馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

テクスト 3/x


言葉が通じる、とはどういうことか。
世の中に沿う言葉なら、通じて当然だから、
そんなものはどうでもいい。
では、言葉が通じる、の意味は、
世の中に通じない言葉が通じることにほかならない。

そのためには、まず、自らが、
世の中に通じない言葉を持っていることが前提になる。
世の中的には、役に立たない言葉だから、
それは、隠されたフォルダに格納され、
容易にアクセスを許容しない。

例えば、知識を並べて、
常識に支えられた妥当な結論を示されたときは、
そのフォルダは深い階層に沈み込み、
自分でも行方を見失う。
上滑りのやり取りをするために。


目に映るものは、見えて当然だろう。
では、目に映らないもの以外に、
何か見るものがあるのか?
そして、同じものを見ている、の意味は、
世の中に映らないものを見ることにほかならない。

当りまえのこと、
考えなくてもいいこと、
それ以外に何か考えることがあるのか?
説明しなくてもいいこと、
それ以外に何か説明がいるのか?

言葉が通じる、同じものを見ている、
異なる水準の意味を形成させるフレーズは、
書き手と読み手が取り結ぶ、
レトリカルな関係抜きでは語れない。
テクストは、意味形成を派生させる出来事であり、

信頼関係を結ぼうとする実践である。



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  1. 2016年05月31日 12:08 |
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テクスト 2/x


いつだって、そうなのかもしれないけれど。
僕たちは、価値観が移り変わる途中にいて、
例えば、働き方や、結婚や、
子供を産むことや、育てることや、
それらは、どうすればいいのかなんて、
僕には、ぜんぜん分からない。
考えることさえ億劫になる。

古い価値観では、働き方は決まっていたし、
結婚は当然するもので、
結婚すれば子供ができるのが当然で、
子供は学歴で評価されるのが当然で、
当然だから、それらを疑うことができた。
今は、当然とも言えるし、当然でもないし、
疑うことさえ、うまくできない。

僕は、世の中、って枠組みが嫌いなのに、
嫌うべき枠組みが、もう壊れかけで、
まだ作りかけで、うまく嫌えない。
疑ってかかりたいのに、
壊れかけの古い枠組みも、
作りかけの新しい枠組みも、
どちらも疑う前から疑わしい。

自分の価値観なんてものは、
確立できるものではない。
きっと、正規分布の、
どのあたりにいるかで測るものだ。
少なくとも、世の中に収まりたくない僕には、
相対的なものでしかない。
でも、どこに向かえばいいのだろう。

自分の立ち位置も確認できないのに。



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  1. 2016年05月30日 21:31 |
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テクスト 1/x


個人の考えることなんて、
正しいわけがないもの。
考えれば、世の中と違ってくるから。
世の中と違わないなら、
考えることもないから。

世の中が当りまえだと思っていること、
世の中がどうでもいいと思っていること、
個人は、そこを考えるけれど、
世の中の側からしてみれば、
もとより問いにもなりようがないこと。

当りまえで、どうでもいいことについて、
とても敵いそうにない世の中を相手に、
けんかを仕掛けようとする。
出来の悪い脳みそで、何の知識もなく、
静かなくやしさを抱えて。

反故にされたエントリは、
きっと、公開されたそれの何倍も多くて、
誰にも伝えられなかった言葉は、
伝わる人を探し始める。
問いが共有されればそれでいい。

答が欲しいわけではないもの。



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  1. 2016年05月29日 12:37 |
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個性とか、独自性とか 8/8


