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tetsugaku poet

qinggengcai

検索しない (`ω´)キリッ 1/x


        空白を埋めたいのなら、
        自分の中を探すこと。
たいていの空白は、
抽象性により生み出されて、
        書きつけれられる言葉を、
        秘めやかに待っている。

せっかく生まれた空白を、
他人の言葉で埋めないこと。
        他人の感動をコピペして、
        自分の感動にしないこと。
要領よく感動する作法を、
感受性と呼ばないこと。

        つまり、検索しないこと。
        自分の思いは、

        ネットには落ちていないから。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年12月17日 12:58 |
  2. 自分らしさ
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考える、について (`ω´)キリッ 4/4


考えて書いているのに、
何も言っていない文章に、
なってしまうときがある。
例えば ――、
考える、ことは、自分を、そして他人をも、

解らなくさせることである。

などと、書き出される文章なら、
僕は、少なからず期待する。
自分で思いついて、書き出して、
自分に期待するというのも、
馬鹿っぽい話ではあるけれど。

逆説的だが、わざとらしくなく、
無理なく展開できそうな気がする。
回りくどい説明はいらない。
しかし、それゆえに、結局は、
何も言っていないことになる予感がある。

この何も言ってなさは、
前の3つの言ってなさとは違う。
小さくスパークした思いつきを、
説明しようとして、失敗しそうな、
僕の、何も言えなさ、である。

考える人に対してなら、
たいした説明はいらない。
むしろ、凡庸な記述であり、
共有しているインデックスを指示すれば、
容易に共感が得られると思う。

何も言えなさ、とは、
考えることと、理解することを、
等号で結ぶ人への説明の困難さである。
宛先を、考えない人にしたときの、
僕の技量のなさである。

もちろん、非常識なことを、
言い出しているのは、僕のほうで、
考えることで、解らなくなるのなら、
むしろ、考えないほうがいい。
僕の試みは、問題でさえないことへの答を、

説明しようとすることである。
僕に何が言えるのだろう。



        ―― 参考文献
        ―― 神秘主義哲学の立場から
        ―― 『思想・言論における四つの類型』
        ―― http://mysticisme.blog.fc2.com/blog-entry-150.html
        ―― 2016/12/11



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年12月16日 12:54 |
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考える、について (`ω´)キリッ 3/x


考えて書いているのに、
何も言っていない文章に、
なってしまうときがある。
例えば ――、
考える、ためには、

知ること、学ぶことが必要である。

などと、書き出される文章には、
僕は、少なからず落胆を感じてしまう。
たぶん、考えることではなく、
考えるために必要なことを考えて、
考えることには戻ってこない。

考えることが得意な、
頭のいい人たち、
つまり、学業に優れた人たちは、
当然のことながら、
総じて、よく知り、よく学んでいる。

しかし、考えることが得意なことと、
頭がいいことは、同義ではない。
考えることが得意なことと、
学業に優れていることも、
決して、地続きではない。

そして、よく知り、よく学ぶことは、
却って、考えることを阻害する。
誰かが考えた、考える、についての考察を、
正解として取り込めば、
考える、ということが始まらない。

考える、について考えることは、
何のために考えるのかが明確でなく、
いわば、無益な問いである。
機会費用でいえば、考えるだけ損であり、
もっと有益なことを考えたほうがいい。

考えること自体を、考える必要はなく、
ふつうは、一生に一度も考えない。
考える必要がないことに対して、
知ること、学ぶことが必要であるとは、
どういう矛盾だろうか。

知ること、学ぶことは、
頭がよくなければできない。
しかし、その頭のよさは、
理解する頭のよさであり、
自分で考える頭のよさではない。

考える、について考える人は、
その無益な問いに対して、
自分の頭がよくても、悪くても、
自分で考え、自分で答えるしかないことを、
了解しているから問いが立つ。

誰かにとっての、考える、ではなく、
自分にとっての、考える、である。
頭のいい誰か、ではなく、
たいして頭のよくない自分にとっての、
考える、ということである。

考える、ことは、
考えろ、と命じられても始まらないし、
考えるな、と禁じられても止まらない。
いくら考えようとしても、
できることではなく、

考えようとしなくても、
してしまうことである。



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  1. 2016年12月15日 12:51 |
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考える、について (`ω´)キリッ 2/x


