馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

ポケモンGOとは何だったのか 4/5 (。-`ω´-)ンー


気が狂っていても構わないけれど、
妙なモードで外を歩かれるのは困る。
街のほとんどの場所は遊び場ではないが、
何人かの集まりで、心理的な抵抗も感じずに、
遊び場に変えてしまうのは困る。

僕は、ポケモンGOをしていないから、
街にモンスターが現れることはない。
でも、モンスターを探している人が街に現れる。
モンスターが見えない僕には、
奇妙な出来事に映るのは当然だろう。

去年の夏に、街の中で、
モンスターを捕獲する人がいたなら、
狂人の扱いをされなかっただろうか。
では、今年の夏に、街の中で、
モンスターを捕獲する人は、

狂わされているに違いない。



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  1. 2016年07月31日 20:36 |
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ポケモンGOとは何だったのか 3/x (。-`ω´-)ンー


ゲームは、どれもそんなもので、
ゲーム機とプレイヤーは、
いつだって分断されている。
ゲームが虚構、というのは、
たぶん、そういう意味である。
プレイヤーは、現実を見てはいけない。

ゲーム機は、何らの意思を持たず、
プレイヤーに寄り添うことはないから、
ゲームの成立には、常に、
プレイヤーの一方的な思い込みが求められる。
あらゆるゲームは、
プレイヤーの誤謬によって成り立っている。


プレイヤーは、常に、
間違いを犯している。
ゲーム機が間違えるときには、
ゲームは成立しないが、
プレイヤーが間違えないときにも、
また、ゲームは成立しない。

つまり、ゲーム機が正常で、
プレイヤーが異常なときにだけ、
ゲームが成り立つ。
それが、僕たちとゲーム機の関係だ。
ほかのどんな組み合わせでも、
ゲームは成立しない。


ゲームを始める、ということは、
自らを間違いのモードに移すことであり、
ゲームしている、ということは、
そのモードに没入していることを、
忘れてしまうことである。
端的に言って、プレイヤーとは、

気が狂った人のことである。



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  1. 2016年07月30日 21:10 |
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ポケモンGOとは何だったのか 2/x (。-`ω´-)ンー


ポケモンが現れるのはどこか。
もちろんスマホの中に現れる。
捕まえたポケモンはどこに行くのか。
もちろんスマホの中に行く。

ポケモンが増えていくのは、
もちろんスマホの中で、
プレイヤーが現実に所有する、
何かが増えるわけではない。


ゲームの成果をレベルと呼ぶのなら、
レベルが上がるのはスマホのレベルで、
プレイヤーのレベルが上がるわけではない。
レベルは、プレイヤーには帰属しない。

ステージと呼ぶのなら、
次のテスージに行くのはスマホで、
プレイヤーはどこにも行けない。
それらを何と呼んでもいいが、

プレイヤーとは関係のないものである。


複数のプレイヤーで、1つのスマホを、
共有することを思えば分かりやすい。
ポケモンも、レベルも、何でも、
すべてはスマホのものであり、

プレイヤーとは関係のないものである。



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  1. 2016年07月30日 12:31 |
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ポケモンGOとは何だったのか 1/x (。-`ω´-)ンー


僕たちは、ずっと前から、
こんな世の中だったことを知っていて、
改めて、見せつけられただけ。

手の中の、小さな端末を通して、
世界を投影していることを、
認めたくなかっただけ。

あからさまに、
みんなと同じことをしている人たちを、
見たくなかっただけ。

その人たちが、ことあるごとに、
個性や、自分らしさを語ることに、
反吐が出そうになっただけ。


ポケモンGOとは何だったのか、
このブームを後の視点から振り返る日が、
どうか、早く来てほしい。

すぐにでも。



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  1. 2016年07月29日 12:48 |
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どちらも、なんだか違う、やくみつる、水道橋博士 3/3 (。-`ω´-)ンー


もし都内で、ポケモンGOに禁止を言う候補者がいたら、すぐ投票しますね。

    そう思うのなら、それでいいと思う。
    舛添要一の最大の問題は、
    政治家として無能だったことにある。
    彼が仕事をしていれば、僕なら、
    人格的な批判は帳消しにしてもいい。

