馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

ラカン 11/xx ―― 愛とは、持っていないものを与えることである


恋の始まりにおいては、ことさらに、
恋は、演劇性を求められる。
つまり、デートをして、手をつないで、
キスをして、エッチをする。

それらが演劇でないとしたら、
誰もが、おおよそ順番を守り、
誰もが、おおよそ同じ行為をする、
その理由が見つからない。


テレビや、映画や、漫画や、小説や、
誰かから聞いた話や、流行りの歌や。
僕たちは、よくある台詞と、よくある所作で、
よくある演劇を再現する。

誰もが同じ行為をするから、
役者がなにを演じているかが分かる。
役者は、観客を模倣し、
観客は、役者を模倣する。



例えば、自転車に乗る、駅までの道を歩く、
日常の自然な行為においては、
行為の目的を意識すれば、
行為する身体は、意識しなくてもいい。

例えば、箸を使う、キーボードを打つ、
自分の身体を意識しなくても、
そんな高度なことができるのに、
彼女と、簡単に手をつなげない。

自分の身体の動静を、
意識することが非日常である。
僕は、自然に手をつなぐような、
身体性を持っていないことに気づく。

        愛とは、持っていないものを与えることである。
        ―― ジャック・ラカン


箸を使うことも、
キーボードを打つことも、
模倣から始まったが、
もう誰の真似もしなくていい。

日常の秩序を逸脱した、
ぎこちなかった身体も、
自然に手をつなげるようになると、
もう演技はいらなくなる。

        私は、私があなたに贈るものを拒絶してくれるようあなたに頼む。
        なぜならそれではないのだから。
        ―― ジャック・ラカン

もう誰の真似もしなくていい。
彼女と手をつなぐことは、
僕の日常の中に、
秩序化されている。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2015年12月08日 12:51 |
  2. 恋愛
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

コメント

知識の量同士を比べても、まるでしかたないけれど、
明らかに自分より、自分の知らない知識の量が多い人がいて、
それはとても素晴らしいことだと僕は思います。
その人はその人なりに、
自分が興味をもったものを追求した結果であって、
興味が違うならば、その量を比べる事は、無意味でしょう。
興味がたくさんあって、
それぞれをそれぞれに追求して、
膨大な知識の量を持っている人も、いるのかもしれない。
でも、
例えば、僕なりに一生懸命考えていることがあったとして、
それに対抗するものは、
僕以外の誰かなりに一生懸命考えていることしかありえない。
一生懸命になるという意欲は、比べられない。
青梗菜さんは、ここで、ラカンさんを提示されているけど、
それは、繋ぐための、ツールでしょう。
僕が考えている世界と、
青梗菜さんや、他の人が考えている世界を繋ぐもの。
世界と、世界をぶつけて生まれる世界が、
壊れた世界だろうが、新しい世界であろうが、
繋げようとするツールを示すには、
とんでもない努力が必要であって、
僕はそういった表現が、とても好きです。

人が考える、理由無く存在するもの。
そこに、あるもの。
そのままのあなた。私。

僕はラカンの表現のことは青梗菜さんのブログに表現されている事以外は知らないけど、

愛を語っちゃうね。
繋がりだ。暴言だとしても、しかたないな。
  1. 2015/12/08(火) 22:22:36 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

まきがいさん、こんにちは。

>知識の量同士を比べても、まるでしかたないけれど、
>明らかに自分より、自分の知らない知識の量が多い人がいて、
>それはとても素晴らしいことだと僕は思います。
うん、僕は、ついこの前、
学びが少なく、知識の絶対量が貧しい人間と、
罵倒されたばかりだからなぁ~w。
僕も、知識の量があることは、素晴らしいことだと思います。
でも、他人が馬鹿に思えてくるほどの、
知識の量なら欲しくないわ~。

