馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

それを、愛と呼べ


僕たちは、うまくやろうとして、
たいしてうまくはできない。
立派なことなんて、とてもできない。
できる気がしない。

どちらかといえば、誰かを、
がっかりさせてしまうことばかり。
喜んでほしかったのに、
逆に、悲しませてしまうこともあるくらい。


だから、語られなかった思い、
伝えられなかった思いが、
数限りなくあることを、
僕たちは知っている。

知ることができない、
深い愛がこめられた物語が、
数限りなくあったことを、
僕たちは信じている。


愛と呼ぶには、みっともなくて、
少し悲しいくらいに示されるもの。
こんなところには愛なんてないと、
冷笑とともに見過ごされるもの。

それを、愛と呼べ。


それらを拾い上げることで、
僕たちは、数限りない、
僕たちに知らされていない物語への信仰を、
強くすることができるだろう。

それを、愛と呼べ。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2015年11月09日 20:07 |
  2. 恋愛
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:12

コメント

ああ、またここで、いけないことを口走ってしまうのか^^。
懺悔の一種でしょうか。
小学校高学年の頃から、中学校卒業するまで、
たまたま自分に恋心を告白してくれた色々な先輩や後輩の女子に対して、
嬉しくも有り、受け入れるような、断らないような、非常に曖昧な形で、交換日記とか(非常に恥ずかしくて、内容は公開できません)、
なんかそういった曖昧な形でお付き合いをした結果、
自分が本当に好きになった女子には告白できないという、
捻じ曲がり具合が、更に捻じ曲がってしまい、
高校生になったとき以降、私は
「好きになった女子には必ず思いを伝える。」ということを、
勉強とかそういったことじゃなく第一義的に決心して決行し、
そのまま、現在に至るという、数奇な人生を送ってきました。
ふられた数は星屑のごとくですが、
たぶん、そっちのほうが後悔は少なかったのではないかと、
自分を納得させています。
好きな人には、好きだって、言ったほうがすっきりするんじゃないかな。
勿論、勇気は私なりに要りますが、それはポジティブと言うべき感情であって、肯定せざるを得ないな。今のところは。
そこに踏み込む勇気は、私は必要なことだと思うのだけれど。
嫌いも一緒ですが。
  1. 2015/11/09(月) 21:36:33 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

まきがいさん、こんにちは。

エガワトモコ事件をご存知でしょうか。
そうです、僕が、中学2年の2月、
1年生の女子から、500円のチョコをもらった事件です。

エガワトモコは、4人の友達とともに、
教室の廊下に現れ、僕のクラスの女子にチョコを託しました。
次の日、エガワトモコは5人の友達とともに、
僕に、交換日記をするよう要請してきました。
その次の日も、また友達を連れて、
交換日記を回収しに現れ、
それが、3学期が終わるまで続けられました。

僕は、最後まで、
毎日出没する女子の中の、
誰がエガワトモコなのかが分からないまま、
交換日記を続けていたことを、
いま、ここに告白したいと思います。
あ~あ~、いまさら、訊けないよ~!w

自分でもよく分かっていないことを、
自信たっぷりに書き連ねる能力は、
このときに培われたものと、
エガワトモコに感謝したいと思う次第です。
  1. 2015/11/09(月) 22:09:13 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

決まりましたねぇ〜
青梗菜さん、かっこいい〜っ
  1. 2015/11/10(火) 18:30:47 |
  2. URL |
  3. プラトニックまいまい #-
  4. [ 編集 ]

まいまいさん、こんにちは。

出回って、流通している愛を、
わざわざ愛なんて、呼んでやることもないもんね~。
愛は、悲しくて、くやしくて、涙が出そうなものですわ。
そして、埋もれてしまった愛に、
心を寄せて感じる誰かにも愛がある、
うん、かっこいいっw。
  1. 2015/11/10(火) 19:28:40 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

エガワトモコ事件かー。知ってるよ。(今ね。)後輩からか。500円か。

今気づきましたが、僕は妻と娘からしか2月のチョコもらったことがなかったです。片想いの思い出も愛なの?ふん。
  1. 2015/11/12(木) 05:43:06 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

エガ事(ry(写し、は僕も気がかりで、
その後、誕生日だったと思う、イヤリングを届けに行きましたよw、
小さな、銀の、三角の。
その日以来、会っていないから、
気がかり、ってのが人をつなぎ止めているんだな~。

片想いも、愛でいいと思います。
でも、一生、片想いだけでは、想像力に限界があります。
婚活でも、見合いでも、きっかけはなんでもいいから、
恋愛をすることで、片想いも恋愛になると思うのです(まじレス、おれ乙。

