馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

愛、って言うな 8/9


        友達なら、最初から、
        交換不可能な関係を目指すことはない。
        替えがきかなくなってから、
        かけがえのない友達になったことに気づく。
        交換不可能になった関係が友達だが、
        それでも、入れ替わるのが友達といえる。

        間主体性、交換不可能性、単独性、
        それらは、それらを備えてからでないと語り得ない。
        では、それらを目指す恋愛には、
        思い込み ―― 虚構が必要になる。
        連ドラ、映画、小説、漫画、流行りの歌、
        それらの虚構は、虚構に寄与する。

        膨大な虚構のアーカイブにアクセスして、
        まだ、ここにはない交換不可能性が、
        近い将来にあると思い込まなければ、
        見切り発車はできないだろう。
        演劇性や虚構性は、
        恋にはすでに織込み済みである。



        恋の始まりにおいては、
        台本に沿った分かりやすい演技が求められる。
        僕が恋人役を演じているのに、
        相手が友達役や同僚役に徹しているのなら、
        僕の役どころは、片想いになる。
        それはそれで仕方がないことだが。

        恋愛が成り立てば、
        よくある恋人らしさはいらない。
        逆に、よくある、らしさを求めている限りは、
        お互いに、まだ交換可能だと言える。
        偶有性から、単独性に、引き上がっていない。
        恋人らしさとは、らしさを求めないことである。

        舞台に立ってのパフォーマンスが、
        台本 ―― 世間や、常識や、
        習慣や、思考の型、に拘束されていると、
        つまらない芝居になってしまう。
        だから、お互いに対しては、
        もう演技はいらない。

        演技の基本は、模倣だ。
        もう誰の真似もしなくていい。
        演劇、つまり、虚構は終わった。
        演技性パーソナリティ障害も治まり、
        虚言を呈することもなくなるだろう。
        自分を丸出しにはしないけれど。



とにかく、愛、って言葉が多すぎる。
混同される概念に、恋愛、があるから、
恋愛に関することがらを、
ふるいにかけてみよう。
ふるい落とされた残りの、
どこかに愛が見つかっただろうか。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2015年11月06日 12:47 |
  2. 恋愛
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

コメント

青梗菜さん、こんばんは!!^^

「愛って言うな」、大作っすねえーっ!!^^8/9、この記事を元に、これまでの流れを復習してみたよ。レレレのおじさんの声で「ムズカシイナァーッ。」って言いたいよ。ビール1本なんて軽く空けてしまったよ。m(__;m

※こんな私が失礼なことを書かさせていただきますがっっ!、7/Xは、いい詩だと感じました。m(__)m(小奈鳩ユウさんの真似ではないっす。)
  1. 2015/11/08(日) 02:49:45 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

電車は、2両編成、
バーベキューグリルは、緑色、
車は、イギリスの旧車で、
村上春樹ではなく、伊坂幸太郎。
僕なりに、愛、っていうよく分からないものの成分が、
紛れこんでいそうな選択をしているのですね~。

書き手が、電車を2両編成にしたことで、
そのイメージが背負っている膨大なテキスト群のパワーを借りる。
読み手は、2両編成電車アーカイブにアクセスして、
そこから愛を見つけて文章に戻ってくる。
瞬時にそれができる人は、
僕とよく似た愛の感覚を持っています。
それを愛とは言いませんけど、
僕と同じ指向性を備えたアンテナを、
ギンギンに尖らせて、愛を受信するのでしょう。

そのときに生まれるのが、詩だと思います。
僕の文章が詩になるのなら、
がたおさんが、詩人ですよっ!
  1. 2015/11/08(日) 10:31:32 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

無粋なことを言うようですが、
「世界で唯一の人になった誰か」に巡り遭える
機会は、いや、確率はどのぐらいのものなんでしょう。

一時的にそう思うことはけっこうあったとしても、
人生たかだか20年30年ぐらいで知り合える異性は、
総人口と比べると、ごくわずかな数値でしかないはず。

「かけがえのない」「交換不可能な存在」と思え、
運命的な出逢いから、恋が超越的な愛に昇華したとしても、
互いに演技をしないような素の関係になれば、
できれば交換可能であればいいと思うことも多々ありそう。

そうなれば、それも「運命」なのか。
恋という愛には、そういう波乱が標準装備されているのか。

じつはそういったことがらも、大きい目で見れば
「運命」であり、人生には織り込み済みなのだろう、
と私は思っているのですが。
  1. 2015/11/08(日) 17:23:08 |
  2. URL |
  3. ☆バーソ☆ #IGPPA7yY
  4. [ 編集 ]

バーソさん、こんにちは。

>「世界で唯一の人になった誰か」に巡り遭える
>機会は、いや、確率はどのぐらいのものなんでしょう。
世界で唯一の人が最初からいるわけではないので、
「将来、世界で唯一の人になる誰か」なら0%、
「すでに、世界で唯一の人になった誰か」なら100%、
「世界で唯一の人になれそうな誰か」なら運命的な確率で。

>じつはそういったことがらも、大きい目で見れば
>「運命」であり、人生には織り込み済みなのだろう、
>と私は思っているのですが。
たいして好きでもないのにつき合っている二人、
はっきり言って嫌いなのに別れない二人、
そんなカップルのほうが多いのかもしれませんよ~。
またいつか、世界で唯一の人になれる、
そんな思い込み ―― 虚構、幻想、可能性、に向けて、
もう一度、未来に自分を投げ込むことができれば、
それだけでじゅうぶんです。

できるかどうかは、運命だから、どっちでも。
個人的には、50年も60年も誰かと一緒にいるなんて、
人には無理なのではないか、と思ってます。
途中で2、3回は大嫌いにならないと、続けられないw。
有史以来、初めての事象ですから、
なにが起きているのかは、誰も知りませんw。
  1. 2015/11/08(日) 21:24:26 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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