馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

しかし、アントナン・アルトーよ (。-`ω´-)ンー


一、私は洗礼を受けたことを否認する。
二、私はキリストの名前の上に糞をたれる。
三、私は神の十字架の上で手淫をする
  (しかし、ピオ十二世よ、手淫はかつて私の習慣になかったし、
  こんご私の習慣となることもけっしてあるまい。
  おそらく貴殿は私のことを理解しはじめているはずだ)。
四、ゴルゴダで磔刑に処せられたのは、私なのだ(イエス=キリストではない)、
  そして私が磔刑に処せられたのは、
  立ち上って神とそのキリストとに抗議したためなのだ。

なぜなら私は一箇の人間であり、
そして神とそのキリストとは観念にすぎないからだ。
しかもその観念たるや、人間の手の汚らわしい印しがついている。
あれらの観念は私にとっては、かつて存在したことがない。

―― “Adredde au Pape、ローマ教皇への上奏文”/アントナン・アルトー



    しかし、アントナン・アルトーよ、
    貴殿の洗礼の否認も、
    貴殿がキリストの名の上にたれる糞も、
    貴殿が好まない手淫も、
    貴殿が処せられた磔刑も、
    僕は、まったく意に介さない。

    僕も一箇の人間であり、
    そして、神とそのキリストは、
    観念に過ぎないことに同意する。
    しかし、その観念には、
    人間の手の清らかな印しがついている。
    それは、僕には、かつて存在したことがない。

    貴殿の神は、美しいのか?
    神は、貴殿の糞便や精液や血液に、
    汚されて困るほどに、
    きれいだと思っているのか?
    神は、貴殿の排泄物より汚いものを、
    備えているとは思えないか?

    貴殿は、甘ったるい夢を見ているのか?



    ―― 『神経の秤・冥府の臍』/アントナン・アルトー 著、清水徹 訳、
    ―― 1977、現代思潮社



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年07月24日 22:01 |
  2. 未分類
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  4. | コメント:12

コメント

青梗菜さん、せっせと書くねえ、他にやる事ないのか、笑。
アルトーは知らないけど、十字架は分からない。
十字架に架けられたのは、ただの人イエスであり、その人が甦えって、キリストになって、キリスト教なるものが出来た訳ですが、要は、神の子イエスであるかどうか?
アメリカでは、別に、イエスが救い主なら、神の子でもなんでもいいという流派が拡がってますね。
アメリカはWASPが作った国だけど、いろいろ変わる。
というのも、救い主はベツレヘムで産まれる、と聖書に書いてあるけど、どうも、イエスという人物は、ナザレの大工の子だとわかってきた。
ツジジマがあわないところが沢山出てきた。
本当、聖書書き直して貰わないと。
更に、絵画では、必ず、十字架のイエスは腰巻をしていまして、まあ、裸体で描くのは恐れ多いということなんですが、当たり前に、イエスは裸体で磔になったのでー。
  1. 2016/07/24(日) 22:35:25 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>青梗菜さん、せっせと書くねえ、他にやる事ないのか、笑。
はははw、ポケモンGO以来、頭が騒がしいです。
詩ならいくらでも書けますわ。
詩を借りてくると楽ちんです。
個人的なことがらを、分かりにくければ、分かりにくいままで書けばいい。
ってことは、散文は、個人的な分かりにくさを擁護しないのか。

>更に、絵画では、必ず、十字架のイエスは腰巻をしていまして、まあ、裸体で描くのは恐れ多いということなんですが、当たり前に、イエスは裸体で磔になったのでー。
okiさんのコメントを読んだ人は、
腰巻をした十字架のイエスの傍らに、裸体のイエスが現れます。
それは、誤謬の投影、仮象の生成、モンスターです。
糞便から神を想起する人は少ないと思われますが、
アントナン・アルトーを介在させれば、見えてくる。
極めて個人的なことで、
でも、そんなこと以外は書く気がしないw。
  1. 2016/07/25(月) 10:24:57 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
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青梗菜さん、こんばんは!!^^

全文、引用かっ!(人様のことを言える立場?ではないことは確かです。)m(__;m
  1. 2016/07/25(月) 20:57:45 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>全文、引用かっ!
あ~、なるほど~!
4字下がって、6行で段を作ってるところが、
オリジナルです、っちゅうか、パロディです。
一人称が、僕になってるところ。

ってか、青梗菜が書きそうなことぢゃないですか~。
神を否定するアントナン・アルトーに、僕が否定的な理由は、
神をさらに否定するためw。
  1. 2016/07/25(月) 21:18:58 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
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青梗菜さん、

>4字下がって、6行で段を作ってるところが、
>オリジナルです、っちゅうか、パロディです。
>一人称が、僕になってるところ。
ということですと、読まないと、、ちょっとお時間いただかないとコメントを書けな(ry

>ってか、青梗菜が書きそうなことぢゃないですか~。
知らん。わかるけど、わかんない。m(__;m
  1. 2016/07/25(月) 21:27:26 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
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青梗菜さん、

この記事を読んで、、神たちも?煩悩?を抱えているという仮説を感じました。バチが当たるかな。(私は今『異次元の刻印(下)』グラハム・ハンコック著 川瀬 勝訳 のおぼろげなイメージを持っています。)m(__;m

ところで、『人工知能は人間を超えるか -ディープラーニングの先にあるものー』松尾 豊 著を読みましたか?
  1. 2016/07/25(月) 21:40:38 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
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がたおさん、こんにちは。

