馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

詩論 (`ω´)キリッ 1/x


リズムとコードによって、
詩を纏(まと)った言葉は、
読み手を詩に誘う。

散文的な文章から離れた、
詩に色づけられた文章を読むことで、
読み手は詩を読み始める。

言葉や文章なのに、
言葉や文章では語れない、
そんな感情が、読み手に生まれたなら、

どうやらその文章は、
詩であったらしい。



テーマ:自作詩 - ジャンル:小説・文学

  1. 2016年01月17日 14:57 |
  2. 詩論
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

コメント

青梗菜さんこんばんは!!^^

僕は高村光太郎の道程と、杜甫の春望ぐらいしか思いつかないっす。^^;だがそんなのでなくても、なぜだかその文字列が詩だと思えちゃうことがありまする。思い付きで、ポエムには午後が似合うなんて思ったりしました。m(__;m
  1. 2016/01/17(日) 23:15:39 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

「道程」は、僕の前に道はなく、ってやつで、
「春望」は、国破れて山河あり、違うかもw。
>だがそんなのでなくても、なぜだかその文字列が詩だと思えちゃうことがありまする。
その謎を共有するのが、詩なのかもなぁ。

朝っぱらから書くものではありませんよね~w。
夜中に書かれて、朝に読み返されて、
ごみ箱に収まります。
詩とラブレターは、ほとんど同じ、
恥ずかしいものです。
  1. 2016/01/17(日) 23:51:09 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

> リズムとコードによって、
私は、おおむね型にはまらないほうが好きなほうです。
ですが、話がしやすいので山頭火の句を例にしますが、
  こんなにうまい水があふれてゐる
  まっすぐな道でさみしい
  笠も漏りだしたか
こんな句は、なんとも居心地の悪さを感じます。
五七五の定型を無視しているからではなく、
詠み手が、読むときの発声のリズム感を無視して、
思ったときのリズムでそのまま書いているのではないか、
と感じるからでしょう。

とはいえ、
  古池や蛙飛びこむ水の音
一見、どうってことのないことを、どうってことのない言葉で
詠んでいるのじゃないのか、と思えます。

小泉八雲の訳は直訳で、味わいがなさそうに見えます。
  Old pond / Frogs jumped in / Sound of water.

Harry Behnの訳は、味わいを出そうとして注解付きにしています。
  An old silent pond・・・
  A frog jumps into the pond, splash!
  Silence again.
しかし“Silence again.”は言わないのが俳句の奥深さでしょう。

詩や音楽、スポーツ、ゲームなどは、
ルールがあることによって成立し、面白くなっています。
人生も、なんらかの制約があるから面白い。
人の思いも、浅くないところにあるから面白い。
というようなことを思いました。

詩とは、自分の思いの深さを書いた言葉遊びである。
  1. 2016/01/18(月) 09:34:34 |
  2. URL |
  3. ☆バーソ☆ #IGPPA7yY
  4. [ 編集 ]

バーソさん、こんにちは。

詩論なんて、身のほど知らずなことは、
避けてきたのですけどね~。
(`ω´)キリッ、なんてものをくっつけておかないと、
恐くてできませんw。

定型なら分かりやすい型があって、
型があるから逸脱もできるけど、
でも、散文と詩の違いなんてないし、
もっといえば詩的な散文と散文詩の違いなんて、
どっちが詩なのか分からないし、
では、詩らしさはどこから来るのかなぁ、
などと、このもどかしさが詩的です。

詩論でさえ、詩について書かれた詩でないと、
伝えたいもどかしさが現れてこない、
詩とは、そんなものだと思っています。
  1. 2016/01/18(月) 11:52:00 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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