馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

天才は、見つけるもの 1/x


Mさんの、ブログを読んだ。
最初の4行は、さり気なくて、
でも、確かな意図で構成されている。

Bさんの、コメント欄を読んだ。
散りばめられた単語の並びは、
笑えるくらいに統制がとれている。

それらを天才と呼んでいいのなら、
天才が、僕の近くにあっていいものなら、
天才は、見つけられるのを待っている。


書いた本人も気づいていない天才が、
埋もれたまま忘れられるのなら、
掘り起こした人もまた、天才と呼んでいい。

備わっていない人には分からない、
備わっていない人が見過ごすものを、
捉える感性を天才と呼んでみるのなら。

感じたことを、誰かに伝えて、
誰かも自分も、少しだけ幸せにする感性、
それを天才と呼んでみるのなら。


天才は、僕の外側にはいない。
いつでも、僕の内側にいて、
僕に見つけられるのを待っている。



  1. 2015年10月13日 12:47 |
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

天才は見つけられた頃にやってくる。
掘り起こした人も天才である。
なるほど。

見つけたものを誰かに伝えることによって
少しだけ幸せになる―――。
おお、いいですね。

そんな感性は本来、人には内在しているものなのでしょう。
もし差異があるとすれば、
それを意識しているかいないかの違いでしょうか。

「受けるより与えるほうが幸せである」
という聖書の教えを思い出しましたよ。

>笑えるくらいに統制がとれている。
あ、ありがとうございますッ。(^^)
  1. 2015/10/13(火) 20:10:02 |
  2. URL |
  3. ☆バーソ☆ #IGPPA7yY
  4. [ 編集 ]

バーソさん、こんにちは。

僕は、バーソさんのコメント返しに、
僕と似ているものを感じていて、
その典型が、散りばめられた単語の並びや、
笑えるくらいの統制だったわけです。
>そんな感性は本来、人には内在しているものなのでしょう。
そんなもの、あるいは、それに等しいものを、
コメント欄に見つけるわけです。

>「受けるより与えるほうが幸せである」
>という聖書の教えを思い出しましたよ。
誰かの幸せを願う気持ちは、自分を変えてくれますね~。
でも、そんな台詞の気持ち悪さに気づかない人はだめだと思うし、
必ずつきまとう偽善を感じなければ嘘っぽい。
「受けるより与えるほうが気が楽だ」
そんな言い訳をしながら、折り合いをつけて、
そして、相手に気づかせないようにする面倒くささと、
相手に気づかせようとする意地汚なさが混じり、
損得勘定が始まり、勝ち負けを判定し、
「受けも与えもしないほうが幸せである」
そこに落ちつきそうになりますが、
どこに行き着いても、すべては幸せの定義にかかってきます。
ところで、幸せって何でしたっけ?w
  1. 2015/10/13(火) 21:59:17 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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