    都内でポケモンGOを禁止する候補者は、
    とりあえず、1つは仕事をしてくれる。
    都市間外交、なんて得体の知れないものではなくて、
    ゲームを禁止する場所を示すくらいは容易だろう。
    全面的な禁止はファッショだと思うけれど。

    僕なら、たかがポケモンGOごときで、
    知事を選んだりはしないが。


現実は面白いことに満ち溢れているわけです。

    ポケモンGOが流行しても、しなくても、
    現実の面白いことは、増えも、減りもしない。
    満ち溢れている、というのなら、
    去年の夏も、今年の夏も、
    変わらずに、街に溢れている。

    では、去年の夏に、やくみつるは、
    道端の植え込みにいる虫に興味を示したのだろうか。


親はもっと楽しいものを子供に提供する義務があります。

    楽しいものなら、義務にしなくても、
    親は子供に提供する。
    彼が言う満ち溢れている楽しいものは、
    楽しくないから義務になる。
    義務という言葉に、彼の欺瞞が透けている。

    なによりも、虫とゲームを、
    二分法に仕立てる発想に無理がある。
    何の関連があるのだろう。
    虫は虫で、彼が好きなら興味を持てばいいし、
    ゲームはゲームで、彼が嫌いならしなければいい。

    自分の都合で何でもリンクさせたら、
    アホな子にしか育たないですよ。



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  1. 2016年07月28日 21:34 |
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どちらも、なんだか違う、やくみつる、水道橋博士 2/x (。-`ω´-)ンー


やくみつるは、さておく。
そう思うのなら、それはそれで彼の意見だ。
    しかし、水道橋博士の反論は、
    残念ながら、反論になっていない。
    まともな大人なら、反論とみなさない。

ポケモンGOをきっかけに神社に行くようなったら、
その歴史を調べるようになる、
ふつうに考えて、そんなやつはいない。
    水道橋博士は、極めて稀な例外を挙げて、
    すべてがそうではない、と反論する。

それは、カラスは黒い、という命題に対して、
白いカラスを挙げるようなものだ。
    すべてのカラスは黒い、という命題に作り変えて、
    極めて稀な例外を挙げて反論としている。
    その発想は、なんとも子どもっぽい。

コメンテーターとしてのポジショントーク、
などと、個人の属性を貶めて反論とするのは、
相手を辟易させて、黙らせるには有効だが、
もちろん反論とは呼べない。
    そんなのは、やくみつるの発言とは何の関係もない。

水道橋博士も、メディアも、
それくらいのことは、気づいてほしい。
    そんなことくらいは踏まえていないと、
    議論じたいが成り立たない。
    僕は、侮蔑なんてしないけれど、

こんなのを議論と思って打ち興じたら、
アホな子にしか育たないですよ。



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  1. 2016年07月28日 18:31 |
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どちらも、なんだか違う、やくみつる、水道橋博士 1/x (。-`ω´-)ンー


やくみつる ――
「もし都内で、ポケモンGOに禁止を言う候補者がいたら、すぐ投票しますね。
あんなの愚かでしかないです。
こんなことに打ち興じている人を、心の底から侮蔑します。
現実は面白いことに満ち溢れているわけです。
道端の植え込みだって、そんな中にいる虫にだって興味を示せばいいものを、
そこを見ながら現実的じゃないものを探す。
親はもっと楽しいものを子供に提供する義務があります。
親も一緒になって打ち興じたら、アホな子にしか育たないですよ」

水道橋博士 ――
「そんなことはない。
ポケモンGOをきっかけに神社に行くようなったら、
その歴史を調べるようになるとか。大人だってそうです。
そうやって決めつけて、
コメンテーターとしてポジショントークしている人を、
ぼくは心の底から侮蔑しますよ」


やくみつるは、高校生くらいの意見、
水道橋博士は、中学生くらいの反論か。



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  1. 2016年07月28日 12:54 |
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しかし、アントナン・アルトーよ (。-`ω´-)ンー


