馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

それにしても、この人たちは (。-`ω´-)ンー


罪人のわたしを憐れんでください ―― 徴税人

ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。
『神様、わたしはほかの人たちのように、
奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、
また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。
わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献(ささ)げています。』
ところが、徴税人は遠くに立って、
目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。
『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』
言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、
あのファリサイ派の人ではない。
だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。

―― ルカによる福音書、新共同訳、1992、日本聖書協会



われらごとき煩悩多きものをお助けください ―― 暁烏敏

真宗大谷派の宗務総長を務めた暁烏敏(あけがらすはや)などは、
歳をとって目が見えなくなっても、
まだ女好きがやめられなくて、
あっちこっちに若い女がいた。
それで懺悔し阿弥陀様に、
われらごとき煩悩多きものをお助けくださいと熱い涙を流す。
そういうのはやはり甘えです。

―― 宗教の自殺、梅原猛、山折哲雄、1995、PHP研究所



うわ~ん ―― 野々村竜太郎

ですから皆さまのご指摘を、
県民の皆さまのご指摘と受け止めて、へへえ~ん、
ああ~ん、うはあはは~ん、あ~ん、っえん、っえん、
ああはんぐぇ~げん、あはあはあ~ん、あ~ん、
ご指摘と受け止めて、あ~んあ~ん、あはははあ~ん、
ご指摘と受け止めて、一人の大人として社会人として、
折り合いをつけましょうと。

―― 2014/7/1の説明会見



それにしても、この人たちは、
正直な甘えん坊である。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年07月22日 12:07 |
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8

コメント

皆、正直ですね〜。
大宮エリーが、こんな詩を書いています。

見にくいアヒルの子も
シンデレラも
ものがたりの最後にならないと
ほんとうのことは分からなかった

人生を物語とするならば
人生の素敵なことは
だいたい最後のほうに起こる。

40の小娘が、悟ってますね〜。
けど、心理学では、老年的超越、と言います。
老年になると、ただ居るだけで、世界が愛おしく、素敵に感じられるそうです。
そして、これで良かった。と言って死んでいくそうです。
野々村なんて、まだまだヒヨッコ。
世界は意外と、優しく温かいものかもしれないと思ったり。

  1. 2016/07/23(土) 07:03:54 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

> それにしても、この人たちは、
> 正直な甘えん坊である。
正直とは甘えである、ずるさである、ということですか。
野々村の場合は演技であり、嘘がバレバレですが、
泣けば許されると思っているということで、やはり甘え人の範疇。

徴税人の例の場合は、義人ファリサイ人が、自らの義なる行為を
人に対してではなく、神に対して「心の中で」ひっそりと祈りで
告白していて、正直であるというふうにも言えますか。
一方、徴税人のほうは、ひとに見えるように「胸を叩きながら」
謙遜そうな姿がかえって胡散臭く、甘えていると言えますか。

どうなんでしょう。自分の長所や義なる行為を他者に言うのは、
人前でラッパを吹くなとか、右手がすることを左手に知らせるな、
などと言われ、あまり感じのよくないものと思われていますが、
見方を変えると、それは率直であり、正直でもあるのですかね。

宗教の“赦し”というのも、慈愛とか博愛と言えるでしょうが、
人間の甘えを前提にしているとも言え、なかなか面白いものですね。
  1. 2016/07/23(土) 10:04:06 |
  2. URL |
  3. ☆バーソ☆ #IGPPA7yY
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>見にくいアヒルの子も
>シンデレラも
>ものがたりの最後にならないと
>ほんとうのことは分からなかった
うん、今からハクチョウになろう、
あるいは、王子様の求愛を受けよう。

>人生を物語とするならば
>人生の素敵なことは
>だいたい最後のほうに起こる。
アヒルの子の役だったかもしれないし、
かぼちゃの馬車を引く馬の役だったかもしれないけど、
そのときは、ごめんなw。

>老年になると、ただ居るだけで、世界が愛おしく、素敵に感じられるそうです。
>そして、これで良かった。と言って死んでいくそうです。
そうなのか~。
早く終わらないかな、って思うときがあるよw。
  1. 2016/07/23(土) 17:21:31 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

バーソさん、こんにちは。

>自分の長所や義なる行為を他者に言うのは、
>人前でラッパを吹くなとか、右手がすることを左手に知らせるな、
>などと言われ、あまり感じのよくないものと思われていますが、
>見方を変えると、それは率直であり、正直でもあるのですかね。
自慢話は、にっこりでも、爆笑でもいいけれど、
笑わせないとだめですね~。
たいていは、こんなことを自慢するおれの小ささ、に行き着くから、
笑ってもらうのはいいけれど、笑われてはいけませんw。

