馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

詩論 (`ω´)キリッ 2/x


詩を定義することは困難で、
詩の本質は問いになる。
読み手には、詩の成否が問われている。

不成立に終わったとしても、
書き手のせいではなく、
もちろん読み手のせいでもない。

読み手によって読み解かれ、
何行かの感性的な交信の後に、
読み手に詩が成立すればいい。

詩とは何かという問いに、
詩で答えている文章を、僕は詩と呼ぼう。



テーマ:自作詩 - ジャンル:小説・文学

  1. 2016年01月18日 12:14 |
  2. 詩論
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

詩を読むためには
辞書に載っている意味を脇へ避け
自らの「壮大な魂の記憶」を
こじ開けなければならない。
それは自らの故郷を読むことなのだっ。

詩の言葉は底無しの容器。
言葉の並べ方により、言葉の意味を奪い、
別の意味を容れる。
ジャムの壜からジャムを追い出し、
ラピスラズリと泥を容れる。
しかし、それはジャムの壜である。

詩を読むとき、読み手は自らの故郷(それは読み手自身の全世界であり、読み手自身の全ての時空間と全ての魂魄)へアクセスすることを要求される。リンクが蜘蛛の巣のように張り廻らされていることに気付くかどうかは、やはり読み手次第になる。
リンクをリンクだと認識するのか、しないのか。
読み手を幻視者にするのが詩であり、書き手は幻視者であることが求められる…
と考える。

しかし、これは小説でも同様。
詩を詩たらしめることは、形式と、やはりメロディーなのでしょう。宣言によるカテゴライズも必須。

朔太郎のいう
自由詩を詩にしているのは「メロヂカル」だ、
なんてのは、読み手に依存してるものですよね(笑)
読み手がメロディーを感じるためには故郷へのアクセスが必要。

山頭火のは、今だったらTwitterで埋もれてゆく表現だと感じるなあ。詩的に上手く呟く人は、沢山いる。
これも読み手に依存している。

二人とも自由にやってる。
そこにメロヂカルがあるか? ないか?
でもまあ、詩人は、
やりたいようにやるだけなんですけどね~(笑)
ワガママな人種だ。読み手に分かれと要求する(笑)

  1. 2016/01/18(月) 17:24:33 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

>辞書に載っている意味を脇へ避け
>自らの「壮大な魂の記憶」を
>こじ開けなければならない。
さて、そこです。
10人のうち8人と記憶を共有していることがらは、
どんな言い回しも使い倒されていて、陳腐化させられています。
誰にでも思い当たるようなことがらに、
詩のかたちを借りてくる意味はありません。
5人くらいの人の記憶に残っているなら、
2、3人の人に気づいてもらえるような、
2、3人の人の記憶に残っているなら、
全員に気づいてもらえるような、
いずれにしても、10人のうち2、3人とアクセスするのが、
ちょうどいい加減だと思います。

>リンクが蜘蛛の巣のように張り廻らされていることに気付くかどうかは、やはり読み手次第になる。
言葉の並べ方は、コードの進行で、
多義性に隠された、裏の意味が揃っていたり、
同じ背景を連れてきたり、同じ色相が誘い合ったり、
明度や彩度で交わっていたり、
書かれた文章が、次の単語を規定して、
繰り返したり、繰り返しを避けたりしながら、
容器を満たして、なかみを入れ替えるわけです。
このアドリブで、不安定な音を連打したら、
必ず落ち着く音を探そうとするし、
リズムを外したら、確実に戻そうとします。
かわいくて、笑えるところです。

結論を書き出しにリンクさせて、
テーマに戻って結んだり、
起承転に、成否、不成立、成立を配置したり、
そんな分かりやすいレトリックについては、
>ワガママな人種だ。読み手に分かれと要求する(笑)
  1. 2016/01/18(月) 19:48:25 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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