馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

ラカン 8/x ―― 私があなたに贈るものを拒絶してくれるように頼む


        私は、私があなたに贈るものを拒絶してくれるようあなたに頼む。
        なぜならそれではないのだから。
        ―― ジャック・ラカン



嫌いな隣人を、好きになることはできない。
好きになれないから、
その隣人を嫌いになっている。
できないことをしようとしても、仕方がない。
それでも、その隣人に愛を与えるなら、
自己犠牲を伴うことになるだろう。
―― 隣人を愛せよ。
マタイ、22、39


自己犠牲は、正義ではない。
自己犠牲は、自己に向ける不正にほかならない。
嫌いな隣人を愛せば、自分が壊れる。
それは、正義が解消できない対立を無効にするが、
僕たちの正義は、
自己犠牲に頼ることを許さない。
しかし、正義が許さない自己への不正を、
他者に向ける愛は許すだろう。


自己犠牲と愛が巡るのは苦しい。
もっと手放しの愛がいい。
でも、誰だって、
感受性や価値観が同じ人となら、
愛せよ、と命ぜられるまでもなく、
愛さずにはいられない。
愛が問題になるのは、いつも、
愛せない人に対してである。


好きになることはできない。
嫌いなままでいるしかない。
嫌いな人に、自己犠牲が混じった愛など、
贈りたくはないが、
それでも、僕たちは、嫌いな人とも、
共に生きていくしかない。
正義を歪めて、愛を贈るから、
どうか、自己犠牲に気づかずにいてほしい。


贈りたいものは、自己犠牲ではない。
自らを捨てて贈るが、
卑屈になるつもりはない。
分かり合えない者たちと、
共に生きていくために、愛を贈る。
くやしいけれど、
欲しいものは、まず自分から与えないと、
得ることはできないから。


愛は平和ではない。
愛は戦いである。
武器の代わりが誠実であるだけで、
それは地上における、
最も激しい、厳しい、
自らを捨ててかからねばならぬ戦いである。
わが子よ、このことを覚えておきなさい。
―― ジャワハルラール・ネルー


ただし、嫌ったままでいる。
感受性は、譲り渡さない。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2015年12月03日 19:31 |
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  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

> 自己犠牲は、正義ではない。
> 嫌いな隣人を愛せば、自分が壊れる。
クリスチャンが読んだら怒り出しそうな言葉ですね。
でもこういう言い方で始まる論議が面白いのでしょう。
でもね、

> くやしいけれど、
> 欲しいものは、まず自分から与えないと、
> 得ることはできないから。

ほう、そうですか。「得る」ために「与える」のですか。
ま、それはいいとして、
その行為を「くやしい」と思う心理は何なんでしょう。
嫌いな人を嫌っていて、その感受性は譲り渡さないのに
それに反するようなことをするというのが、
自分としては内心「くやしい」ということなんでしょうか。
という疑問をふっと思いついたのですが。

あ、いや、
> それでも、僕たちは、嫌いな人とも、
> 共に生きていくしかない。
こういうことですかね。

あー、生きていくのは葛藤だらけ。
結構毛だらけ、猫灰だらけ。
と、つい言ってしまいました。
  1. 2015/12/05(土) 11:05:53 |
  2. URL |
  3. ☆バーソ☆ #IGPPA7yY
  4. [ 編集 ]

バーソさん、こんにちは。

>>自己犠牲は、正義ではない。
>>嫌いな隣人を愛せば、自分が壊れる。
>クリスチャンが読んだら怒り出しそうな言葉ですね。
ったく~ww、怖いもの知らずですみませんっ。
でも、正直な感想なんだなぁ。

>>くやしいけれど、
>>欲しいものは、まず自分から与えないと、
>>得ることはできないから。
>その行為を「くやしい」と思う心理は何なんでしょう。
くやしいのは、相手に葛藤が伝わらないからでしょうか。
自分を歪めていることを、
偉かったね~、とか言ってもらいながら、
誰かに頭をなでてほしいわけですw。
ある他者が、心を寄せて感じてくれる、
この他者がいれば、自分が壊れなくてもすみそうです。
  1. 2015/12/05(土) 12:54:58 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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