馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

「にんげんだもの」はハローキティとコラボする


心がきれいな人なら、
きれいに見える。
相田みつをの書の不思議な効果は、
サンリオのキャラクター、
ハローキティによって結実する。

この幼稚さ加減は、
とても落ち着きがいい。
わざと下手くそに書いて、
気に入られようとしていた字にも、
確かな意図が与えられる。

    160829a.jpg



きれいに見えるなら、
心がきれいな人だ。
心がきれいな人は、
ポエムとキャラクターが好きだ、
どうせなら、そこまで短絡してもいい。

理由は考えなくてもいい、
そう感じればいい。
考えない人は、なぜか、
考えることと感じることを対立させる。
考えてもだめだよ、感じなきゃ、って。

頭はよくても、心がね、って。



安っぽい詠嘆、みせかけの純朴さと、貧相な抒情、傲慢なへりくだり、
嘘の弁解、名声への執着、悟り自慢といった虚飾の匂いがする。
曲がりくねった文字も嫌いだ。
これは私の生理的反応である。
―― 「魔がさす年頃」/嵐山光三郎 著、2012、新講社

心が汚れている人には、
相田みつをの書は、こんなふうに見える。
でも、そんな反応も、
嵐山光三郎が陥っている、
反応のパターンの傾向に過ぎない。

結局は、好き嫌いに過ぎない。
好きと感じて肯定するのと同様に、
嫌いと感じて否定しているだけである。
誰もが感じているような、
悪口を並べているだけで、

何かを考えたわけではないだろう。



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  1. 2016年08月29日 21:46 |
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「ひとつひとつかたずけてゆくんだね 具体的にね」


「相田みつをの作品は癒されるとよく言われる。
だが、必ずしも癒しではない」
相田みつをの長男で、美術館の館長、相田一人は言う。
「見る人の心を映し出す鏡のような、
不思議な効果がある」


僕は、魔法を信じないから、
「見る人の心を映し出す鏡のような効果がある」、
そう読み変えて、因数分解する。
「不思議な効果」は、いったん切り離す。
単純な構成要素に帰着させると、

肯定的に見る人に肯定されている、
否定的に見る人に否定されている。
肯定する人に好まれている、
否定する人に好まれていない。
そんな、不思議な効果がある。



    160828.jpg

「ひとつひとつかたずけてゆくんだね
具体的にね」、
その通りに僕は、
相田みつをと相田一人を片付ける。
具体的に片付ける。

ちなみに、「片付ける」は、「ず」ではない。



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  1. 2016年08月28日 16:21 |
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相田みつをの詩は、人を傷つける


「相田みつをの作品は癒されるとよく言われる。
だが、必ずしも癒しではない」
相田みつをの長男で、美術館の館長、相田一人は言う。
「見る人の心を映し出す鏡のような、
不思議な効果がある」



    160812.jpg



相田みつをの詩を読んで、
傷つけられる感受性もあることを、
相田一人には、分かってほしい。
そんな人は心が汚い、と言われれば、
その通りなのかもしれないけれど。

僕だって、自分の心が、
きれいだはと思っていない。
僕は、自分のことがよく分からず、
自分の心が美しいか、汚いかなんて、
確信できた例(ためし)がない。

相田みつをの詩を読んで、
そのまま受け取れる人は、
自分のことが分かっていて、
自分の心の美しさを、
了解している人である。

その美しさが、僕を傷つける。
僕は、美しさも、汚さも、
どうしても自信が持てないまま、
言葉を探して、悪あがきをしている。
そんな薄汚れた心を、

分かってもらえるだろうか。



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  1. 2016年08月26日 12:14 |
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相田みつをの書は、心を映し出す鏡だ


「相田みつをの作品は癒されるとよく言われる。
だが、必ずしも癒しではない」
相田みつをの長男で、美術館の館長、相田一人は言う。
「見る人の心を映し出す鏡のような、
不思議な効果がある」



    160825a.jpg

つまり、心が美しい人には、
相田みつをの作品が美しく見える。
逆に、美しく見えない僕は、心が汚れている。
相田みつをの書を、思考停止の呪文とする僕は、
思考が停止していることになる。

相田一人のディスクールは、
まるで、「裸の王様」のようだ。
愚か者には見えない不思議な布地でできた、
衣装のような書だと言う。
僕も、歓呼して、王様の衣装をほめ讃えよう。



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「つまづいたっていいじゃないか
にんげんだもの」
肯定感が、素晴らしい。
そして、そう思える僕の心も、
肯定感が、素晴らしい。



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「かんがえてばかりいると
日がくれちゃうよ」
意味が深くて、美しい。
そして、そう思える僕の心も、
意味が深くて、美しい。



相田一人のディスクールは正しい。
相田みつをの書には、
自分を素晴らしいと思い込めるような、
無邪気な自己肯定がある。
自分を美しいと思い込めるような、

汚れのない図々しさがある。



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  1. 2016年08月25日 20:34 |
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相田みつをの詩は、思考停止の呪文だ