なるほど、そうですか~、がたおさんも、
グラハム・ハンコックの『異次元の刻印』をお読みになりましたか~。
いやぁ、アレがナニするところが、なんともアレでしたなぁ。
はい、もちろん松尾豊の『人工知能は人間を超えるか』も目を通しております。
ん、感想ですか、あ、もうこんな時間だ。
ちょっと、アレしてきますので、いずれまたナニさせてもらいます。
  1. 2016/07/25(月) 22:10:20 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
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いつだったかテレビで
聖職者にはサイコパス性が高い者が多いと言っていました。サイコパス性とは、恐怖感の欠如、極限状態での冷静さ、高い集中力、極端な合理主義…などなど。
ある聖職者はこう言ったそうです。
「私は神を信じていません。ただ、神が得意分野なだけです」

これらを踏まえて、もう一度アントナンの言うことを読むと…
なんて素敵な時代なんだ。聖職者が神を崇めているではないか! 少なくとも民衆(アントナン)は聖下が神を崇めていると信じていたのだ!…ああ、でも聖下は人を騙すのが上手かったのかな…。
などと思ってしまう(笑)

  1. 2016/07/26(火) 12:23:14 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
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ユウさん、こんにちは。

>「私は神を信じていません。ただ、神が得意分野なだけです」
開き直っとるなぁw。
みもふたもないわ~、神職人だ。
悪魔崇拝のほうが、確実にピュアだなぁw。

ピュアは、漁師ではなく釣り堀だ。
大工ではなく日曜大工だ、
縫製工場ではなく手編みのセーターだ、
女ではなく女装する男だっ。

>なんて素敵な時代なんだ。聖職者が神を崇めているではないか!
アントナンって、1896~1948年、戦争だらけです。
そんなに昔の人ではないね。

急激にフェーズが変わってる、ってことか~。
昭和って、びっくりするほど遠い。
  1. 2016/07/26(火) 13:15:47 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
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アルトー好きからひと言

いつだったか。もうずいぶん前になるかな大阪市の市の職員だったと思いますが。

その男は女装しながら電車の中で下半身を露出したのでタイホされたそうです。単に露出が目的だった,女装はたまたまだったwという可能性ももちろん否定できませんがね。

もともとがトランスヴェスタイトと露出狂という二つの性向にひきさかれた魂。
どちらもラデイカルでまっとうな倒錯ですが,二重に倒錯した例ですね。
それが電車の中で・・・・過激に表現欲に取りつかれた,
これはまさに,大阪のアントナンアルトーだわっ
とそのとき思ったものです。

ついでに言えば大阪のヘンタイは市の職員だった,このことが最大の不幸ですが,これは「表現」が「まっとう」に過ぎた。

女装して男であることの嫌悪を示しつつ,否定したい,自分は男じゃないと言う自己実現のさなかにあってなぜか,真逆の欲望にかられ,抑えることができないという・・・・この,こらえしょうのなさ。倒錯とはこらえるたのしみでもあるのにw,という。バタイユの隠匿志向をかるく凌駕していく。

「倒錯者はなぜこらえるのか」,という命題でもある。
ジャリなども,まさにそうだとおもいますがねw
部屋の中のフェチを高笑いしたい,それが彼らの表現手法でしょうね。どちらも楽しみ,愉悦ですが。

あ,これは冷笑とは違います,わたしが思う「冷笑」はあくまで文字通り冷ややか笑いです。冷えた笑いです。そこに侮蔑があるかどうかは,また別のハナシですよ,醒めてもいないのに冷めた笑い。

聖職者というのもそもそも近代の日本人の知性からすれば, "神" を表したいのに神表現のアルチザンに過ぎない滑稽,としか映らないでしょう,しかし,西欧の文化,"大学"アカデミーの権威は,ごく最近(18世紀)まで はキリスト教にあった,これを度外視しては・・・・なにもわからないなどという,あたりさわりないこともいっときますがね
キリスト教の厚みを度外視したら
シュルレアリスムの "狂"は一面的になる。
デリダ,ドゥルーズさえ,その知も一面的なものになるという・・・・

モノゴトには順番というものがありますから
  1. 2016/07/31(日) 21:48:55 |
  2. URL |
  3. 玄 #3E8HQ5Yc
  4. [ 編集 ]

玄さん、こんにちは。

男が女装をすると、男が強調されます。
女と、あるいは男と、
どう向き合うか、どう逃げるかで、仕上がりが決まってきますが、
女装しながら電車の中で下半身を露出、ってなんだかなぁ、
それぞれは正統派なのですけど、盛りすぎですねw、
ちょっと場当たり的で、粗野な感じがします。

想像の中や、部屋の中で収まるようでは変態ではなくて、
変態は、表さなければ変態ではなく、
表現することを僕が許容するから、
僕は変態になれると思うのです。
女装にしても、露出にしても、
変態とは、僕を外に連れ出すことを僕が許すこと。

変態の本質が、表現だとすると、
変態の現象には、変態の本質が含まれます。
露出、ってかっこいいなぁ、
現象と本質が同時に揃います。

>しかし,西欧の文化,"大学"アカデミーの権威は,ごく最近(18世紀)まで はキリスト教にあった,
なるほど~。
キリスト教だけでなく、いろいろと括弧に入れて読まなければなりませんが、
僕には、古典とかを引いてくるような教養はないのでw。
シュルレアリスムも、よく分からない~w。
  1. 2016/07/31(日) 23:21:46 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

あ、そうだ、
括弧に入れるのは、僕の薄っぺらいキリスト教、ってことです。
キリスト教が堆積した厚い層には、
僕はアクセスできないので、
もとより括弧に入れるものがありません♪
  1. 2016/08/01(月) 01:12:21 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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