馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

ちふれ


化粧水さっぱり、180ml、500円、
化粧水とてもしっとり、180ml、550円、
乳液しっとり、150ml、600円、
ついでに、洗顔、350円。

    141225.jpg

ぜんぶで2,000円、
コスパは最高、ケチらずに使える。



怠惰にならない、デブらない、
ハゲない、くさくならない、汚くならない、
思考は独創的に柔軟に、
そう心に決めている。

しかし、それらは、他者に対しては、
結局は、身体の表現と言える。
心は、どこかにあるようなものではなく、
外見から推測される行動のパターンだ。

デブを体現している人の、
やせようという決意より、
やせている人の太らないという決意とその持続が、
僕には信用に値する。

自らの内にある基準による思考を、
自らの外に問い続けるのが表現だ。
語らなくても、心は、すでに、
その表現に宿っている。

今年の冬も、見かけ重視で。







  1. 2014年12月25日 20:24 |
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アオカン


  青缶、169g、450円、
  青チューブ、50g、200円
  乳液、120g、400円、
  リップ、3.9g、350円、2.2g、400円。

    141216.jpg

スキンケアなんてしたことがなかったけれど、
今年の冬は、まぶたがかっさかさで気持ちが悪い。
  ニベア一択、ぜんぶで2,000円、
  コストパフォーマンスは最強だ。



冬、青缶、で検索してみた。
今年の冬も、みんな青缶を絶賛している。
  ちなみに、冬は寒くて屋外ではできない、
  なんてのはサジェストされない。

念のため、栗皮の剥き方、でも検索してみたが、
だいじょうぶ、Googleは安心していい。
  予想外な検索結果に、
  たじろがされることはない。

そんな馬鹿なことばかり思いつく僕の内面は、
他人は直接には知ることができないから助かる。
  他人からは、容姿や服装やもの言いやふるまいや、
  つまり、外見が僕のすべてと言ってもいい。
  
  今年の冬も、見かけ重視で。







  1. 2014年12月16日 13:51 |
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かみ合わないこと 3/3


僕でなくても成り立つ会話は、
僕には、他人のようによそよそしい。

    しかし、僕が僕であろうとしても、
    うまく伝えられそうにない。


みんなもそんなものだろう。
それで良くも悪くもない。

    かみ合っている以上に何が要る?
    当りまえの会話のほかに何を望む?


それでも、表層を滑走する会話の中にも、
独自の内容を詰め込んでみたくなる。

    正直な気持ちを織り交ぜて、
    ぎこちなく糸口をちらつかせてみる。


自分が他人のようになって、
しらけてしまう前に。

    何もしないうちから、
    満たされないと嘆く前に。


相手も、僕と同じ気持ちを抱えているのなら。
共感の手前で、途方に暮れているのなら。

    ありきたりの会話しかできないことを、
    お互いに残念がっているのなら。


きっと、自分らしい表現ができなかった僕の代わりに、
表現を一致させてくれる他人がいる。

    他人のようになりそうな自分でも、
    きっと、その他人の中に自分を見つけることができる。


うまく言えない僕にでも、
心を寄せて感じ取ってくれる他人がいる。

    そんな誰かに出会いたいけれど、また今日も、
    きっと、うまく伝えられそうにない。







  1. 2014年12月11日 18:28 |
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かみ合わないこと 2/x


難しいことを話しているわけではない。
マイナーな趣味の話題でもない。

    そんなのは、かみ合わないのが当然で、
    逆に、かみ合わないことを楽しいと思える。


かみ合わなさは、
当りまえの会話の中にある。

    かみ合っているような会話の中に、
    かみ合わなさを見つけてしまう。


いつか誰かとしたような、
上滑りする会話の中に。

    9割の人が思いつくような考えと、
    受け売りの言葉の繰り返しに。


かみ合っているとしか、
言いようのない会話の中に。

    予測がつくような展開を、
    きれいにトレースするやりとりに。


僕でなくても成り立つ会話は、
他人のようによそよそしい。

    誰かと話しながら、僕が僕でいられることは、
    決して容易ではないだろう。







  1. 2014年12月09日 21:13 |
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かみ合わないこと 1/x


