馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

愛、って言うな 3/x


        恋の始まりにおいては、
        恋は、まだ恋ではない。
        よく言われる、恋に恋する、とは、
        交換不可能性に向ける幻想を意味する。
        まだここにはない交換不可能性に向けて自己を投げ込む、
        その試みは、投企と呼ばれる。

        そんな幻想を見させてくれる人、
        未来に向けて投企させてくれる人、
        そんな人なら、今はまだ、誰でもいい。
        この世界で唯一の、単独で特別な存在である僕を、
        単独で特別な存在と認めてくれたときに、
        その人は、世界で唯一の、単独で特別な存在になる。

        恋愛とは、交換可能性を、
        不可能性に変えていく過程だ。
        替えがきかない相手だったから、
        恋愛が成立したのではない。
        恋愛が成り立つことによって、
        替えがきかない相手だったことになる。

        恋愛とは、ほかの誰かでもよかったのに、
        ―― そんな偶有性から、
        特別な存在になってしまうこと、
        ―― そんな単独性に、転倒させる過程だ。
        僕には、僕が、単独な存在である以上、
        間主体的に、相手の単独性も保証されるだろう。

        偶有性から単独性に転倒しかかった他者には、
        自己の単独性を認めてほしい、
        ―― そんな思いを抱かせることじたいが、
        すでに単独性への転倒だ。
        恋愛は、自己を認めるか、認めないかを、
        他者に託した間主体的な行為といえる。

        恋愛は、他者への投企である。



  1. 2015年10月26日 12:03 |
  2. 恋愛
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

コメント

青梗菜さん、こんにちは!!^^

投企って投機と違うんですねぇ、もーぅっ!^^;

①末文を、「恋愛は、間主体的な投企である。」に置き換えると、どこがどうおかしいのだろうか。
②一目ぼれは過去の事に対してあとから意味づけしただけなのだろうか。
③クジャクのオスの羽を広げる求愛行動は他者への投企なのだろうか。
とか、思いました。m(__;m(まる投げ。スルー可。)
  1. 2015/10/26(月) 13:17:57 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>①末文を、「恋愛は、間主体的な投企である。」に置き換えると、どこがどうおかしいのだろうか。
恋愛が成立すれば、互いに投企することになるので、
「間主体的な投企」も代入は可能です。
しかし、直前のパラグラフでは、
偶有性から単独性に転倒しかかっている状態なので、
間主体性、つまり主体と主体の双方向の関係は、
まだ成立していません。
そこで、恋の始まりにおける片方向にも対応できるように、
「他者への投企」としました。
片想いは、恋か?
それを恋とするなら「他者への投企」、恋としないなら「間主体的な投企」になります。

>②一目ぼれは過去の事に対してあとから意味づけしただけなのだろうか。
う~ん、初めて会ったときから好きでした、って感じはいつ作られるのか。
その場で作られて、あとから強化されることも、
あとで作られたくせに、記憶のほうがそっちに合わせてしまうことも、
いろいろありそうです。

>③クジャクのオスの羽を広げる求愛行動は他者への投企なのだろうか。
はい。メスがそれを求愛行動だと分かっているので。

他人のことは行動で判断します。
自分のことは自分の気持ちで判断します。
クジャクのオスが、そのメスのことを大好きと思いながら、メスの頭をつついても、
外から観れば、恋でもなんでもありません。
たいして好きでなかったとしても、羽を広げた以上は投企です。
恋愛には、お約束の、演劇性が求められます。

というわけで、話は、演劇性に移ります。
>恋愛は、自己を認めるか、認めないかを、
>他者に託した間主体的な行為といえる。
>恋愛は、他者への投企である。
これを、ここまでの結論とします。

>(まる投げ。スルー可。)
お答えしますよっ、愛を込めて。
  1. 2015/10/26(月) 14:34:06 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

誰でもよかったのなら投企対象は無数にあることになりますね~w
親や兄弟姉妹でもいいし、アニメキャラでもいいし、犬猫、虫、ビルでもタワーでも、川原の石でもいい。

その中から選択的に一番に投企しようとした理由は何なのか?

世の中にはエッフェル塔と結婚してる女性もいる。
「エッフェル塔も「私」を愛してくれているの!」
エッフェル塔は反論しないので間主体性は「私」の中で成立します。投企対象が反論しない、或いは反論出来ない場合、そこでも間主体性は成立します。

間主体性を認識するのは、やはり自己内でのことであり、それは捏造出来てしまう概念かも知れないですw
愛が捏造出来てしまうように。
誘拐して縛っておけば間主体性は簡単に叶うw

愛も間主体性も自己申告。
何故にアナタを投企対象の第1位に選んだのか……
何故にワタシを投企対象の第1位に選んだのか……
それは
>神様、運命、赤い糸、ソウルメイト
だとしか思えないw

極端としてここまで考えたうえで青梗菜さんの意図するものと照らし合わせると……
相手の存在を認めず否定する自由が担保されていないことには
その恋愛は常に捏造の可能性があることになる。

そして、相手を認めず否定することを含めないのなら間主体性は成り立たない。

それは「深く関わっている友人」と変わらないようなw

「深く関わった友人」と「恋愛投企対象から間主体性を持つに到った恋愛対象」の差異とは?

