馬鹿の世界の点景になりたい。

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相田みつをの詩は、思考停止の呪文だ



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僕たちは、日々、様々な体験をするけれど。
身につかないことは忘れてしまって、
身についたことを記憶に留める。
記憶しているということが、
身についたということであり、
身についたことを体験と呼ぶ。

相田みつをは何も考えていない。
だから、順序が入れ替わっている。



僕たちは、様々な体験の中から、
身についたことだけを取り上げて、
体験を再定義する。
体験したから身についたのではない。
すべての体験が身につくわけではない。
身についたのは、思考を巡らせたからである。



経験ということは、
たしかに人間には必要だと思うのですが、
どんなに経験しても、
人間というものはその経験を想像力のなかで造形できなかったら
経験にならないわけです。
―― 「反劇的人間」/安部公房 著、1979、中公文庫



どんな体験をしても、まだ言葉が与えられていないうちは、
体験は身につかない。
だから、体験にとって最も邪魔になるのは、
考えないことである。
考えた形跡がないということは、自らの体験に基づいて、
語れていないということだ。

相田みつをの書は、思考停止の呪文だ。
体験は、体験のままでは、体験にならない。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年08月23日 22:53 |
  2. 反みつを
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

青梗菜さん、こんにちは!!^^

なんか今回の御記事は沁みます。

>体験は、体験のままでは、体験にならない。
そのうえでこの文は、単独では禅問答?ですが、よく理解できたという認識?です。みつをさんのこの詩?からこの結論?を導くとは、さすが大先生様でございますっ!!(唾&ごますり)m(__;m
  1. 2016/08/24(水) 14:24:10 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

はははw。
>>体験は、体験のままでは、体験にならない。
作品にするなら、こっちのほうがいいよなぁ。
  1. 2016/08/25(木) 10:18:42 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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