馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

神の無理ゲー (。-`ω´-)ンー 1.c/x


『純粋理性批判』っぽく言えば、
神は唯一神になりそうだ。
複数の神がいるのなら、
決まるものも決まらない。
―― それは、カントには、当りまえのこと。

『実践理性批判』っぽく言えば、
神は唯一の神でなくてもいい。
どのみち、未来は決定されていない。
八百万(やおよろず)の神がいてもいい。
―― カントは、そんなことは言わないけれど。

僕の愚直な感想を言えば、
道徳が神を要請するのなら、
その神は「道徳の神」と呼ぶべきだ。
道徳の神は、天体の運行を説明しない。
―― つまり、神の断片でしかない。

僕の純朴な思いつきを言えば、
道徳の神も、天文の神も、
フラクタルな相似形になる。
神々は、自己相似の形で遍在する。
―― だから、無限に神がいても調和する。

神は、葉っぱにも、水たまりにも、
天にも地にも、善人にも悪人にも行き渡り、
それは、無限に神が存在するとも言えるし、
それらが相似形を示すのなら、
―― 唯一神を成すとも言えるだろう。

もちろん、カントには、
多神教など、頭の片隅にもないけれど。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年03月26日 22:43 |
  2. | トラックバック:0
  3. | コメント:6

コメント

青梗菜さん、こんばんは!!^^

純粋と実践はやはり?ちがうのか。フラクタル、検索させていただきました。言葉としてしか知らなかったのですが、調べてもあまり全然わからぬ。m(__;m
  1. 2016/03/27(日) 00:04:05 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>純粋と実践はやはり?ちがうのか。
純粋は「世界」で、実践は、「社会」、
実践は、世間、人の世の中。
僕は、僕の社会、僕の世間しか知らないから、
曲解は、前提みたいなものですわ~。

フラクタル、僕も雰囲気だけw。
カントにフラクタルや多神教を持ち込むのは、
バグ技なんだろうな~。
  1. 2016/03/27(日) 11:47:59 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

> 道徳が神を要請するのなら、
> その神は「道徳の神」と呼ぶべきだ。
なるほど。では、これを逆に考えて、
神を「宇宙の支配者なる神」と呼ぶのなら、
人間の権力者の支配欲が神を要請したのでしょう。
この神は天体の運行など説明しない。
ただただ神を愛せ、神に忠節を尽くせと要請します。

創世記には人間は神の像(イメージ)に造られたと書かれています。
神とは愛であり、憎しみであり、優しさであり、怒りでもあるのは、
人間の心が神の属性にフラクタクルに反映されていて、
人間のいわばスーパーヴァージョンが神であるからでしょう。
エメラルドタブレットに書かれているとおりです。
「下のものは上のもののごとく、上のものは下のもののごとし」
カントはまるで分からないので、すみませんね。
  1. 2016/03/27(日) 21:57:29 |
  2. URL |
  3. ☆バーソ☆ #IGPPA7yY
  4. [ 編集 ]

バーソさん、こんにちは。

カントにとっての神は、キリスト教の神だろうけど、
僕は、神はいる、と思っているくせに、宗教には懐疑的なのです。
とりあえず神と呼んでいるだけで、仏も含まれているし、
>ただただ神を愛せ、神に忠節を尽くせと要請します。
そんな要請には応えませんw。
カントはクリスチャンだからなぁ、
仏も、八百万の神も、問題にもされないな~。

>人間の心が神の属性にフラクタクルに反映されていて、
>人間のいわばスーパーヴァージョンが神であるからでしょう。
時間は、人が感じる時間のことで、
猫は、人が思う猫のことで、
神は、人が観る神のことで、
人は、何を観ても人なのだろうし、
人が理解可能なことがらを越えられないから、
全能の神は、全能でない僕たちによって、全能にはなれない。

>カントはまるで分からないので、すみませんね。
いえいえ、僕のカントはめちゃくちゃですよ~。
そのうち、詳しい人から苦言が来ると思いますw。
  1. 2016/03/27(日) 23:28:04 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

まず、理解の可能性がある…という前提がなければ、
どんなものに対してもコミュニケーションは成立しない。

この「どんなもの」の中に神が含まれていることを認識することが前提になるかと思います。

錬金術は積極的に自己変成を試み、
下の変成が上の状態を変成させることを了解していた。
金属の変成を行う人は、同時に自己の変成をも行っている。

『もし汝自身を神と同等であると思わなければ、神を理解することは出来ないだろう。類は類によってしか理解出来ぬものだからである。一切の物質的なものを、飛び越えよ。そしてあらゆる尺度を超えて神と同じ大きさにまで成長せよ。時間を超越せよ。永遠となれ。汝は不死であり、汝の思考力ですべてを把握出来ると考えよ。』

確か……ヘルメス文書の断片だったかな…うろ覚えですw
ある意味で厨二病だけど、
人が神を考えるのなら、
このくらいの前提を必要としないとどうしようもない……とは思います♪
ただし、この前提で他者と論を交わすことは難しいなあw

カントの著作を読むのも自己変成のためのひとつの材料…とも言えるかな…。
私は読んだことないのですけど…w

反駁コメントがあると面白いのに♪とは、いつも思いますな~。でも、汝自身をカントと同等であると思わないといけないからなあw
謙虚さも善し悪しだなあ。こんなんじゃ自己変成は遠いな(笑)
  1. 2016/03/28(月) 12:24:16 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

>まず、理解の可能性がある…という前提がなければ、
>どんなものに対してもコミュニケーションは成立しない。
>この「どんなもの」の中に神が含まれていることを認識することが前提になるかと思います。
各宗教の教義を言い立て合っても、もの別れに終わります。
問題は、多様な教義が在り得るということであって、
それぞれが主張する神が正しいかどうかではありません。
そんなものは確かめるすべなんてない、という理解、
そんな簡単な前提も難しいなw。

>もし汝自身を神と同等であると思わなければ、神を理解することは出来ないだろう。
そこに向かわなければならないけれど、
神と同じ大きさとか、時間の超越とか、問いの立て方も分からないw。
>汝の思考力ですべてを把握出来ると考えよ。
うん、論理的に解ける問いなら、問いの中に答が隠されているもんなぁ。
でも、すべて把握できると考えるのは矛盾があるぞ~。
神の超越性がなくなれば、誰もそれを神とは呼ばない。
そして、
>神と同等であると思わなければ、
これは厨二ですわw。
なぜ、神と同等にならなければ、としなかったのか。
自分が神になってしまったら、元の自分がいなくなるからですね~。
加えて、神もいなくなる。
神が複数いるなら、さらにそれらを見渡す視点が求められます。
つまり、まだ神ではない。
すると自分は戻ってくるけど、神が遠ざかる。

>反駁コメントがあると面白いのに♪とは、いつも思いますな~。
そうそう、おれはこう思う、ってやつね。
カントはこう思ってた、ってやつなら、僕の勉強不足で終わり。
たまに来る反駁は、僕の書いたものに反駁したいのではなくて、
僕そのものに反駁したがってる、
なんだか、そんな感じです。
  1. 2016/03/28(月) 23:16:21 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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