馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

天才は、見つけるもの 3/x


だから、小さな天才でいい。
天才は、正直に言えば、僕には分からない。
僕に分かるようでは、天才ではない。
だから、僕にでも分かる天才でいい。

    ミケランジェロの彫刻よりも、
    ゴッホの絵よりも、
    ガウディの建築よりも、
    ノーベル賞の記事よりも、

どんなに偉い人よりも、
今、僕を幸せにできるのは、
今、この記事を映し出す、
モニターに向かう誰かだろう。

    ダ・ヴィンチよりも、
    ガリレイよりも、
    モーツァルトよりも、
    アインシュタインよりも、

今、理解したことを伝えてくれる誰かがいて、
今、誰かを理解できたことを伝える僕がいて、
分かり合える誰かがいることは、
どんなに素晴らしいだろう。

今、僕の天才を見つけた誰かがいて、
今、誰かの天才を見つけた僕がいて、
価値を共有し合える誰かがいることは、
どんなに意味があるだろう。



        世界中にさだめられた
        どんな記念日なんかより
        あなたが生きている今日は
        どんなに素晴らしいだろう

        世界中に建てられてる
        どんな記念碑なんかより
        あなたが生きている今日は
        どんなに意味があるだろう
        ―― TRAIN-TRAIN

    ワーズワースも、
    ボードレールも、
    ヴェルレーヌも、
    ランボーも、

    シェイクスピアも、
    ゲーテも、
    ドストエフスキーも、
    ガルシア・マルケスも引かない。

僕にでも分かる天才を、
置き去りにしたまま、
僕に分からない天才を担(かつ)ぎ出すことは、
僕にとっては、嘘になる。



        single 『TRAIN-TRAIN』/album 『TRAIN-TRAIN』
        真島昌利 作詞、作曲/THE BLUE HEARTS
        1998、Warner Music Japan



  1. 2015年10月15日 12:52 |
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

うーん、やはり天才も馬鹿も個人の主観で決めるということになる。言うまでもなく青梗菜さんの文章は理路整然としているけど、『主観』として掴まえた時には、その点に限ってHさんと並んでしまう。私も同じ。青梗菜さんも以前から言っているように、そもそも主観以外に語る術がないのだから当然ではありますよね…。

主観の差異…。もう、好き嫌いでしかないw

『天才』を辞書で引くと『普通の人にはまねの出来ない優れた才能』とある。

では、何が優れているのか? 何を優れていると感じるのか?
これが主観に左右されるってことですよね。

対語として『馬鹿』を考えた場合、
普通の人にはまねの出来ない愚かな才能…
といってもいいのかどうかw

天才も馬鹿も才能であり、優れているか愚かかは主観で判断する。

主観には個人の全体性が現れていて何が引っ掛かるのかは個人によって違う。
『違う』ということに関して皆が同じ。

私は貴方とは『違う』ということを示すのは共感を示すことにもなるのだろうか…。

それらの歩み寄りの思考を引っくり返して『お前の考え方は嫌いだ』と述べること。
この人間らしさもスッキリしてて良いんだよなあ♪
論理を超越して、心が納得する。そして心が納得するとき、『正しい』とは言わないまでも『間違ってはいない』という気持ちになる。

グラグラさせないと歩いて行けませんからね♪
議論はそんなに簡単に止揚しないし、だからこそ激しく揺すりたくなる。
他にもHさんの記事に引っ掛かっている人はいるはず。なのに黙っている。
引っ掛かっているものに対して訳知り顔で自分を囲い、高見の見物なんて私はしたくないですな~w

引っ掛かったら…発言を試みる……w

私はブルーハーツ(真島昌利)よりもスターリン(遠藤ミチロウ)だわ~(笑)

『私は決して怒らない
どんなにバカにされようとも
私は決して怒らない
どんなにイジメられようとも
告白ばかりで思い出せない
告白ばかりで思い出せない
私は今から私は今から
私は今からお前を コロす』
    THE STALIN『コルホーズの玉ねぎ畑』

この全体主義への深い引っ掛かり感(笑)

  1. 2015/10/15(木) 19:17:43 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

>主観の差異…。もう、好き嫌いでしかないw
そして、好き嫌いには、理由がない。
理由があったとしても、無理っ、受け付けないっw。

>では、何が優れているのか? 何を優れていると感じるのか?
>これが主観に左右されるってことですよね。
結論の正しさではなく、会話や、文章から、透けて見えるもの。
考えている人には、考えている人が分かりますからね~。
例えば、ゲーテやドストエフスキーで飾っても、
浅い人なら、すぐに底が見えてきます。
統一感のないアクセをつけることで、かえって汚れて見えます。

>対語として『馬鹿』を考えた場合、
>普通の人にはまねの出来ない愚かな才能…
>といってもいいのかどうかw
馬鹿のフィールドで利口なプレーをするか、
利口のフィールドで、利口ぶっているけど、観てる人たちからは馬鹿丸出しか、
その違いかな。
観客は見抜いてますよ。
馬鹿の地平でも、利口が崩れない人には、僕は、最高の賛辞を贈ります。
馬鹿だね~♪、って。

>引っ掛かったら…発言を試みる……w
でもなぁ、言った当人、書いた当人は、引っ掛かってもいないからw。
逆に言うと、その問題を問題としていないから、
他人が引っ掛かるようなことが言えてしまう。
だから、引っ掛かる人の側の問題として引き受ける、
引っ掛かる人たちの問題として共有する、それしかないような気がします。
発言、ってのは、誰かと問題を共有したいのかな。

何も持っていない、自分の内側が空っぽの人とは、
何かを共有することはできません。
共有するものが何もない、それが僕の感想。
なぜそんなことに引っ掛かるのか、
そもそも理解できていないでしょう。

共有は、利口の中にも、馬鹿の中にも、
なんてことのない会話にも、さり気ない文章にも、
紀貫之にも、ブルーハーツにも、スターリンにも、
天才を見つけるのです!
  1. 2015/10/16(金) 12:35:02 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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