウトにしてみますw。
  1. 2016/10/02(日) 22:20:14 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

15回目がどうなるか?
デカルトの過ちは当然、心をブラックボックスにして、心が外界をどう認識出来るかと問うたところにありますね〜。
するとおかしなことに、外界に確実なものはないという変な前提が立てられるけど、デカルト自身は外界の存在を疑って、日常生活を送っていた訳では当然ないから、ここに矛盾が生じる訳で、観念論の限界かな。
ざらざらした大地にかえれ、という動きは当然なこと。
  1. 2016/10/02(日) 22:37:06 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

>15回目がどうなるか?
まだ何も浮かんでませんw。
終わることだけ決めてますから、
新しい展開はありません。
「論考」っぽい見かけのアフォリズムで結びます。

心と身体を分けたから、
分かれたものは、つなげなきゃになる。
仮想でも虚構でも、そのようにしか観えないのなら、
そのままでいいと思うなぁ。
真実が何であれ、どうせ誤謬に戻って、
日常生活をするわけですから。
  1. 2016/10/02(日) 23:06:04 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

好きについて、考える人は、
考えることが好きな人である。
で、よさそうですね!
どうして、好きについて考える必要があるのか、
というところが根本の問題としてあるように思います。
楽しいから、ではないはずで、
考える材料を見っけられて嬉しい、でもないはずです。
それは、何かしらの問題、だと思うんです。
苦悩です。

すすんで苦悩しているのか。
わざわざ不幸な道を選んでいるのか。
でも、選択できるものでもないですよね。
ここは「済み」、でした。

青梗菜さんのほうが、私より、
考えるのが楽しそうに見えるのは、
記事を書くのが私より好きだから、だと思われます。
楽しいのは、記事を書く、という部分なのであって、
考えることではないだろう、と思うのです。
いや、違うかなぁ。
楽しんでいるのかなぁ。考えることも。
楽しいとは何か、っていう定義が必要になってしまいました。
  1. 2016/10/02(日) 23:12:36 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、
 
好きって何?何を好きと呼んでいる?(青梗菜さん談。多分。)これは複雑系ですか?

※わけわかんない(検索してさらに)。(→自分)

>好き、について考えることは、
>考えることが好き、に回収されて行き止まる。
>考えることが好き、とは何か。
>        好き、について考えることを抜きにしては、
>        もう進めないだろう。
>        その残りは、考えることを考えることだから。
全体集合が「考えること」で、ある事象Aが「好き、について考えること」だとして、、『その残り』とはAの余事象なので?、「好き、について」以外について考えるということで、多分合っているという認識です。なのに(ry

>        僕には、区別がつかないのだから。
何と何との区別がつかないのか教えていただけると幸いですが、教えてくださらなくても幸いです。(もう寝るし。)m(__;m
  1. 2016/10/03(月) 00:25:45 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

>好きについて、考える人は、
>考えることが好きな人である。
>で、よさそうですね!
うん、混ぜっ返すわけでもないけど、そうなります。

>どうして、好きについて考える必要があるのか、
>それは、何かしらの問題、だと思うんです。
>苦悩です。
うん、そんなことは、一生に一度も考えない人のほうが多いわ。
ってことは、必要に迫られない限り、考えたりしないよね~。
自分の問題になると、なんだって苦しくなるし、
苦しくないなら、問題ではない。
苦しいから、考える。
そして、検索して拾ってくることと、考えることは違う。
ネットに落ちているような答を持ち帰れるくらいなら、
苦しくないから、考えてないわ。

>すすんで苦悩しているのか。
>わざわざ不幸な道を選んでいるのか。
>でも、選択できるものでもないですよね。
>ここは「済み」、でした。
考える、ってことは、不幸を見据えています。
考えないでいようと思っても、考えてしまうから選べません。
制御不能なので、済み、ですわ。
憑依や、呪縛のようなものと思っています。

>青梗菜さんのほうが、私より、
>考えるのが楽しそうに見えるのは、
>記事を書くのが私より好きだから、だと思われます。
文章フェチですから。

>楽しんでいるのかなぁ。考えることも。
>楽しいとは何か、っていう定義が必要になってしまいました。
はははwww、楽しいとは何かwww。
気がふれているw。
定義の必要に迫られてるw。

>それは、何かしらの問題、だと思うんです。
問題になることが、問題になってる。
楽しい、について、自分の言葉で定義しようとしない人は、
好き、も定義しなくていいんだよっ!w
なぜ好きなの? 楽しいから、って。
そっちのほうが幸せでしょ、って。
そのあたりを循環させれば、何かを言ったことになるんだから。
考えたことになるんだから。
  1. 2016/10/03(月) 12:06:54 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>好きって何?何を好きと呼んでいる?(青梗菜さん談。多分。)これは複雑系ですか?
ん、分かんないw。
まず、複雑系がよく分かんない。

>全体集合が「考えること」で、ある事象Aが「好き、について考えること」だとして、、『その残り』とはAの余事象なので?、「好き、について」以外について考えるということで、多分合っているという認識です。なのに(ry
はいはい、そうそう。

>>        僕には、区別がつかないのだから。
>何と何との区別がつかないのか教えていただけると幸いですが、教えてくださらなくても幸いです。(もう寝るし。)m(__;m
あ~、すみませんっ、
リアルとフィクションと直感の区別です。

言葉と、好き、が揃っているリアル、
言葉だけで、好き、が伴っていないフィクション、
好き、が言葉にならない直感。
それらが混ざり合って、区別がつかない、
ということでした。
  1. 2016/10/03(月) 12:08:21 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック URL
http://qinggengcai.blog2.fc2.com/tb.php/1218-1dcc70a0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)