最後に、個性とは何か、
その定義を求めてみる。
    それは、個性について、
    没個性的に考えてみるということか。

没個性的に考えることなど、
はたして人にできるのか。
    そんなことを思う僕の個性が、
    無理だからやめろと言っている。


何が集まって、個性と呼ぶか。
それは、普通には、人が集まっている。
    ~が巧い人、~な性格の人、~ができない人、
    ~な人から帰納する。

河原の石にも個性を認めるが、
それは、擬人化っぽい用法にしておこう。
    個性に着目するのも、
    認めるのも、認めないのも人だろう。


何が分かれて、個性と呼ぶか。
それは、性質の違いによって分けられる。
    では、個性とは、端的に、
    他人と違うことである。

平均的な性質との差異から演繹して、
~が速い、~が多い、~が悪い、
それらを個性と呼んでいる。
    ここまでを定義とする。

    個性とは、他人と違うこと。
    当りまえすぎて、拍子抜けするけれど。


実際には、定義は終わらない。
    定義された、個性は、
    再定義に駆り立てられて、
    良い個性と、悪い個性に分けられる。

良い個性と、悪い個性。
    それらは、すでに個性で縁取られた、
    どちらも個性の枠組みの内側なのに、
    悪い個性は、個性とは認めない。

誰が、良い悪いを決めるのか。
それは、みんな、としか言いようがない。
    せっかく他人と違っている個性なのに、
    なぜ、みんなのふるいにかけるのか。

個性は尊重されるべきだが、
社会に優先するわけではない。
    協調性に反しない限りで、
    個人の個性が認められる。

逆からいえば、
協調性のない個性は、
反社会的な悪い個性である。
    そんなのは個性とは呼ばれない。


個性を伸ばす、個性を尊重する、
そんなフレーズで語られる個性とは、
他人に承認されるような優れた性質。
    つまり、「能力」のことである。

能力を伸ばす、能力を尊重する。
最初からそう言ってもらうほうが、
僕には分かりやすかった。
    真に受けてはいけない。

    他人と違うことが、
    他人から無批判に尊重されるなんてことは。



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  1. 2016年05月26日 13:47 |
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個性とか、独自性とか 7/8


純朴に考えて、
―― 純朴にしか考えられないくせに、
何を気取っているのだか。――
文章を読むときは、
他人の文章を読むことがそのほとんどだから、
読むことと、他人の文章は、
ほとんど同義になってくる。

        他人が書いたものを読むのがデフォだから、
        自分が書いたものを読むときも、
        同様に読むのがデフォになる。
        僕は、それ以外の読み方を知らないし、
        ブログなどというプラットフォームに乗せるのなら、
        メタに出て、読めるように修正しないと、
        自分でも何を書いているのか分からない。

        読み返せば、夜中に書いたラブレターのように、
        自分が書いたことさえ認める気になれないが。


こんなことを書くつもりが、
あったのか、なかったのか、
プラットフォームも、ラブレターも、
書いているうちに、書きながら、
成り行きで浮かんできた単語であり、
それでも、読み手が違和なく読めるのなら、
書き手と読み手には、共有している他者がいる。

        文章を書くことも、読むことも、
        その他者に思いを寄せることと、
        別のことではあり得ない。
        ―― そんなこと、思ってもなかったくせに。――
        文章は、その他者によって書かれ、
        その他者によって読まれる。
        ―― そんなこと、思ってもなかったくせに。――

書き始めれば、書かれた文章に導かれて、
魔法のように紡ぎ出されるのが文章だと思う。
夜中に書いたラブレターが、
自分が書いたことさえ認める気になれないのは、
朝になれば魔法が解けるから。
―― そんなこと、思ってもなかったくせに、
何をきれいにまとめようとしているのだか。――

        文章は、僕が思ってもみない嘘に、
        自らを投企しながら、
        それを結びにしようとしている。
        ―― そのとおり。
        嘘について語るときは、
        僕たちは正直にならなければならない。――
        この文章は、誰が書いたのだろう。

        ―― この文章は、誰が書いたのだろう、
        と書いた者は誰だろう。――



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  1. 2016年05月24日 21:44 |
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個性とか、独自性とか 6/x


ラカンの『エクリ』の序文。

        言語において、
        私たちのメッセージは<他者>から私たち宛てに到来する。
        差出人と受取人が入れ替わって。

書く、ということは、
僕が、誰かに宛てて発信したメッセージを、
まず僕が読むけれど、
それは、他者からのメッセージとして読むことになる。


        個性を伸ばす、個性を尊重する、
        そんなもの謂いをする人は、おそらく、
        何を言っているのかが、
        自分でも分かっていない。

と書いたなら、
僕が、誰かに宛てて発信しようとしているメッセージを、
書きながらも、書いた直後にも、まず僕が読む。
他の誰かから、僕に送られたメッセージとして。


文章は、本来、他人のフレーズであり、
僕の文章は、多くの他人のフレーズの中から、
僕が選んで、加工したものに過ぎない。
僕の知らないフレーズが、
僕に思い浮かぶわけがないから。
僕は、日本語のテキストが堆積した、
分厚い層にアクセスして、
他人の文章を借りてくる。


        よくあるフレーズだから、
        安心して使っているだけで、
        言葉に意味など持たせてはいない。

そして、このセンテンスが、
僕に宛てられたメッセージとして僕に届けば、
僕の立ち位置は狭くなる。
よくあるフレーズによらなければ、
僕は文章を書けないから。


文章を書く、ということは、
他人の文章によって書くことからは出られない。
よくあるフレーズによらなければ、
文章は、僕にも、他人にも、読めたものではない。
もしも、僕の文章に個性や独自性があるのなら、
みんなと同じ方法で、
みんなと同じことをして、
みんなと同じにならなかったことにある。


