tetsugaku poet
僕が馬鹿だとしても、
誰にも気づかれることはなかった。
その能力の不備をごまかすことは、
とても容易(たやす)いことだった。
僕が能力を欠いていること、
つまり、気持ちが僕に伝わっていないことは、
誰も前提にすることはなかったから、
僕は、僕の能力の欠如を隠すだけでよかった。
僕たちは、伝わっていることを前提にする。
それは前提だから、確認はされない。
僕は、伝わっているふりさえする必要はなく、
何もせずに、黙っていればよかった。
国語の時間では、例えば、
楽しかった、悲しかった、くやしかった、
そんな単純な気持ちを文脈に照らして、
機械的に当てはめればよかった。
何を見ているのか、何が伝わったのか、
それらは簡単に確認し合える。
どんなふうに見えるのか、
どんなふうに伝わったのか、
そんな確認は、僕だけでなく、
誰にとっても容易ではないらしい。
どんな楽しさなのか、どんな悲しさなのか、
それを問われると、僕はもうごまかせなくなるけれど。
告白しよう。
僕は、今でも、他人の気持ちなんて分からない。
テーマ:自作詩 - ジャンル:小説・文学
- 2016年02月29日 20:31 |
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