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tetsugaku poet

qinggengcai

嫌い、について 15/15


論考-論考論考嫌い、とは、

八-一一論考論好き、の裏返しである。

論考-論考論考つまり、

六-三論考論考世界の切り取り方と、まとめ方である。

七-二七論考論分節と生成の傾向性である。

一一-二六論考誰かによって変えられた自分である。

一一-三三論考僕の、嫌い、という基準に、
論考-論考論考収まるようなものではないらしい。

一二-二八論考きっと、いくつかの、
論考-論考論考好きになれたのかもしれないものごとを、嫌うことである。

一三-一九論考僕は何が嫌いなのかを、
論考-論考論考教えてもらうことである。

一三-二一論考僕は何が嫌いだったのか、
論考-論考論考その謎が解けることである。

一三-二三論考理由はなく、僕の、嫌い、だけがあるのだろう。

一四-六論考論その説明の不要さである。

一五-一二論考自分で守ることである。



    161021.jpg
    http://positivists.org/blog/archives/5425


論考-論考論考加えて、

一-八論考論考いいとか悪いとかの埒外にある。

六-七〇論考論分かりにくさである。

八-三〇論考論文化に脚色されて、
論考-論考論考その本質を覆い隠されている。

一〇-二四論考ゼロ記号である。

一二-一六論考僕の言葉が通じないことである。

一二-二八論考僕の感受性を失うことである。



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  1. 2016年10月21日 12:52 |
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嫌い、について 14/15


ふだんの生活では、
誰だって好き嫌いなんか、
言っていられない。
        好き嫌いを主題的に意識していたら、
        毎日の生活は、たちどころに、
        嫌いなものごとで埋め尽くされる。
好き嫌いの感度など上げられない。
感受性を断って鈍感にならないと、
気が狂いそうになる。

        僕たちは、好き嫌いで選べるような、
        そんなものごとの少なさを知っている。
        実存っぽく言えば、
僕たちは、選んだわけでもないのに、
気がついたときにはすでに、
どうしようもない状況に拘束されている。



    161020.jpg
    http://oldmanpeace.tumblr.com/post/137083713501

        だから、せめて、
        嫌い、と感じたことくらいは、
        嫌ったほうがいい。
僕が他人と関わることは、
他人のまなざしによって、
僕が変えられることである。
        他人に、僕を規定させることである。
        例えば、優しさの欠片もない人と、
        僕が関わったときは、
僕は、その他人には、
優しさの欠片もない人と映り、
そのような取扱いを受けるだろう。
        例えば、エッチだけが目当ての他人と関われば、
        自分もエッチだけが目当ての人とされて、
        そのように扱われることになる。

そのとき、傷つけられるのは、
引きずり降ろされるのは、
自らの感受性と、自らの、
        他人の感受性を感受する感受性である。
        どちらも大切にしたいのなら、
        少しも損なわれることなく、

        自分で守れ、誇らしく。



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  1. 2016年10月20日 21:04 |
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嫌い、について 13/xx


僕の言葉、なんてものは、
いつも必ず間違えていて、
        世間とか、社会とか、一般とか、
        ふつうとか、みんなとか、
そこで語られる、例えば、優しさや、
自分らしさなどが、
        なんだか、自分と一致しないから、
        僕に言葉が生まれるのであって、
ふつうとか、みんなとかを、
正しいとするのなら、
        僕が間違えることは、
        僕には避けられないことで。



    161018c.jpg
    http://lultimo.jp/bacio/2014/livereport.php?lr=lr1218

正しいとか、間違っているとかは、
もう、どうでもよくなったけれど、
        いつも僕を間違いに仕向ける、
        ふつうとか、みんなとかを、
僕が好きになれるはずもなく、
しかし、その一方で、
        僕に気にならないことについては、
        僕は、ふつうで、みんなの一員で、
ふつうも、みんなも、
僕には最も当然のこととして、
        何も考えることもなく、
        僕は、世の中に安住することになる。

        それもまた、
        僕には避けられないことで。



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  1. 2016年10月18日 23:10 |
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嫌い、について 12/xx