それは、世の中から承認されることは少ないが、
しかし、承認されないから、承認を求めている。
みんなと同じなら、承認はいらない。



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  1. 2016年05月23日 12:04 |
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個性とか、独自性とか 5/x


個性を伸ばす、個性を尊重する、
そんなもの謂いをする人は、おそらく、
何を言っているのかが、
自分でも分かっていない。
よくあるフレーズだから、
安心して使っているだけで、
言葉に意味など持たせてはいない。

言葉のほとんどはそんなものだ。
言葉は意味を置き去りにされている。


伸ばすべき個性を伸ばす、
尊重できる個性を尊重する、
そのくらいの意味でしかなく、
それは、言葉の無意味な繰り返しである。
個性とか、独自性とか、
単純にいいことっぽく捉えられているが、
実は、そんなにお気楽なものではない。

個性や独自性を備えれば、
当りまえだが、みんなと同じではいられない、
そんな苛立ちや疎外感と引き換えである。
面倒くさくて、不幸を見据えて、
屈託することと切り離せない。
みんなと同じことをしているときに、
不意に現れて、自分を困惑させるもの。

それを身をもって知っている人が、
個性や独自性を備えている。



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  1. 2016年05月21日 12:04 |
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個性とか、独自性とか 4/x


自分が特別なのは、
当然の特別さで、絶対の特別さで、
この世界では、なぜか、
自分だけが特別な在り方をしている。
僕の特別さと比べれば、
僕には、他人が、電信柱や、
河原の石ころと同じに見えてくる。

などと書いたなら、
それでも、しかし、などの逆接でつないで、
大急ぎで、他人は石ころと同じではないと、
取り繕わなければならないが、
でも、そんなのはもういい、分かっている。
自分がさほど特別ではないことも、
もちろん分かっている。

他人を思いやる、
情けは人の為ならず、
そんな説教も、今は勘弁してほしい。
慣用句やことわざがあることを、
なぜ正しさの根拠にしているのかが、
僕にはまったく分からないけれど、
さておき、意味くらいは知っている。


それぞれの絶対的な特別さのほかに、
自分を含め、各自の個性や独自性、
そんなものがあるとして、
それは、普通には、
会話や文章表現によって、
量ることになるのだろう。
ただし、言葉が通じれば。

会話は思いのほか通じていない。
目に映るものについてなら、
通じて当りまえだから、
そんなものはどうでもいい。
言葉が通じることは、
具体的なものごとではなく、
その背後に広がる抽象的な空間が担保する。

その空間へのアクセスは、
分かる人には分かる、
分からない人には分からない。
分からない人には、おそらく、
分からないことにも気づけない。
言葉は目に映るものごとを通り過ぎ、
目に映らない場所を行き来する。

個性や独自性が生まれる場所は、
きっと、そこなのだろう。


では、そんな空間を備えていないことも、
また個性や独自性といえるのだろうか。



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  1. 2016年05月20日 21:14 |
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個性とか、独自性とか 3/x


例えば、
「個性や、独自性が輝く世の中になればいい」
そんなふうに書いてみよう。
僕もそう思うし、
きっと、誰もがそう思う。
間違いはないし、
たぶん、誰からも反論されることはない。

反論はないけれど、
意地悪く言えば、その文章には、
個性や、独自性がまったくない。
では、自分には、個性も、
独自性もないけれど、
個性や、独自性のある人が、
輝く世の中になればいい、という意味か。

だったら、個性や、
独自性に乏しい書き手のおかげで、
個性や、独自性がある人の輝きは増すだろう。
そこまで見通して、捨て石になれるのなら、
書き手は、相当の個性や、
独自性を備えている。
その論旨は、かっこいい。

しかし、もしも端的に、
自らの個性や、独自性を、
輝かせるために書いているのなら、
僕には、行き場のない気持ちが残る。
間違いはないけれど、
絶望的に分かり合えないだろう。
結論を同じくするゆえに。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年05月16日 18:32 |
  2. 自分らしさ
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個性とか、独自性とか 2/x


個性とか、独自性とか、
手放しで肯定されるような言葉だから、
相田みつをのポエムのように、
ゆるゆるの文章が多数になるのだろう。

緩くて、きれいで、優しくて、
意味のない言葉を望んでいる者が、
この国の多数を占めていて、
それが世の中の価値の基準を作っている。

書き手は、読み手に寄せて、
ポエムっぽく書き進め、
ゆるゆるで、ふわふわに結ばないと、
落ちがついた気がしない。

個性とか、独自性とか、
自分で考えること、自分で選ぶことを、
真に受けている者は、
多数には分かってもらえない。

真に受けることなく、
個性や独自性を大切にする。
その加減が分かっていない文章は、
目障りなだけである。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年05月15日 19:58 |
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