一、私は洗礼を受けたことを否認する。
二、私はキリストの名前の上に糞をたれる。
三、私は神の十字架の上で手淫をする
  (しかし、ピオ十二世よ、手淫はかつて私の習慣になかったし、
  こんご私の習慣となることもけっしてあるまい。
  おそらく貴殿は私のことを理解しはじめているはずだ)。
四、ゴルゴダで磔刑に処せられたのは、私なのだ(イエス=キリストではない)、
  そして私が磔刑に処せられたのは、
  立ち上って神とそのキリストとに抗議したためなのだ。

なぜなら私は一箇の人間であり、
そして神とそのキリストとは観念にすぎないからだ。
しかもその観念たるや、人間の手の汚らわしい印しがついている。
あれらの観念は私にとっては、かつて存在したことがない。

―― “Adredde au Pape、ローマ教皇への上奏文”/アントナン・アルトー



    しかし、アントナン・アルトーよ、
    貴殿の洗礼の否認も、
    貴殿がキリストの名の上にたれる糞も、
    貴殿が好まない手淫も、
    貴殿が処せられた磔刑も、
    僕は、まったく意に介さない。

    僕も一箇の人間であり、
    そして、神とそのキリストは、
    観念に過ぎないことに同意する。
    しかし、その観念には、
    人間の手の清らかな印しがついている。
    それは、僕には、かつて存在したことがない。

    貴殿の神は、美しいのか?
    神は、貴殿の糞便や精液や血液に、
    汚されて困るほどに、
    きれいだと思っているのか?
    神は、貴殿の排泄物より汚いものを、
    備えているとは思えないか?

    貴殿は、甘ったるい夢を見ているのか?



    ―― 『神経の秤・冥府の臍』/アントナン・アルトー 著、清水徹 訳、
    ―― 1977、現代思潮社



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  1. 2016年07月24日 22:01 |
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そして、寂しさに、眺むれば (。-`ω´-)ンー


何を見ているのか、何が見えているのか、
そんなことを考えていて、
        たぶん、ずっと昔から、
        モンスターを見ていた人たちに気づく。


ポケモンを集めている人たちを、
怒鳴りつけるオヤジがいる。
        「こらぁ~っ、騒ぐなっ。
        河童が隠れてしまったではないかっ」

    ポケモンを見つけた人に、
    問いかけるジジイがいる。
            「おや、そうですか、あなたにも見えますか。
            昭和の中頃の、地縛霊ですかな」


日曜日の昼間から女装をして、
自撮りで写す人がいる。
        熱中症で運ばれて、
        点滴を打っていた人がいる。

    自転車で遠出をして、
    戻ってこれない人がいる。
            地面に落ちている蝉を、
            踏みつけてしまった人がいる。


いずこも同じ夕暮れに、
人々の影が長く伸びる。
        僕の影も重なって、
        並んで歩く、すれ違う。

    きっと、僕たちは、そんな影くらいにしか、
    同じ景色を見ることができない。



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  1. 2016年07月24日 21:56 |
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そうだ、あこがれや、欲望や、言いのがれや (。-`ω´-)ンー


あこがれや、欲望や、言いのがれや、
恋人や、友達や、別れや、
台風や、裏切りや、唇や、できごころや、
ワイセツや、ぼろもうけの罠や、
―― 『息子』、奥田民生 作詞作曲、1995、Sony Records

安心や、妊娠や、ふたまたや、小豆相場や、
あきらめや、女装や、哲学や、宗教や。
哲学や宗教は、そんなものと一緒にするな、って、
そして、哲学や宗教は、お互いに一緒にするな、って、
言うのだろう。

しかし、例えば、宗教に真理があるのなら、
真理は、恋人やわいせつやあきらめを貫き通す。
例えば、宗教から真理を延ばして恋愛を射抜くのも、
恋愛からの延長で宗教に辿り着くのも、
同じと思っている。

きっと、どこからでも届く。
女装からでさえ。



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  1. 2016年07月23日 20:28 |
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