        嫌いな人とのつき合いは、
        自分でなくてもいいような、
        誰かでなくてもいいような、
        誰でもいいようなものになる。

それは、自分が自分でいられないときの、
自分らしくない自分であり、
自分らしい表現ができないときの、
自分でないような自分である。

        埋まらない余地に、
        投げ入れる言葉を選べない。
        届かない距離に、
        継ぎ足す言葉を探せない。

他人のような言葉でしか話せない。
言い換えれば、つまり、

        嫌いな人とのつき合いは、
        僕の言葉が通じないことである。



    161017.jpg
    http://www.news2u.net/releases/71857

感受性の感度を上げていると、
共感できなさがつらくなる。
意図していても、いなくても、
その感度は下げられる。

        自分でなくてもいいような、
        誰でもいいような、
        実感さえもないような、
        嘘みたいな感受性で共感し合う。

他人のような感受性でしか共感できない。
言い換えれば、つまり、

        嫌いな人とのつき合いは、
        僕の感受性を失うことである。



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  1. 2016年10月17日 20:34 |
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嫌い、について 11/xx


嫌い、とは、ゼロ記号である。
僕は、ないものを嫌っている。
嫌いな相手の、
どこを探しても見つからないものを、
見つからないという理由で、
僕は誰かを嫌っている。

嫌いな相手からしてみれば、
何が嫌われているのか、
考えることもできないだろう。
自分の中のどこを探しても、
見つからないものが、
嫌われているから。

僕の言葉は通じない。
相手は、僕を、
何を考えているのか分からない、
と思うだろう。
僕は、相手を、何も考えていない、
と思うだろう。

嫌いな人とのつき合いは、
何を考えているのか分からない、と、
何も考えていない、が入れ替わりながら、
互いの感受性の感度を、
下げ続ける経過である。
自分らしさを棄てる過程である。



    161016.jpg
    http://topicks.jp/34778

感受性は、世間とか、
ふつうとか、みんなとか、
相互参照される地点で下げ止まり、
互いの感受性が機能しなくなる。
しかし、不思議なことに、その地点は、
感受性が豊かな言葉であふれている。

愛、自由、希望、夢、優しさ、とか、
自分らしさ、とか。



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  1. 2016年10月16日 12:48 |
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嫌い、について 10/xx


嫌いな人とは、つき合いたくはないが、
テンプレートに沿わせたり、
すでに共有されたインデックスを、
指示し合ったりすることは、
諭されなくても、僕にでもできる。
教えてくれなくてもいい。

本に書いていたこと、
ネットで拾ってきたこと、
テレビで聞きかじったことを、
繰り返すことは、僕にでもできる。
それで満足する人に対しては、
僕は、満足を与えよう。

しかし、それで満足する、
そのこと自体が、僕が嫌いな人の、
嫌いな所以(ゆえん)になっている。



    161015c.jpg
    http://real.tsite.jp/umeda/event/2015/09/post-32.html

僕が嫌いな人、とは、
僕が何を嫌っているのか、という、
僕の言葉が通じない人だろう。
僕の、嫌い、の意味しているものを、
理解されないこと自体が、
僕が嫌う理由として挙げられる。

それは、ゼロのかたちをとることで、
意味作用をもつ記号、
嫌い、とは、ゼロ記号である。



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  1. 2016年10月15日 18:37 |
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嫌い、について 9/xx


嫌いなものとは関わらない、
嫌いなことはしない、
嫌いな人とはつき合わない、
それができるのなら、
僕は、できる限りそうしたい。

嫌いなことから逃げて、
好きなことばかりしていると、
などという説教はいらない。
そこに好き嫌いを介在させることに、
おそらく、何も根拠はない。

ものごとを好き嫌いで選ぶな、
そう言いたいのなら、
まず好き嫌いを持ち出すことに、
疑問を持ったほうがいい。
もはや、語るに落ちている。

するべきことをして、
するべきではないことをしない、
判断基準はそれだけでいい。
そして、嫌いな人とつき合うことは、
するべきではないことだ。



    161015.jpg
    http://hihumiyo.net/roll_11119.html

できることは、
言われなくてもできる。
できないことを説くのが説教であり、
それを説く者は、もちろん、
できないことを知っている。

あるいは、何も知らないでいる。
テンプレートに沿わせたり、
すでに共有されたインデックスを、
指示し合ったりすることを、
知っている、と言い換えている。

当然の帰結として、
できないことを、
自らやってみるつもりはなさそうだ。



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  1. 2016年10月15日 11:21 |
  2. 好き嫌い
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嫌い、について 8/x


