馬鹿の世界の点景になりたい。

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相田みつを×スピリチュアル 3/5



    160829a.jpg

「あなたのこころがきれいだから
なんでもきれいに見えるんだなあ」

それは、自分から他人に向けて、
言う台詞である。
あるいは、他人から自分に向けて、
言ってもらう台詞である。

相田みつをの言葉の多くは、
なぐさめや、ほめ言葉や、
ごまかしや、ひけらかしで、
他人に対して使うフレーズだ。



    160901.jpg

「しあわせはいつも
じぶんのこころがきめる」

それは、自分から他人にも、
他人から自分にも、
自分から自分に向けても、
言える台詞である。



「あなたのこころがきれいだから
なんでもきれいに見えるんだなあ」

このフレーズを読んで、
自分の心がきれいだと、
自分で自分に向けて言うほどには、
僕は、不遜にはなれない。

自分で自分に言うことくらい、
とても簡単なはずなのに、
誰に対して不遜と思うのか。
それは、自分の中に同居している、

他人に対して、である。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年09月05日 18:14 |
  2. 反スピ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

コメント

青梗菜さん、こんばんは!!^^

>自分で自分に言うことくらい、
>とても簡単なはずなのに、
>誰に対して不遜と思うのか。
>それは、自分の中に同居している、

>他人に対して、である。
それは「良心」のことですか?正直者ということですか?ちなみに私は自分が正直者ではないことを自覚する、自分の心に対してのみの正直者かもですが、このことはこの記事と関係がありますか?(関係がないと予想。でも自分の心に自分が謙虚というのも違和感?)m(__;m
  1. 2016/09/05(月) 22:22:08 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>それは「良心」のことですか?正直者ということですか?
自分の心がきれいだと、
自分で自分に向けて言うとき、
きれいかどうかなんて分からなくなるし、
ところで、きれいって何だっけ? ってなる。
説明せずにはいられない人は考える。
そして、説明、ってのは、
他人に対してするものです。

自分の心がきれいだと、
自分でよく分かっている人なら、
説明は不要です。

>ちなみに私は自分が正直者ではないことを自覚する、自分の心に対してのみの正直者かもですが、
僕もそうです。
毎時毎分、自分に都合のいいストーリーを作って生活しています。

謙虚は、謙虚だけで終われば、処世術かな。
ルールですね。
  1. 2016/09/06(火) 10:38:52 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

「あなたの心がきれいに見える」とは、
自分に言うにしても、あるいは他人から言われるにしても
だからといって、「あなた」以外の人を汚くする必要はないでしょう。

どちらにしても、「きれいに見える」とは
誰がどう思おうと、何を言おうと、そんなことには関係なく、
そう見えていれば、つまり自己完結していれば、
それでいいのではないか、
という考えについてはどうでしょう。

すなわち、「自己中」でいいのではないか、
結局、正直に言えば、誰だってそうしているのではないか、
ひとさまに迷惑を掛けない限り、それでいいのではないか、
「しあわせはいつも じぶんのこころがきめる」のだからです。

> 霊格では勝っていると思い込むこと。
自分は正しいことをしている、神から嘉されることをしている、
してない人は邪悪な人間だ、神から嫌われる、裁かれる。
(ああ、かわいそう。ああ、自分は幸せだ)
これ、キリスト教の「博愛」と称するものの神髄でしょうね。
  1. 2016/09/06(火) 15:05:34 |
  2. URL |
  3. ☆バーソ☆ #IGPPA7yY
  4. [ 編集 ]

バーソさん、こんにちは。

まず、みつをが書いてることは、でたらめなので、
「あなたのこころがきれいだから
なんでもきれいに見えるんだなあ」
これは忘れましょうw。
混乱します。

>「あなたの心がきれいに見える」とは、
>自分に言うにしても、あるいは他人から言われるにしても
>だからといって、「あなた」以外の人を汚くする必要はないでしょう。
はい、必要はありません。
でも、心がきれい、とは、
相対的なもの言いでしかないように思います。
汚い、を対照に、
他との比較の上に成り立つさまを、きれいと呼ぶのなら、
自分がきれいになることは、
他人を汚すことと別のことではあり得ません。
心がきれいな人は、きれいになれない他人を傷つける、
その意図があっても、なくても。
きらきらした瞳で、正しいことを言う、
僕は、苦手なのですよ~、心のきれいな人がw。

絶対的な心のきれいさを立てることができれば、
話は別になりますが。
仮に、誰かが、絶対的な心のきれいさを打ち立てたとしても、
すべての人に対して拡大することを求めた時点で、
損なわれてしまうのが、絶対的な心のきれいさだと思います。
それにしても、
心の汚れた僕が、心のきれいさを語ることの困難さw。

>どちらにしても、「きれいに見える」とは
>誰がどう思おうと、何を言おうと、そんなことには関係なく、
>そう見えていれば、つまり自己完結していれば、
>それでいいのではないか、
はい、きれいに見えることについては、その通りです。
きれいに見える、とは、
個人の感想で、自己申告です。

>すなわち、「自己中」でいいのではないか、
>結局、正直に言えば、誰だってそうしているのではないか、
>ひとさまに迷惑を掛けない限り、それでいいのではないか、
>「しあわせはいつも じぶんのこころがきめる」のだからです。
自己中でいい、というか、
仕方がないとは思います。
でも、自己中な人は、考えませんよ~。
他人に対して説明する必要がないからです。
他人を道具とみなしているから。
道具に説明を試みる人はいません。

>自分は正しいことをしている、神から嘉されることをしている、
>してない人は邪悪な人間だ、神から嫌われる、裁かれる。
そう思い込むことができるのなら、
正しささえも必要なくなる。
アメリカンジョークを。

「やぁやぁやぁ、ボブ、
しばらく見ないうちに変わったな。
髪も白髪になってるし、眼鏡までかけて、
おまけに太った」
「すみませんが、私はボブではありません」
「名前まで変わったのか!」
  1. 2016/09/06(火) 18:52:58 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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