考えて書いているのに、
何も言っていない文章に、
なってしまうときがある。
例えば ――、
考える、ということよりも、

愛が大切です。

いきなりで、びっくりするから、
です、ます、で衝撃を和らげよう。
愛、なんて概念がどこから来るのか、
とにかく、考える、ということが、
主題から転落しかかっている。

愛が大切、と書けば、
理屈抜きに支持される。
誰からの反論も許さない。
無心に遊ぶ子供と、
それを見守る母親を描写して、

感情に押し流されたまま、
短い文章の結びにしよう。



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  1. 2016年12月13日 12:34 |
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考える、について (`ω´)キリッ 1/x


考えて書いているのに、
何も言っていない文章に、
なってしまうときがある。
例えば ――、
考える、にあたっては、まずは、

正しい心の持ち方を学ばなければならない。

などと、書き出される文章には、
僕は、少なからず落胆を感じてしまう。
ほとんど、読む気が失せてしまうけれど、
それは、失せた読む気でも読める文章と、
僕に見限られたことによる。

正しい、心の、持ち方を、学ぶ、
という、それぞれの言葉が持っている、
それぞれの抽象度の高さを忘れてもいい、
そんなメッセージが含まれた文章を、
僕がそのメッセージ通りに読むことによる。

なければならない、
という、根拠を示さない義務が課せられて、
僕は、説教が始まることを予期している。
新しい発想が得られることへの期待は、
早々に捨てたほうがいい。

1つか2つ、体験談が語られた後で、
正しい心を持たなければ、
正しい考えには至らない、
そんな同語反復が待ち受けている気がする。
誰からも、反論されることはないが、

反論されないからといって、
正しいわけではない。
正しさも、そんな心も、その持ち方も、
それを学ぶということも、
おそらくは、最後まで、

一切、語られないからである。



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  1. 2016年12月12日 20:38 |
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逃げ切れない 6/6


愛もいらない、優しさもいらない、
そんなものは、後回しでいい。
        考える、という仕事を、
        感情にさせてはならない。
嘘は、愛や、優しさや、平和や、
反論を許さない言葉に紛れ込む。
        きれいで、正しくて、逆らえない言葉が、
        人の思考を停止させる。

人を傷つけるのは、
汚い言葉ばかりではない。
        愛の、とか、真実の、とか、
        神の、正義の、本当の、とか、
人が人を裏切るときは、
決まってそんな言葉が添えられる。
        愛の、とか、真実の、とか、
        そんな枕詞で飾らなければ、
愛にも真実にもならないような説明は、
僕には、愛や真実には思えない。
        それらの、きれいな表現が、
        適切に用いられているか、
いないかについての、
判断さえも僕とは異なる。
        そんな分かり合えなさは、
        少なからず、僕を消耗させる。

愛の、とか、真実の、とか、
僕にとっても大切な言葉なのに、
        乱発されて、大安売りされて、
        インフレを起こして、価値が下げられて、
もはや、意味が抜け落ちているのが悲しい。
替えのきかない言葉なのに。

        スピには問題は生じない。
        問題を共有できない。
スピは、スピと共存しなければならない、
僕たちの問題である。

        どうして、スピは跳び越えるのだろう。
        宇宙の法則まで飛んでしまうのだろう。
どうして、身の丈よりも、
大きな愛を語るのだろう。
        毎日の、小さな不思議や、
        小さな愛についても考えていないのに。
散らかったままの、
身の周りを置き去りにして。

        例えば、すぐ近くにいる誰かが、
        悲しんでいる理由は、
宇宙の法則では、
分かるはずもないのに。
        その口癖になっている、
        きれいな言葉が、

        人を傷つけることも知らずに。



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  1. 2016年12月11日 20:53 |
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逃げ切れない 5/6


スピが希求するワンネスは、
一つであること、
みんなが精神的に一つになり、
争いがなくなること。
        ただし、スピの発見のように、
        取り立ててワンネスなどと言わなくても、
        イスラム国も、北朝鮮も、
        それぞれのワンネスを作ろうとしている。
        ―― 互いのワンネスを、
        ―― 互いに認めないだけのこと。

