馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

好き、について 7/x


まずは、分節化されること。
例えば、ラマとアルパカとラクダの、
違いを感じること。
その違いによって、
世界は細かく切り取られる。

細かく切り分けられた世界は、
類似性によって互いを引き寄せ、
やがて、生成が始まる。
僕の好き嫌いが持ち込まれ、
僕の好きな動物が選び出される。



    160922a.jpg
    http://autoimages.org/lancia-a112/

好きな人は、
分節と生成の方法が似ている。
だから、多くの言葉はいらない。
どのように世界を切り分けて、
どのようにまとめ上げるか、

そんな手順を言葉にしなくてもいい。



    130203.jpg

アルパカは、哺乳類の種、
ハシビロコウは、鳥類の種、
生物群としては、大きく違う。
違うけれど、好き、で括ることができる。
しかし、括る理由は、言葉にできない。

分かる人には説明が不要で、
分からない人には、たぶん、
説明しても分からないものごと。
好き嫌い、とは、
世界を眺める方法、

分節と生成の傾向性である。



    160922b.jpg
    http://www.m-bike.sakura.ne.jp/?p=74558



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年09月22日 12:17 |
  2. 好き嫌い
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

“好き”とは、
それを強く意識し、主張する人にとっては、
自分の感情で共感できるものであり、
自分の志向に類似しているものであり、
見よ、これがわたし自身の独自の思考なんだ、どうだっ、
と“自己”を強く披瀝顕示するものではないか。

“好き嫌い”の意識が強い人は、他者の意識や感覚を棄却する。
ひたすら自分が世界の主人公だという自我の主張があるのでは?
優淳不断で寛容な人に、好き嫌いはあまりないはずだから。
という感想はどうでしょう。
  1. 2016/09/24(土) 10:06:38 |
  2. URL |
  3. ☆バーソ☆ #IGPPA7yY
  4. [ 編集 ]

バーソさん、こんにちは。

>見よ、これがわたし自身の独自の思考なんだ、どうだっ、
>と“自己”を強く披瀝顕示するものではないか。
趣味の悪い改造車とかw、
独自の主張を感じますね~。
逆に、趣味がいい改造は、ありきたりで無個性といえます。

独自の思考、ってのは難しいもので、
らしさ、という独自性に欠ける括りに回収されないと、
独自性を分かってもらえません。
暴走族らしさ、とか。

僕も、独自の思考であろうとして、
でも、なかなか独自の思考にはなれません。
独自性を感じている、ってことは、
一方で、僕は、極めて平凡で、
常識的な人でなければならない、ってことで、
つまり、僕がどれくらい世の中から外れているかを、
常に了解していないと、独自の思考とはいえないわけです。
あまりにも常識から乖離した思考は、
独自の前に、理解不能になりますから。

>“好き嫌い”の意識が強い人は、他者の意識や感覚を棄却する。
>ひたすら自分が世界の主人公だという自我の主張があるのでは?
たくさんのものごとを知っていて、
その中から、自分の好き嫌いを選ぶ。
つまり、多くの分節を持つ必要があると思います。

多くの分節を持つためには、独りでは無理で、
自分の中に他人を棲まわせなければならない。
他者を棄却するのとは逆向きになります。
他者の分節を持つと、相対的に自分は小さくなります。
たいていは、世の中が常識的な分節化の方法を示しますから、
それを自分の分節と思っているだけなので、
まずはそこからの話ですが。
  1. 2016/09/24(土) 12:41:03 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック URL
http://qinggengcai.blog2.fc2.com/tb.php/1211-8f682901
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)