馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

哲学は、自分


その判断基準の、
不合理性はさておく。
スピが輪廻を信じたいのなら、
信じればいい。
        問題は、その当否を、
        主体的に捉えようとしない、
        自分のなさにある。

オウムの実行犯は、
生まれ変わりを信じて、
他人の生命を、
軽く扱うことができた。
        しかし、自分の生命に、
        危険が及ぶと、
        逮捕を恐れて逃亡する。

つまり、輪廻は他人事で、
自分の生命は、
輪廻によっても、
少しも軽くならない。
        輪廻が自分の問題になって、
        やっと不合理に気づく。
        そんな無自覚な主体性のなさは、

        差別や、いじめや、
        あらゆる不合理を支える意識と、
        等質なものである。



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  1. 2017年06月23日 12:36 |
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哲学は、主体


本当の自分なんて、
どこかに在るほうが困る。
僕は、嘘の客体を、
生きているつもりはない。

本当の自分に、
考えてもらえば、
嘘の自分は楽ちんだろう。
何も考えなくても生きられる。


人は死んでも、
何度でも生まれ変わる、
そう思っている人とは、
一緒に何かを考えられない。

最初から、そんな言い訳だか、
なぐさめだかを、
隠し持っている人とは、
一緒に生きて行けない。

そんな人には、恋愛も、
子育てもしてもらいたくない。
クルマの運転もしてほしくない。
他人と関わらないほうがいい。

他人との接し方も、
毎日の小さな判断も、
生命の重さも、
たぶん、僕とは違っている。


現実を嘘にして、
生まれ変わりを信じる。
そんな夢物語を許す理由は、
その当否を考える、

主体がないからである。



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  1. 2017年06月22日 20:23 |
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哲学は、黙る


僕たちが理解している世界など、
幻想にすぎない。
真実の世界は別にある。

その通りだと思う。
僕だって、そう思っている。
僕の世界は、僕の誤謬の投影である。

僕は、そこで、黙る。
真実の世界があったとして、
そんなものは、僕には語れない。

誰かが真実の世界を語るのなら、
真実で語られたその世界も、
誰かの誤謬の投影に過ぎない。


科学は、世界の解釈の一例で、
世界の解釈は、いくつもある。
僕だって、そう思っている。

僕は、そこで、黙る。
正当な解釈があったとして、
そんなものは、僕には語れない。

誰かが、正当な解釈をするのなら、
正当に解釈されたその世界も、
世界の解釈の一例に過ぎない。


僕は、何も言わないから、
真実の世界や、正当な解釈を語ればいい。
哲学が黙り込む地点から、

スピは急におしゃべりになる。



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  1. 2017年06月20日 23:03 |
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哲学は、遅い


哲学は、もの分かりが悪い。
スピがふつうに使っている、
愛とか、真理とか、神とか、
そんな言葉が解らない。

だから、スピにとっては、
心地よいフレーズが、
哲学には、とらえどころがなくて、
なんだか不快に思えてくる。

それらは、哲学が、
好んで取り上げる主題だが、
哲学は、考えて考えて、
恐る恐る定義する。

自分の経験に基づいた心の内は、
まだ言葉を与えられていない。
だから、言葉は、
ぎこちなく差し出される。

心の内の言語化は、
どこかに書いていたことや、
誰かの言葉の繰り返しに、
置き換えられるものではない。

ありきたりな言葉に、
落とし込むことはできないし、
誰とでも分かり合えるような、
ストーリーにはなり得ない。

それは、哲学にとっては、
何より大切なことで、
哲学に言わせれば、
スピは、大切なものを失っている。

スピに言わせれば、
哲学は、感性が鈍いのだろう。
ぐるぐる悩んでいるだけで、
低い次元から抜け出せない。

哲学は、まどろっこしくて、
じれったくて、とにかく、遅い。



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  1. 2017年06月15日 22:31 |
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哲学は、疑う


正しさを求める人は、
自分の中に、
正しさと疑わしさが、
並存することを許容しない。

だから、哲学は、
スピを疑うわけではない。
疑うに値しないくらいに、
もとより、スピは不確かだから。

哲学は、哲学を疑う。
例えば、スピを信仰とするのなら、
哲学も信仰ではないのか、
などと疑うから面倒くさい。

スピなど、相手にしていない。
例えば、スピが不合理なら、
哲学も不合理ではないのか、
などと疑うから厄介だ。

スピは、スピを、
信じて疑わないのだろう。
対して、哲学は、
哲学を信じていない。

哲学は、スピなど疑わない。
哲学は、自らを疑う。



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  1. 2017年06月13日 19:34 |
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哲学は、届く


スピの発想で生きている人には、
哲学の発想で生きている人が、
何を考えているのかを、
まったく理解できない、
そんな気がしている。

つまり、僕が、
この何日かで、何を考えて、
何を書いているのかは、
スピには、読み解くことができない、
そう思っている。

それでも、構わない。
届いた先を宛先として、
メッセージは届く。
僕は、スピの発想の人たちを、
宛先にはしていない。

スピと対立したいわけではない。
スピの発想を否定し、
攻撃したければ、
直截に悪口を書くことくらい、
たぶん、僕にでもできる。

片手間に、書き投げたような、
決して、出来のいい文章ではないけれど、
もしも、まがりなりにも、
それが哲学なら、
哲学は、哲学に届く。

そして、スピに届くようなメッセージなど、
僕には、論ずるに値しない。



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  1. 2017年06月11日 18:12 |
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哲学は、吐く