  経験ということは、たしかに人間には必要だと思うのですが、
  どんなに経験しても、人間というものは
  その経験を想像力のなかで造型できなかったら
  経験にならないわけです。―― 安部公房
  1. 2015/11/12(木) 12:01:24 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

以前読んだ精神分析の本にこんなことが書いてありました。
『最もひどい性的異常は純潔だ。元来使うように創られているものを使わないのは異常に他ならない……』云々w

パートナーとの性行為がヒステリーの治療に効果があることはよく知られているし、恋愛は性行為に行き着くのだから、そこまで行き着かない片想いは精神的にかなりのストレスだし、異常な状態。
やはり、片想いにも度合いというか……ポップと精神異常の差異というか……。

ポップな片想いというのは、友達と飲んで歌って泣いてすっきり諦めて次の相手に向かう。そして最後にサンキュとか言う♪

精神に異常を来す片想いというのは、誰にも会わずアルコールや薬物の依存症を伴い、独り言を繰り返し、やがて自死へ向かう。

このポップを『愛って言うな』という印象。
この精神異常を『愛と呼べ』ないな…という印象。

うん…それぞれが持ってる愛が『愛』だなあ。受け取って貰えない、或いは受け取って貰えなくなると『病』に変わる。
風邪気味だったり、不治だったり。
病にならないなら愛じゃなかったと言えるのかも知れないですね…。

  1. 2015/11/12(木) 14:09:14 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

>『最もひどい性的異常は純潔だ。元来使うように創られているものを使わないのは異常に他ならない……』云々w
いいね~っ、
これは痴漢の愛への、強力な援護射撃ではないか?w

>このポップを『愛って言うな』という印象。
>この精神異常を『愛と呼べ』ないな…という印象。
愛とは、
どうしようもなさ、不可能さへの肯定、
―― しかも、感情を伴った。

2週間ほどかけたのに、分からない、と言っているのと同じなんですけどね、
沈黙する地点までは、思うままに語ったほうがいいですよね。
理屈で好きになったわけでもないし、
思惑どおりに生きているわけではないけれど、
早々に言葉を放棄してしまうのは、正面から取り組んでいないと思う。
理屈ぢゃない、それで終わったほうが楽ちんで、間違いはないけれど。
愛は、理屈ぢゃない。
でも、それは語らないことではなく、
間違いを許容すること、
それが理屈ではないという意味だと思う。

正しさの保証なんて求めないし、
ここに来るみんなも、そんなものは容易に与えてくれない、
すばらしいな♪w
いて~くれて良かった~♪
  1. 2015/11/12(木) 18:08:23 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

今回はシリーズでいちばん分かりやすかった、
というより、私にはいちばん意味がとれた、
というか、いつもは難解で難解で、私には。(笑)

感想は、青梗菜さんって、
素直じゃないか、謙虚じゃないか、意外に、
ということです。(失礼)&(笑)

> それらを拾い上げることで、
この言葉に、人の繊細な感情に気づいている、
気づこうとしている、ということを感じましたね。

「恋愛は性行為に行き着く」って、
確かにそういうことが非常に多いと思いますが、
それは、そうなるものだという理屈もしくは常識を
人類の長い歴史のなかで教えられてきたからであって、
真正な恋愛の場合に絶対そうなるものなのでしょうかね。
してしまったら冷めてしまうことはないですかね。

なお、義理チョコはもらったことがありますが、
エガ事のようなチョコはもらったことがありません。
この種の風習には私の年代が合致しておらず、
従って想像力のなかに明確に造形できなかったゆえに
人生のシーンに事象として表出されなかったのかもしれない。
とまあ、書き方が移ってきましたよ。(笑)

補足。
「意外に」の言葉は、少し笑いをとるための
軽い冗談のつもりですからね。
逆説的に褒めているのですからね。
どうか気にしないで。念のため。
  1. 2015/11/14(土) 12:32:28 |
  2. URL |
  3. ☆バーソ☆ #IGPPA7yY
  4. [ 編集 ]

バーソさん、こんにちは。

>感想は、青梗菜さんって、
>素直じゃないか、謙虚じゃないか、意外に、
>ということです。(失礼)&(笑)
わははw、意外に、てw。

>>それらを拾い上げることで、
>この言葉に、人の繊細な感情に気づいている、
>気づこうとしている、ということを感じましたね。
わははw、僕も、稀にそんな気紛れを起こすことがありますw。
カンダタが、クモを踏みつけなかったような確率で。