>例えば、僕なりに一生懸命考えていることがあったとして、
>それに対抗するものは、
>僕以外の誰かなりに一生懸命考えていることしかありえない。
>一生懸命になるという意欲は、比べられない。
考えている人は、考えている人のことが分かるよね~。
でも、考えるから、馬鹿にされるんだな~。
教わった1つのことを正解にしている人は、利口なんだろうな。
こんな演劇と身体性の思いつきは、
ぜんぜんラカンではないけれど、
―― 当りまえです、僕はラカンではないのですから!
正解が1つだから、考えれば考えるほど馬鹿にされる。
でも、正解なんて、いくつもあるよね~。

>それは、繋ぐための、ツールでしょう。
>僕が考えている世界と、
>青梗菜さんや、他の人が考えている世界を繋ぐもの。
多様性を認める人は、
多様性を認めない多様性も、
多様性として認めることになる。
正解がいくつもあると思っている人は、
みんなが思う正解も、
もちろん正解として認めている。
独りで誤読を積み重ねることは、
多様性を認めることと同義だと思っています。

誰かが僕にくれた優しさを、
世の中に落とし込んで済ますのはいやだな~。
自分の優しさを、他人の判断に委ねるのもいやだ。
誰かが僕にくれた愛も、自分の愛も、
他人に語らせる前に、
一生懸命に考えて、自分で語らなきゃです。
考えることは権利ですが、
優しさや愛について考えることは、
ほとんど、義務ですわ。
  1. 2015/12/08(火) 23:24:02 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

青梗菜さん、こんばんは!!^^

>僕は、自然に手をつなぐような、
>身体性を持っていないことに気づく。
彼女が、彼女も持っていない、自然に手をつなぐような身体性を「僕」に与えること?が(彼女の「僕」に対する?)愛だと、ラカンさんが言っているのだと青梗菜さんは思いますか?

>自然に手をつなげるようになると、
>もう演技はいらなくなる。
彼女は、彼女が「僕」に贈った、自然に手をつなぐような身体性を拒絶するように「僕」に頼む。と、ラカンさんが言っているのだと青梗菜さんは思いますか?

ここで、「自然に手をつなぐような身体性を拒絶する」という意味・内容は、演技時代に戻れと言う意味でなく、慣れた先に行きなさい、なぜなら、自然に手をつなぐような身体性は愛ではないのだから、という意味でしょうか?m(__;m
  1. 2015/12/10(木) 00:20:37 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

多様性として自分の愛を考えると
相対的…ってところが…やはり出てくるのかな。

オートマチックと絶対性の相関に引っ張られるなあw
二人並んだら無意識に手を繋いでる。
これを意識の表層に引き上げることが考えることになるのだろうけど、それはオートマチズムが壊れた状態を惹き起こす。相対化してしまう。
愛が欠乏してなければ愛は考えられることがない…。つまり青梗菜さんが言ってたのと同じか…うーむ。

恋愛の盲目性というのは、よく言われているけど
それでもはっきりと見ようとしたとき
愛は欠乏してしまうのだろうか…。

まあ、いろいろ考えても
好きな人といるときは、盲目というか
強烈なバイアスが掛かってて
それが紡ぎ出すイメージに全身全霊が乗っ取られる(笑)

前のやりとり、読みましたよw
知識の絶対量は誰も差がないのにな~w
学者さんは、例えば、哲学の知識とアイドルグループの知識に高級と低俗を設定してるんだな~w
自分の知らない知識は知識じゃない…って思ってる。自分が知らない思考方法を思考方法だと認識出来ない。

学者さんは私の手の指が何本かも知らないし、知ろうともしない。
私も学者さんの手の指が何本か知ろうともしないし、知らない。
でも、どちらも10本ではないのかも知れない…10本ではない例も多分にある…などと思い始めたとき、そこに「学び」や「思考」があるのだと思います♪
手の指は大概10本だから10本だろう、解剖生理学の文献では10本だったから間違いない…
これでは……知識以前ですね。
まず自分の指を数えなきゃならないなあ(笑)

  1. 2015/12/10(木) 01:18:33 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>僕は、自然に手をつなぐような、
>身体性を持っていないことに気づく。
愛とは、(僕がまだ)持っていない(自然に手をつなぐ身体性という)ものを与えることである。

