馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

詩論 ―― 子供仮説 (`ω´)キリッ 2/x


あるいは、大人が子供に取り憑いて、
子供を殺して、身体を奪い、
そのまま逃げ切るつもりになっている。


    ふり返ってみれば、
    子供は子供が思っているほど子供ではなかったし、
    大人は子供が思っていたほど大人ではなかった。

    しかし、それは大人になってから思うこと。
    大人の僕が、子供の頃の僕を捉え直すなら、
    大人と子供の差異は小さくなって当然だ。

    今、僕が子供の頃の僕を想い返すなら、
    それは子供の頃の僕ではなく、
    大人の思考で考える小さな大人でしかない。

    子供の頃の僕は、この世界のどこにもいない。
    その理由は、ひとつだけ、
    僕が大人になってしまったから。


    子供の頃の僕は、大人の僕に想い起こされて、
    歪められて、書き換えられても、反論を許されない。
    まるで死者のような扱いを受けている。

    この世界のどこにもいなくなって、
    死者のように扱われるとは、どういうことだろう。
    僕は、どこまでも鈍感にできているらしい。

    僕のほかに、誰が殺せるのか。



テーマ:詩・想 - ジャンル:小説・文学

  1. 2016年03月04日 20:14 |
  2. 詩論
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

コメント

青梗菜さん、

>子供の頃の僕は、この世界のどこにもいない。
アラトゥエの頃の僕は、いるのかなあ?^^;
  1. 2016/03/05(土) 11:18:27 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

> 子供の頃の僕は、この世界のどこにもいない。
> その理由は、ひとつだけ、
> 僕が大人になってしまったから。
人間には誰もが、自分の内部に、普段は気づいてないが、
子どもの頃の自分が残っていると言われます。
特に幼い頃に傷つけられた経験があるような場合は、
その傷が癒されないままになっていて、
大人の自分に精神的な悪さをしているそうです。

しかしこうして子どもの頃を思って文章にするというのは、
子どものころが懐かしい、良かった、ということでしょう。

その子どもの頃の自分がこの世界のどこにもいない
というのは、つらい悲しい経験などなかったということを
示唆しているようにも思えます。
青梗菜さんは、いい少年時代を過ごしたんじゃないですか。

私は、小5のときに東京に出てきてからは極貧を経験したので、
それ以前の少年時代、幼年時代なら懐かしく思えます。
小鮒釣りし彼の川~のような記憶がうっすらと残っています。
海岸のそばに住んでいたので、小さなフグをよく釣りました。
あれは陸に上げると、ぷくーっと真ん丸に膨れ上がるのです。
心の中に相当不満と怒りがあったのでしょうか。
だから体に毒が溜まったのでしょうか。
  1. 2016/03/05(土) 15:19:24 |
  2. URL |
  3. ☆バーソ☆ #IGPPA7yY
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>>子供の頃の僕は、この世界のどこにもいない。
>アラトゥエの頃の僕は、いるのかなあ?^^;
いません。
世の中、どこを見渡しても、オヤジしかいない。
オヤジの空の下、オヤジの桜が咲く、オヤジの春は遠からじ。
  1. 2016/03/05(土) 20:50:22 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

バーソさん、こんにちは。

>人間には誰もが、自分の内部に、普段は気づいてないが、
>子どもの頃の自分が残っていると言われます。
はい、残っていないと自己同一性が保てない。
いつもの通り、僕は妙ちくりんなことを書いてますw。

子供は、自分が子供だってことを知らないから、
―― もちろん知っているのですけど、子供しか知らないから、
世の中には子供しかいなかったわけです。
魂はひとつ、世界にあるのは子供の魂だけ。
「ベルリン・天使の詩」のペーター・ハントケの詩は、
たぶんそんな意味だと思ってます。

    子供は子供だった頃
    自分が子供とは知らず
    すべてに魂があり 魂はひとつと思った
    子供は子供だった頃
    なにも考えず 癖もなにもなく
    あぐらをかいたり とびはねたり
    小さな頭に 大きなつむじ
    カメラを向けても 知らぬ顔

小学1年生かな~、大人を発見したのは。
同時に子供を発見して、子供になる。
大人というものが少しでも分かる、
つまり、大人になりかかってから子供になるのは、
ちょっとだけ矛盾です。

僕は、完全にひねくれていますからw、
子どもの頃の気持ちを忘れないで、とか、
子どもたちの笑顔を守る、とか、
そんなもの言いが、すんごい苦手です。
そんなもの言いの人たちに、
僕が、優しくない、鈍感で、かわいそうな大人と呼ばれるなら、
はいはい、その通り、あっさり認めます!
  1. 2016/03/05(土) 20:52:22 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

子供の頃を殺'せないことで大人として生きづらくなる。それは心のお医者に掛かることになる。

臨床心理学だか何だかによれば
子供の頃に与えて貰えなかった愛情は
恋人から与えられる愛情で埋めることが出来るそうです。大人になった後からでも。

恋人というのは、互いを子供として扱う…と言うか…互いの子供の頃の部分を受容し甦らせ、その頃の愛情の欠如を埋めることが出来る特殊な存在だと感じる。

詩人が恋人を謳う理由は、恋人が『大人である詩人の子供の頃を受容する存在』だから……かなあ。

そして、恋人だけではなくて、
自分の子供の頃を受容してくれる存在ならば、何であれ
それを詩人は謳う。

私も
伝わる、伝わってくる
なんて、たまにしか思わないけど
伝えたい、伝わってこいっ
などとは頻繁に思うなあw

そう、誰も殺'すことは出来ない。
そして、誰も生かすことは出来ない。
子供の頃の自分に手が届いているのではないか……そんな風に思えることがあるなら
子供の頃の自分に愛情を注げる第一の存在は大人になった自分だ。
自分を謳う。
それは自分という子供に向けているのか……?
などと考えました♪

  1. 2016/03/06(日) 09:07:03 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

子供の頃の僕とは、ときどき会いますわ~。
たいていは、砂場か、楠の下か、土手の斜面で、
独りで地面と遊んでます。
雨が降ったら、本を読んでます。
もう百回も読み返した本なのになぁ。

>子供の頃の自分に手が届いているのではないか……そんな風に思えることがあるなら
>子供の頃の自分に愛情を注げる第一の存在は大人になった自分だ。
僕は子供の頃の自分に、質問攻めにされるときがあって、
そいつが納得する答ってすんごい難しい。
例えば、鳥はなぜ飛ぶのか、なんて訊いてくる。
空気を後方に押し出して、身体を浮かせて、
なんて答えると、それで?
って訊いてくる。
苦し紛れに、翼と空があるのなら、鳥が飛ぶのは宿命だ、
って答えると、それいいね、って言ってくれます。
こんなのも、子供のディスクールなのかなぁ。
他人が考える鳥が飛ぶ理由ではなくて、
僕が考える飛ぶ理由を教えてくれ、と言っている。
でなければ、僕なんかに訊くものか!w

>それは自分という子供に向けているのか……?
大人の僕が自分に引き寄せて考えた答を、
子供の僕が求めている。
ややこしいな~、
心のお医者なら、病名をつけてくれるかなぁ。
  1. 2016/03/06(日) 19:48:45 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック URL
http://qinggengcai.blog2.fc2.com/tb.php/1085-76cac6fa
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)