    160822a.jpg


僕たちは、日々、様々な体験をするけれど。
身につかないことは忘れてしまって、
身についたことを記憶に留める。
記憶しているということが、
身についたということであり、
身についたことを体験と呼ぶ。

相田みつをは何も考えていない。
だから、順序が入れ替わっている。



僕たちは、様々な体験の中から、
身についたことだけを取り上げて、
体験を再定義する。
体験したから身についたのではない。
すべての体験が身につくわけではない。
身についたのは、思考を巡らせたからである。



経験ということは、
たしかに人間には必要だと思うのですが、
どんなに経験しても、
人間というものはその経験を想像力のなかで造形できなかったら
経験にならないわけです。
―― 「反劇的人間」/安部公房 著、1979、中公文庫



どんな体験をしても、まだ言葉が与えられていないうちは、
体験は身につかない。
だから、体験にとって最も邪魔になるのは、
考えないことである。
考えた形跡がないということは、自らの体験に基づいて、
語れていないということだ。

相田みつをの書は、思考停止の呪文だ。
体験は、体験のままでは、体験にならない。



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  1. 2016年08月23日 22:53 |
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「体験してはじめて身につくんだなあ」


その通り、としか言いようがない。
きっと誰もが、その通りと思う。
だから、たぶん間違いではない。



    160822a.jpg



間違いがあるとすれば、
その地点で思考を停止して、
作品に仕立てることにある。

体験して初めて身につく、
そんなのは、感想に過ぎない。
思考は、まだ始まってもいない。

相田みつをの書は、
ひとつ残らず、頭を使わせない。
何も考えずに分かった気分にさせる、

思考停止の呪文だ。



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  1. 2016年08月22日 23:01 |
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「にんげんだもの」は、端的に言って、馬鹿だと思う


人間のすること、思うことを、
「にんげんだもの」という理由で正当化できるのは、
考えない人間だけである。
端的に言って、馬鹿だと思う。



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人間は躓(つまづ)く。
その理由を、人間であることに求めて正当化する。
「つまづいたっていいじゃないか
にんげんだもの」

人間は嘘をつく。
その理由を、人間であることに求めれば正当化できる。
嘘をついたっていいじゃないか、
人間だもの。

人間は偽る、人間は裏切る、人間は騙す、
汚す、壊す、盗む、脅す、惑わせる、拐(かどわ)かす、
人間は追い込む、人間は傷つける、人間は殺す、
人間だもの。

人間だったら、開き直るな。
人間だったら、考えろ。



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  1. 2016年08月21日 20:22 |
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「考えてばかりいると日がくれちゃうよ」



    160821b.jpg



人間だったら、考えろ。
日が暮れても、考え続けろ。



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  1. 2016年08月21日 20:21 |
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感動についてのn個の一考察 8/8



    160820a.jpg
    http://www.ceskatelevize.cz/porady/10158946349-michel-petrucciani/20838254059/



僕が思っていたよりも、
ペトルチアーニの骨は脆くて、
ピアノを弾く彼の指や腕の骨は、
その内部では常に骨折を繰り返していた。

痛みに耐えながら演奏を続け、
コンサートが終わると、
医者に行って治療をする。
それが彼のツアーだった。

鍵盤を叩く彼のタッチの激しさに、
僕は騙され続けた。



    160820b.jpg



年間200回を越える公演を終えた1998年の暮れ、
彼はニューヨークで肺炎にかかり、
翌年の1月6日に急逝する。
36歳。



    160820c.jpg



2011年にドキュメンタリー映画が作られて、
彼が骨を折りながら演奏していたことを、
僕は知ることになる。
彼が死んでから13年も経っていた。

彼は、死ぬまで僕を騙してくれたから、
僕は、いつまでも彼に騙されたままでいようと思う。
ピアノの演奏に関しては、
彼を健常者のままにしておこうと思う。

彼は、多くを語らずに、
音楽を提示したから、
僕は、お涙頂戴の物語を忘れて、
能天気に彼のピアノを聴こうと思う。

きっと、彼も、
それを望んでいる。



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  1. 2016年08月20日 21:47 |
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感動についてのn個の一考察 7/x



    160808g.jpg
    http://www.ceskatelevize.cz/porady/10158946349-michel-petrucciani/20838254059/



つまり、僕は、お涙頂戴の物語に対する、
適応障害なのだろう。
心優しい人なら、適応できる物語なのに、
僕は、過敏に異常な反応をしてしまう。

応じてしまうことについては同じである。
たぶん、心が優しいとか、冷たいとかの謂いは、
僕たちが、優しいとか、冷たいとかと呼んでいる、
反応のパターンを選択する傾向に過ぎない。

そして、僕が書こうとしていることは、
僕が陥っているパターンの正当化である。



    160808e.jpg



他人のハンディキャップや、
他人の不幸に萌える心優しい人たちは、
彼の演奏を聴くと同時に、
感動の物語を読み込む。

心が冷たい僕は、物語を排除する。
僕は、彼を障害者とは思っていない。
彼は、ピアノの演奏に関しては、
健常者でなければならない。

そうでなければ、彼の公演は、
見世物興業になってしまう。



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  1. 2016年08月19日 19:09 |
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