        世の中には、
        矛盾と不合理があふれている。
この世界は、きっと、
本当の世界ではない。
        スピも、哲学も、
        どちらも、そう思っている。

スピは、現実を軽視する。
現実は、虚構の世界だから。
        例えば、高次の世界や、
        霊性の世界を作って、
それを本当の世界にする。
現実の世界を語らない。

        高次の世界は、
        科学では解明できないし、
僕ごときには、
認識できないらしい。
        いやな現実を嘘にして、
        気分がいい本当を提供する。

スピは、気分がいい。
スピは論証不能な信仰だから、
        合理性はいらない。
        スピは、考えなくてもいい。


        哲学も、現実に立ち止まり、
        動けなくなって、しかし、
高い次元にも、霊にも、
どこにも行けない。
        立ち尽くしたまま、
        途方に暮れている。

矛盾と不合理があふれている、
そんな世の中で合理を通すことは、
        どうしようもなく困難で、
        気分がいいことではない。
やがて、哲学は、掘り下がり、
自らの合理さえも疑い始める。

        合理的であることを、
        僕が、正しいと考えること、
それ自体は、必ずしも、
合理的とはいえない。
        僕の合理性への無反省な帰依、
        それはひとつの信仰である。

哲学は、気分が悪い。
吐き気が止まらない。
        合理性を壊すときにも、
        合理性は、合理性を求める。

        考えずにはいられない。



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  1. 2017年06月10日 19:43 |
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哲学は、負け


気分がいいことを、
信じるのは気分がいい。
同語反復だから当然だ。
スピが与えてくれる物語は、
解りやすくて、気が休まる。

哲学は、解りにくい上に、
たいていの結論は不愉快だ。
損得でいえば、損である。
勝ち負けでいえば、
スピに負けている。

どちらが正しいか、
そんなことは知らない。
もとより、損をしてまで、
手に入れたくなるほどには、
正しさに価値はない。

間違いだらけの世の中で、
正しいことを知っていても、
何の解決にもならない。
間違ったことを知っていても、
同じことであり、

正しいことを間違いとしても、
同じことであり、
間違ったことを正しいとしても、
同じことである。
正しさは役に立たない。

自明なものとして、
信じられてきた、
さまざまな価値は崩れている。
ものごとの意味や本質を、
判断する基準は失われている。

損得や、勝ち負けなら、
哲学は、損をする、
哲学は、スピに負けている。



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  1. 2017年06月10日 12:07 |
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哲学は、異端


http://www.blogmura.com/
「にほんブログ村」には、
968568のブログが登録されている。
ほとんどが更新されずに、
放置されているとしても。

そのうち、
「哲学・思想」のカテには、
12064のサイトがある。
96万8千に対して、1万2千、
1%のマイナーなカテゴリー。

「哲学・思想」のカテのうち、
「哲学」のサブカテは、たったの511。
残りは、「スピリチュアル・精神世界」の2335、
「引き寄せの法則」の1059、など、
ほとんどが、哲学以外で占められる。

つまり、この国の「哲学・思想」は、
哲学的に考える人より、
スピ的に考える人のほうが多い。
スピが、ふつうで、多数で、
正答で、正当で、正統で、

哲学は、スピに簒奪(さんだつ)されて、
もはや、異端である。



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  1. 2017年06月09日 12:04 |
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宇宙に飛んで、時空を超えてろっ (。-`ω´-)ンー 4/4


例えば、生命、が、
地球だけに生まれたものなら、
宇宙の側からしてみれば、
        宇宙は僕たちを得て、
        初めて宇宙を想うことができた。
        僕たちが宇宙を想うことは、
        宇宙が宇宙を想うこと。

しかし、人が想う以外の宇宙は、
人の思惑どおりの、
在りかたをしているとは限らない。
        異星人でも、神でも、何でもいい、
        人以外の、その誰かの側からしてみれば、
        僕たちの理解だけでは、
        あまりにも心許ないと言うだろう。

スピや、宗教は、
その誰かの側に立ちたがる。
絶対的な誰か、として。
        しかし、宇宙に対して、
        人が相対的なもの、
        つまりは、いてもいなくても、
        どうでもいいようなものとするなら、

絶対者は、人の思いつきなど、
何を考えてもらっても、
一向に構わない、と言うだろう。
        スピでも、宗教でも、
        自由にやってくれ、
        僕と同じことを言うだろう。
        どうでもいいと言うだろう。

宇宙に飛んで、時空を超えてろっ。
人が思いつく観念を、
宇宙まるごとに行き渡らせろっ。
        愛でも、正義でも、何でもいい、
        人が思いつく言葉など取るに足らない。
        宇宙からの視点で、
        真実でも、真理でも語ってくれ。

宇宙の側からしてみれば、
そんなものは、総じて、
どうでもいいようなものである。



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  1. 2017年06月08日 12:05 |
  2. 反スピ
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