地上から争いがなくなることは、
ワンネスの期待だが、
ワンネス自体は、期待ではない。
すでにかなえられていなければならない。
        僕たちの、ばらばらに分かれた小さな脳が、
        一つの同じ思考を持ったとしても、
        そのときに、宇宙が在り方を変えてくるとは、
        僕には、到底、思えない。
        ―― ワンネスは、新しい世界の創造ではない。
        ―― 現状の世界の追認である。

地上に対立があっても、
僕たちに、愛や、優しさが欠けていても、
それらは、ワンネスを壊さない。
すでにあるワンネスとは関係がない。
        そして、僕たちが、すでに、
        ワンネスの世界にいるとすれば、
        さらにワンネスを目指すことは、
        それは、ワンネスからの離反である。
        ―― ワンネスを作ろうとすることは、
        ―― ワンネスを破壊することである。

などと、書き並べても、
スピには、僕の言葉は通じない。
スピの人たちを変えることはできないから、
スピの人たちの問題ではない。
        正しさを価値としない、
        言葉の通じない人たちを、
        どうやって受け容れて、折り合うか、
        スピとは、そんな僕たちの問題になる。
        ―― 「みんなちがって、みんないい」のは、
        ―― 尊重できない個性である。



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  1. 2016年12月11日 12:54 |
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逃げ切れない 4/x


金子みすゞの、
「みんなちがって、みんないい」は、
余計なものが足されて、
個性の尊重なんて添加物だけが、
独り歩きをしているけれど。

小鳥も鈴も、それぞれにかわいくて、
肯定される個性だから、
みんないい、なんて確認をしなくても、
誰でも、いいのは分かっている。
お互いに、個性を尊重し合える。

しかし、飛べない小鳥や、
鳴らない鈴なら、
認められない自分なら、
みんなといっしょがいい、
そう言うだろう。

みんなといっしょになりたい、
そう願うだろう。
尊重できる個性なら、
誰でも尊重できるから、
個性の尊重というときの個性は、

尊重できない個性である。



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  1. 2016年12月10日 12:08 |
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逃げ切れない 3/x


詩に登場するのは、
私と、小鳥と、鈴なのに、
他の人たちを持ち出して、
別の何かを語ろうとする発想には、
必ず、嘘が紛れ込む。

他人を、小鳥や鈴くらいに扱う、
そんな発想なら僕にも分かる。
その是非はともかくとして、
小鳥や鈴に引きずられて、
他人が出てきた理由は分かる。

「みんなちがって、みんないい」、
おそらく、みんなもそう思っているし、
僕もそう思っている。
しかし、おそらく、自分については、
今のままではよくないと思っている。

みんなと呼ばれる各自が、
今の自分をよくないと思っているとしたなら、
「みんなちがって、みんないい」、
それは、直ちに破綻する。
論理的には、崩れてしまう。

個性を尊重する、などと言いながら、
個性の主体が見えていないのだろう。
そして、この詩を、
書き手の個性を尊重して読むことも、
できなくなっているのだろう。

僕は、金子みすゞに沿って読む。
余計なものは、何も足さない。


        私が両手をひろげても、
        お空はちっとも飛べないが、
        飛べる小鳥は私のやうに、
        地面(じべた)を速くは走れない。

        私がからだをゆすっても、
        きれいな音は出ないけど、
        あの鳴る鈴は私のやうに、
        たくさんな唄は知らないよ。

        鈴と、小鳥と、それから私、
        みんなちがって、みんないい。

        ―― 「私と小鳥と鈴と」/金子みすゞ



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  1. 2016年12月09日 12:53 |
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逃げ切れない 2/x


私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面(じべた)を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

―― 「私と小鳥と鈴と」/金子みすゞ


僕も、同意しよう。
みんな違って、みんないい。
人もみんな違うし、
それでいいと思う。

みんな違って、みんないいのに、
もしも、今、
自分で自分のことが嫌いなら、
論理的には、崩れてしまう。

ここは、誰にとっても、
自信が持てないところ。
気づいていなければ、
迷いも、揺れもないけれど。

それとも、みんな自分のことが、
疑いもなく好きなのだろうか。



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  1. 2016年12月08日 12:51 |
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