>「恋愛は性行為に行き着く」って、
>確かにそういうことが非常に多いと思いますが、
>それは、そうなるものだという理屈もしくは常識を
>人類の長い歴史のなかで教えられてきたからであって、
>真正な恋愛の場合に絶対そうなるものなのでしょうかね。
僕には、恋愛と性行為は地続きなのですが、
等質なものではなく、異質なものとして分化されます。
実際には、恋愛と性行為が入り混じった、
未分化な恋愛をするわけですけどw。
片想いのほうが純度が高くなる、ってのも分かるし、
両想いでないと着かない底がある、って思うし、
性行為をしないと行けない地点がある、って思う。
>してしまったら冷めてしまうことはないですかね。
冷ますためにする、って人もいるだろうし、
そこまで行かないと落ちつかないときもある。
冷めて、思い出すこともなくなる相手もいるし、
一生、好きなのだろうな、と思わせる相手もいます。

彼女がどんな相手になるのか、
僕は、いつだって、正解を知りません。
後になって知ることになる、
つまり、歴史が教えてくれます。
がっかりさせてしまうことも、
悲しませてしまうことも、
つき合ったとしても、別れたとしても、
なにもかも、まだ始まったばかり、
って気がするのです。

>補足。
バーソさん、
もう、(失礼)&(笑)も、補足も要りませんからねっ!
  1. 2015/11/14(土) 14:26:04 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

真正は人には判断出来ないですよ~υ
もし、ある愛を真正だと人が判断するなら
他者に自己判断を押し付けるだけになります。
しかし押し付けないと愛は知られることなく消える。青梗菜さんは、そんな消えた愛を愛と呼べという。恋愛の初期の諸要素(性行為含む)は教え込まれた記号でしかないという。そのあたり、バーソさんのスタンスは青梗菜さんと合致しているように感じます。

新約、ヨハネの福音書、ぺテロの三度の否定の回復の場面。

ざっくり言えば、アガパオー(理性の愛)とフィレオー(支え合う双方向の愛)の違い。

ぺテロが何度も言う理性だけではない愛(フィレオー)の位置にイエスが最後には合わせたこと。
アガパオーを何度も示したイエスがぺテロから向けられたフィレオーを認めたこと。

私はこの場面がとても好きです。故に

真正の愛は決して、理性の愛だけではない。

と思います♪
これは私の判断です♪

まあ、痴漢云々が並んでしまうと、肌を触れ合うことに対して、もっと『否定されるべき』になりますね(笑)

痴漢の愛は双方向でない愛に思える。
一方通行に注ぐアガペーのようなものなのか?
痴漢の一方通行の愛が、真正の愛であることはあるのか?
どっちにしろ、自己申告…う~む。

  1. 2015/11/14(土) 16:05:31 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

>真正は人には判断出来ないですよ~υ
>もし、ある愛を真正だと人が判断するなら
>他者に自己判断を押し付けるだけになります。
御意っ。
僕は、いつだって、正解を知りません。
僕の行為の正しさは、事後的に判断されます。
がっかりさせてしまったり、悲しませてしまったり、
愛から始まったはずの、そんな不条理も、
後になって知ることになります。
サルトルっぽく言うと、歴史が行為の正否を裁決します。
埋もれてしまった愛の、悲しい結晶を掘り起こすのは、
文学の役割になるのでしょう。

>新約、ヨハネの福音書、ぺテロの三度の否定の回復の場面。
お~っ、「ぺテロ、弟子やめるってよ」の後に、
再び、「ぺテロ、漁師やめるってよ」が来るのですね~。
>これは私の判断です♪
いいなぁw、では、僕も、
僕の判断を♪

イエスは、ぺテロの行動を見切っていましたが、
それってね、僕には、単純な問いが浮かぶのです。
イエスがぺテロを信じていないのに、
どうしてぺテロがイエスを信じられるんだ?

裏切りは、信じる者がいるから裏切りが成り立ちます。
つまり、「信じる」がないところには「裏切り」もありません。
人を信じるから、人に裏切られるわけですが、
しかし、信じてくれるから、裏切れない、
一方で、そんな心性が働きます。
相手が弱いから、いじめるわけですけど、
一方で、相手が弱ければ弱いほど、いじめることができなくなります。

三度の肯定は、イエスがぺテロを肯定したのだと思うのです。
イエスがぺテロを信じて、後のことは丸投げにした。
信じてくれるから、裏切れない、
弱いから、強く出れない、
それらは、愛が作用していると言っていいのかなぁ。
痴漢の愛に欠けているものも、似ています。
好きだから手を出す、
好きだから手を出せない。

僕は、甘ったるいことを言ってるなぁ。
こんな末法の世の中では、
無抵抗の者にでも、等しく暴力が襲います。
  1. 2015/11/14(土) 19:45:19 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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