う~む…青梗菜さん、ここで登場しますかね?
エロが(笑)

  1. 2015/10/26(月) 14:35:53 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

お~、予期しなかったなぁ、そっち。
>誰でもよかったのなら投企対象は無数にあることになりますね~w
認めないとしかたがないな~w。
背徳も、偏愛も、
Nゲージも、フレンチ・ブルドッグも、大川隆法も。
間主体性が壊れてるか、不完全ではあるけれど、
それを補ってる主体は、不完全さを認めないよなぁ。

>神様、運命、赤い糸、ソウルメイト
超越性が要請されるときは、すでに破綻していますわ~。
補わなくてはならない綻びがある、と考えたほうがいいのにね。
神様の承認が必要なときの多くは、
間違えていることに気づいているときですから。

>相手の存在を認めず否定する自由が担保されていないことには
>その恋愛は常に捏造の可能性があることになる。
たいていは、ダブルスタンダードになっています。
自由に選択させているような見かけで、
実際は、選択の自由が奪われています。
明治の、男女平等を採り入れながら、
家父長制を行き渡らせるシステムのように。

>う~む…青梗菜さん、ここで登場しますかね?
>エロが(笑)
エロ、なぁ~。
エロを絡めるとたいへんだぞ~!
どうする、おれw。
  1. 2015/10/26(月) 15:58:11 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

うん、ダブルスタンダードからは逃げられないですよね(笑)
スタンダードっていうのは精神的な束縛でもあり、(図らずも?w )恋愛の束縛性についてフィーチャーされてしまった(笑)
とは言え…揺らぎの中で考えることが肝要。

超越性を求めるとき、そこに脆弱性を認める…うん、そうですね…w
反対としては、
綻びの無いとき、或いは綻びに気付かないとき、多分、「愛」が強く結晶化していると主張することになるw

脆弱なとき、お互いに責任を超越性にゆだねることが出来るから
ダメになっても運命、赤い糸じゃなかったね…
なんて言ってユルユルと逃げることが出来る。
そして
神様が一緒にいろと言っている…
なんて言えば逃がさないことも出来るような…。
これは「主体性を神に預けた体裁を取る『代理間客体性』」とでも名付けたいw
こうなると恋愛もカルトですね~w

強く結晶化していると感じるときは逃げようがない。強過ぎて、息苦しくなったときに綻びを生じるだろうなあ。
これには強い束縛性を認める…。

「愛」って言うな…には恋愛の束縛性を弱める意図もあるのかなあ。「愛」にも超越性があることは認めざるを得ないし…超越性にも束縛性を認めざるを得ないし……。
ある程度の束縛は、恋愛のエッセンスでもあるし…。
もちろん、ちょうどいいのが、良いんだけど……。

感情論…恋愛においてはこれが全てのような気もしますw 誰かを好きなときは頭がバカになってるので♪
ここに来る女子の皆様は、そこのところは置いといてくれる人ばかりなのでしょうけど、実は鼻で笑われてたりして(笑)

でも、まずは青梗菜さんが考える恋愛の演劇性を読んでみたいところです。何故なら、考えることが面白いから♪
これに尽きるw

  1. 2015/10/27(火) 13:44:33 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

>スタンダードっていうのは精神的な束縛でもあり、(図らずも?w )恋愛の束縛性についてフィーチャーされてしまった(笑)
うそ~ん、フィーチャーしてないよ~w、
図らずも?w、ってなんだよ~w。

束縛はね~、美しくないからなぁ。
恋愛は、本来かっこ悪いものだから、そこはもういいとしよう。
健さんも、寅さんも、ぶざまでもいいから、美しさを選んだ。
汚れてしまったら、恋は終わってるわ~。
なんてことを書くと、女子の嘲笑が聞こえるけどw。

代理間客体性~w、
主体は、どこに行った?
突き抜けてない植木等みたいだなぁw。

>感情論…恋愛においてはこれが全てのような気もしますw 誰かを好きなときは頭がバカになってるので♪
はい、恋は病気です。
対して、エロは娯楽かな。
接点は、看護師になりますね~、
日活の昔から、ナースの人気は安定してますなぁ。

>でも、まずは青梗菜さんが考える恋愛の演劇性を読んでみたいところです。何故なら、考えることが面白いから♪
でしょ~?w
恋愛の演劇性は、クールに笑っている女子も、
納得してくれると思います!
  1. 2015/10/27(火) 22:02:13 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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