快、不快という原初的な好き嫌いは、
言葉では語れないし、
考えてもしかたがない。
理屈抜きに、痛いのは嫌いだし、
誰だって、夏は暑いし、冬は寒い。

では、自分の言葉で語る、
自分で考えてみる、
そんなことができるのは、
その好き嫌いが、
社会性を持つときになる。

そのとき、好き嫌いという、
感情を持つこと自体が、
ある文化の影響下にあることになり、
その社会の中にいるから、僕は、
好き嫌いについて語ることができる。

だから、混ぜ返される。
好き嫌いという、
そんな感情を持つこと自体が、
その文化の影響から、
逃れられないことにほかならない。

僕が無能な人になってしまうのは、
その影響下にある河原で、
河原の石を売るから。
その影響下にある桜の樹の下で、
花びらを拾い集めるから。



    161013.jpg
    http://www.yart-gallery.co.jp/jazzportrait.html

それでも、好き嫌いについて、
語りたくなるのは、
何か、本質があると思うから。
好き嫌いでさえ、
文化に脚色されて、

その本質を覆い隠されているから。



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  1. 2016年10月13日 18:07 |
  2. 好き嫌い
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嫌い、について 7/x


嫌い、とは、
分かりにくさである。

        誰でも思いつくような、
        誰かに笑われそうな、
そんな、ありふれた答を見つけるために、
僕は、何時間かを費やした。
        僕の考えることなんて、
        その程度のこと。
当たりまえのことに立ち止まり、
当たりまえの答を見つける、
        このくだらなさに耐えること、
        それが僕の考えること。

無能の人コンテストが開かれたなら、
僕は上位を狙えるだろうか。
        みんなが知っていることを、
        自分で見つけて書き表すことは、
まるで、河原で、
河原の石を売るようなもの。



    161010.jpg
    http://lyrics.wikia.com/wiki/Special:Images

        空と星、石ころ、雨上がり、花びら、
        好きなものや、嫌いなものや、
大切な人、どうでもいい人、
水溜りの上を歩く猫、
        僕たちが、それらと、
        いい関係を結びたいのなら、
呆れられても、笑われても、
自分で言葉を見つけるほかはない。

        それが、花見の客に、
        桜の花びらを贈るようなものであっても。



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  1. 2016年10月11日 12:07 |
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嫌い、について 6/x


ここまでを振り返る。
たいして考えずに、
乱暴に書いてきたけれど、
ここで立ち止まって、

遅まきながら、
考えて書いたような見かけを作ってみる。



        2/x、
        嫌い、とは、
        嫌いなものごとを、
        嫌うことである。

馬鹿みたいな記述だが、
言い訳をするなら、
嫌いの定義については立ち入りたくない、
ということだ。

たぶん、僕たちは、
多様な判断を、嫌い、とみなしている。
あるいは、嫌い、が多様な判断を連れてくる。
いずれにしても、

嫌い、には、
本質はない、気がする。



    161009c.jpg
    https://de.wikipedia.org/wiki/Derek_Trucks

        1/x、
        「セザンヌの絵は、
        よく分からないから、
        あまり好きではないけれど」

間抜けな感想だが、
好き、ではなく、嫌い、の方から、
好き嫌いの答に、
近づこうと思う。

端的に言って、
僕たちは、分からないことが嫌いだ。
頭を使うことがいやだ。
数学は、高校2年で嫌いになった。

        3/x、        
        流行りの思考は、
        そのほとんどが思考ではなく、
        思考停止に誘うものである。

ポジティブや、引き寄せや、
スピが流行るのは、
自分で考えなくても済むから。
判断の放棄は、思考ではなく信仰だ。

流行りの思考法が簡単だとは決めつけない。
例えば、難しいスピの本を読むことは難しい。
等値を示す語による同語反復なので、
必ず、間違いなく、難しい。

しかし、本を読む難しさは、
自分で考える難しさではない。
理解する難しさであって、
自分で答を出す難しさではない。

        5/x、
        自分が自分であることは、
        いつだって、厳しくて、難しい。
        その難しさを感じていない人は、おそらく、
        考えることが、どういうことなのかを、
        知らないままに生きている。

自分が自分であることの、
厳しさと、難しさを感じることは、
自分で考えることと、
別のことではあり得ない。

自分の言葉で語ろうとしないのは、
疲れるからである。
答のない問いにかける時間が、
耐えられないからである。

どこかに落ちている答を拾って、
それを自分の答にしたほうが早い。



ともあれ、僕たちは、ものごとの処理に、
時間をかけたくない。
すぐに片づくことが好きで、
つまり、僕たちは、馬鹿を基点としている。

嫌い、とは、
分かりにくさである。



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  1. 2016年10月10日 12:13 |
  2. 好き嫌い
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