馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

屈託する 1/x


同じ顔の、同じ目つきの、
同じ体型のクルマが、
同じ服を着て走っていることくらい、
みんな知っていて、
それを、つまらない、なんて言うけれど。

つまらなくても、利口な人なら、
こんなクルマを選んでしまうほどには、
馬鹿のフラグが立つことはない。
実際に馬鹿ができる人は、
並みの馬鹿ではないと思う。

    160422.jpg

すでに出来上がった枠組みの中で、
優劣をつけるのなら、
古いものは必ず劣る。
でも、炊飯器よりも、
鍋で炊くご飯が、僕には美味しい。

昔は良かった、ということではなく、
今でも、鍋で炊いたほうが美味いのだ。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年04月22日 22:14 |
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

コメント

青梗菜さん、こんばんは!!^^

キャンプで飯盒で作る時は付きっきりで作るけれども、それでもおかゆみたいになる時がございます。器具より水の量の方が大事じゃね?(きっとそういう記事内容ではないのだろう。m(__;m)
  1. 2016/04/23(土) 18:54:41 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

かっこいいなと僕が思うものは恐らく全て、
かっこいいを僕以外の誰かが想像し、
それを想像したその誰かが直感に関する天才で無い限り、
その誰かが僕の想像を超える地道な作業を当たり前のように積み重ねてようやく出来上がった、
どこかが巧妙に僕の常識から外れている何かが、かっこいい。

かっこいいは、必ずどこかが、いびつだと、僕は思う。
天才ならば、それをポコッと差し出してくれるし、
凡才が提出したものからは、
こんなちっぽけな出来事によくぞここまで積み重ねたものだなぁという、僕側からそれを迎えにいく気持ちが芽生える。
天才が辿る経路と、凡人が辿る経路には、
あまり違いが無い。
差は、経路に費やす時間の差だけだと、僕は思う。

瞬間的に結論が見える人も、
粘着力、執着力、まぁ人が考え得る人間的推進力の全てを傾けることが出来る人も、
僕はどちらも天才に見える。

人間が当たり前だと思っている表現を超えようという努力、
どこかいびつなものを表現したいというどうしようもない衝動、

その殆どが何かしら不自然なものを自然に付け加えるという、
人の頭の中だけに起こる行為であり、
その行為には必ず異常なものが自分以外の誰かに発見されてしまう。

発見された時、たった一度だけは必ず、孤独を感じる。
くどくど書いてしまったけど、
結局、自分の恥のいい訳みたいになってしまったw。
  1. 2016/04/23(土) 21:41:32 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>器具より水の量の方が大事じゃね?
米の品質も大事かな。
>(きっとそういう記事内容ではないのだろう。m(__;m)
うん、うまく言葉に置き換えられないわw。
  1. 2016/04/23(土) 22:47:16 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

まきがいさん、こんにちは。

ミニは天才の仕事ですね~。
アレック・イシゴニスが、
喫茶店で紙ナプキンに描いたスケッチで、
もうミニが出来上がっていました。

なぜ同じようなクルマが、
これだけたくさん必要かというと、
同じような考えの人が、
それだけたくさんいるからでしょうね。
それは、最大公約数的で、
すっかり既成になった枠組みです。
その中で優れたクルマを作ることは、
狭い視点をさらに狭くすることにほかならないから、
もっとも優れたクルマが、
もっとも凡庸なクルマになってしまいます。
つまらなさを目指して競争しているようなものです。

個性とか、独自性とか、多様性とか、
大人は嘘ばっかりだから、
子供は大人の言うことなんか聞きません。
子供は、道路や、電車や、
テレビの中の大人を真似るだけ。
学ぶことは、付和雷同、思考停止、
裏と表、本音と建前。

僕は真に受けているだけなのです。
個性とか、独自性とか、多様性とか、
そんな大人たちの冗談を、
本気にしてしまったのですわ♪
  1. 2016/04/23(土) 22:50:57 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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