真宗の暁烏敏はもちろん、
ルカも悪人正機なんだなぁ。
善人は、悪人よりも少なく受け取り、
悪人よりも先に傷つき、悪人よりも多くを失う。
そんなふうにしか生きられない。
神に認めてもらえないくらい、
今さら、どうってことないと思うw。
善人とは、信じられないことが多い人です。

ファリ子ちゃんは、
ずっとバーソ君のことが好きでした。
いつもバーソ君に恥ずかしくない自分でいようと、
勉強も、部活もがんばって、
ボランティア活動までしていました。
でも、そんなこと、バーソ君には言えません。
徴子ちゃんは、
ふだんは、ずるいことや悪いことばかりしている子で、
バーソ君の前では、悪いことはしませんが、
バーソ君のことは別に好きでもないようです。
えぇ? なんだって?
徴子がバーソ君に告ってるよ~。
徴子の馬鹿は、思いつきで、なにやってんだよ~。
はぁ? バーソ君もオッケーだってよ。
信じられないよ~!
  1. 2016/07/23(土) 17:22:20 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

うーむ、親鸞ないしは、浄土真宗の場合は、悪人正機と、煩悩即菩提とは、違いますからね〜。
暁烏の場合でも、そうですが、煩悩を持ったまま往生できる、聖人にならないといけないということとは違う。
歎異抄にありますが、人を百人殺せ、殺せない?機がないからだ。
悟りを得たはずの親鸞がそんな会話をしている。
宗教は、カントもそうですが、総じて、人事を尽くして、天命を待つ。
すると、初めから、天命を先に信じていることになる。
親鸞の場合は、救われた、悟りが先にあって、けど、煩悩にまみれて、喜べない。
努力して悟るというより、阿弥陀の呼びかけがあるから、それに応える、これが救い。
これじゃ、誰でも分からないや。
さてさて、昨日の朝からほとんど、何も飲み食いしてない、なんか、死んじゃうんじゃないかと思うけど、これ、煩悩のせい?
  1. 2016/07/24(日) 10:45:19 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

悪人正機を、煩悩即菩提でくるんで、
やりたい放題ですやんw。
ありのまま、ってやつです。
>宗教は、カントもそうですが、総じて、人事を尽くして、天命を待つ。
>すると、初めから、天命を先に信じていることになる。
循環しますね~。
人事を尽くすことが大切で、
尽くせば、自ずと天命を待てる。
天命を待てるところまで、人事を尽くし切らなければならない、
なんてのは、循環論の自己満足。
>親鸞の場合は、救われた、悟りが先にあって、けど、煩悩にまみれて、喜べない。
中途半端やな~、ぐるぐる回っとるがな~w。
>努力して悟るというより、阿弥陀の呼びかけがあるから、それに応える、これが救い。
どっちが先だよw、抜け出せないよ~w。

>さてさて、昨日の朝からほとんど、何も飲み食いしてない、なんか、死んじゃうんじゃないかと思うけど、これ、煩悩のせい?
即身仏になるぞ~。
頭にブドウ糖を与えて、日暮れに散歩をする。
ポケモンGOの人たちに気をつけて。
  1. 2016/07/24(日) 11:29:31 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

ありのまま、というのは、自然法爾ですから、これまた概念が違う。
親鸞は、自分のこと書かないから、分からないのです〜。
日野家の武士の息子で、流罪にはなったけど、殺されなかったのは、朝廷の配慮があったと言われるけど、昔からの、親鸞伝説で、はっきりしたこと分からない。
ただ、親鸞が、晩年、和讃を沢山作っていたことは興味あるな。
我々が学生時代は、親鸞とパウロとか、親鸞とキルケゴールとかいろいろ出てましたが、そもそも、キリスト教的発想ー最後の審判の日にキリストが甦えって裁かれる、とは違うんだから。
しかも、ヨハネの黙示録では、わたしは直ぐ来る。とキリスト言っているのに、何時までも来ないじゃないか?
困りましたね〜。ポケモンが流行る訳だ。本当なら、キリストちょくちょく来て、裁いてくれないと、一度に大量に裁かれても、天国も地獄も対応できるかい。
  1. 2016/07/24(日) 12:01:16 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>ありのまま、というのは、自然法爾ですから、これまた概念が違う。
ふふふ、細かいなぁw。
そうそう、殺されない。
日蓮もそうやね、死にそうで死なない。

>親鸞とパウロとか、親鸞とキルケゴールとか
あるある、をやってたわけだ。
そんなものはダジャレみたいなもので、似てるだけかもしれない。
根っこで通じているのか、表層を滑っているのか区別がつかない。

>本当なら、キリストちょくちょく来て、裁いてくれないと、一度に大量に裁かれても、天国も地獄も対応できるかい。
うん、聖書も新作を出さないと、
サザエさんみたいな話しかできないなぁ。
モーツァルトも新曲を作らないと、
桑田佳祐に席巻されてしまう。
  1. 2016/07/24(日) 14:16:17 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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