>自然に手をつなげるようになると、
>もう演技はいらなくなる。
私は、私があなたに贈る(ぎこちない身体性という)ものを拒絶してくれるようあなたに頼む。
なぜならそれではないのだから。
って意図でした。

ラカンさんは、そんなことは言っていないので、
僕の読み間違いになります。
自由な読み間違いを許さない立場を取る人からは、
何度も読み間違いを試みるなんて、狂気の沙汰でしょう。
まきがいさんのコメントがお洒落ですなぁ、
手も、ラカンの言葉も、コメントも、その返しも、
つなぐための、ツールです。

>ここで、「自然に手をつなぐような身体性を拒絶する」という意味・内容は、演技時代に戻れと言う意味でなく、慣れた先に行きなさい、なぜなら、自然に手をつなぐような身体性は愛ではないのだから、という意味でしょうか?m(__;m
難しいなぁ!w
>慣れた先に行きなさい、
がたおさん、かっこいいっ!♪
はい、慣れた先に行きなさい、だと考えます。
自然に手をつなぐような身体性は、
もう誰の真似もせずに、二人で先に行きなさい、だと考えます。
  1. 2015/12/10(木) 11:58:41 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

>好きな人といるときは、盲目というか
>強烈なバイアスが掛かってて
>それが紡ぎ出すイメージに全身全霊が乗っ取られる(笑)
うん、恋に寄生されると、制御は不能、
宿主は連れ去られます。
  由良の門を渡る舟人かぢをたえ
  ゆくへも知らぬ恋の道かな
  ―― 曽禰好忠、お見事っ、天才っ!♪

学者さんは、ラカンぽく言うと、
「子供のディスクール」なんだと思う。
So fuckin' what? って言いたいのですよ、
―― fuckin' が余計ですけどw。

「お山の大将」って、井の中の蛙みたいな意味だと思ってましたが、
たぶん違うのですわ。
うちのコメント欄って、みんなで「青梗菜ゲーム」をしているのですw。
学者さんは、ラカンぽく言うと、「ゲームに遅れて来た」わけです。
コメント欄を読むことは、
ルールを知らないで、ゲームに参加することになります。
ルールをすぐに理解できる人は、
放課後や、アトラクションの待ち時間や、居酒屋で、
「青梗菜ゲーム」をしている人で、
僕は、なにも特異なことをしているわけではないことを知っています。
僕が、ローカルの仲よしグループのルールを規定しているように思ったから、
「お山の大将」だったわけです、たぶん。

>学者さんは、例えば、哲学の知識とアイドルグループの知識に高級と低俗を設定してるんだな~w
哲学の知識なんて、カジュアルなものにして、
日常で、身の周りで使わないと、なんのための知識ですか~。
それに、僕を作っているのは、哲学の知識よりも、低俗なことばかりです♪
カントやヘーゲルよりも、テレビの連ドラに影響を受けているに決まってます。
ヘルダーリンやパウル・ツェランよりも、桑田佳祐や草野マサムネ、
みすず書房よりも、英知出版、
トリュフォーやルコントよりも、加藤鷹です、宇宙企画です。
どんなに高級な知識が投入されても、
僕の低俗なクラムチャウダーに溶け込んでしまいますよっ。

>まず自分の指を数えなきゃならないなあ(笑)
抽象的に、客観的にね。
例えば、指が12本だったら、って話から始められる人に、
僕は、憧れと敬意を持ちます。

>自分の知らない知識は知識じゃない…って思ってる。自分が知らない思考方法を思考方法だと認識出来ない。
違う思考方法が認識できないのは、笑いにつながります。
アメリカン・ジョークを。
  「やぁボブ、しばらく見ないうちに変わったな。
  髪も白髪になってるし、眼鏡までかけて、
  おまけに太った」
  「すみませんが、私はボブではありません」
  「名前まで変わったのか!」
  1. 2015/12/10(木) 12:01:31 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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