    かみ合わない、
    誰にでも、そんな人がいると思う。


おそらく、結果ではなく、プロセスに係る。
同意が得られたかどうかではない。

    きっと、感情の共有に係っている。
    共感が得られたかどうかに係っている。


意見の合意が得られても、
かみ合わなければ味気なさが残る。

    意見が分かれても、
    がっちりかみ合う感じは心地いい。


かみ合わないことは、
仕方がないことだ。

    合う人とは合うし、合わない人とは合わない。
    もちろん、誰も悪くない。


かみ合わないことに気づいた人が、
少し悲しくなるだけだ。







  1. 2014年12月08日 20:41 |
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優しさ、に従って


吉野弘の「夕焼け」は、
優しい心の持ち主が、
感情を行動に移せなかったときの受難を描く。

では、優しさが生まれたときには、
すでに行動する責務を含んでいる、と言えそうだ。
抱えてしまった優しさは、
どう表すのか、何ができるのかを内包している。
そして、その時々に、自らが求める行動を、
自ら引き受けることになる。

自分にできることを探すために、
優しさを抱えている、とも言えそうだ。
だから、行動を自制し続けると、
優しさは、いつかは破綻する。
何もできないことがデフォルトになると、
何もできないつらさに耐えられなくなる。

誰かに心を寄せるような感性が機能しなくなる。
そんなふうに自分を騙さないと自制は続かない。
何も感じないほうが楽ちんに過ごせる。
優しさを、行動に移せる自分がいなければ、
その心の優しさは、優しさゆえに、
その優しさの持ち主を壊してしまうだろう。

「娘」は、すでに何も感じなくなって久しい「若者」に、
飲み込まれようとしている。



あるいは、行動を伴わない人は、
自己評価を上げることで、
優しい自分を守ろうとする。
優しくない人ほど、自分のことを優しいと思い込む。
他人のことは行動で判断するほかはないが、
自分のことは思索で判断することができる。

「作者」は、何も行動を起こさない。
ぜんぜん優しく映らない。
客観的には「若者」と同じに見える。
しかし、客観評価は低いままでも、
「娘」の気持ちが解かることで、
「作者」は自らを優しいと、読者に思わせることができる。

この詩の、不快感はここにある。
「娘」の受難に仮託して、
「作者」は優しい心の持ち主になる。
「娘」が優しくない自分の客観評価を下げれば下げるほど、
「作者」の自己評価が上がり、「作者」が優しく見える仕組みだ。
だから、作者は「娘」に過剰な自責をさせる。

僕たちは、迂闊にも、
優しい「作者」に、飲み込まれてしまった。



幸運なことに、「作者」は電車を降りた。
今頃は、詩作に夢中だ。
この隙に、「作者」の呪縛から抜け出て、
「娘」を受難から解放しよう。
まだ間に合う。
「娘」は、まだ「若者」になり切っていない。

「作者」はもういない、自由に行動していい。
次の駅で降りるふりをして、席を立て!



考えれば考えるほど、
自分の行動は危うくなる。
うまくいかないことは多いけれど、
半分でもうまくいけば上等だ。
いつかは行動それ自体が、
かつての、すべての行動を説明してくれる。

自由に行動していい。
立ち上がれ!



矛盾と不合理が詰め合わさった、
そんな世の中で合理性を貫けば、
容易に理解されなくて当然だ。
そこで語られる言葉は、
多くの人に通じる言葉ではないが、
必ず分かり合える人がいる。

自由に行動していい。
立ち上がれ!

    141202a.jpg

「作者」はもういない。
立ち上がれ!







  1. 2014年12月04日 20:31 |
  2. 優しさ
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優しさ、雑感 4/4


優しさについて、
とりとめもなく書き連ねている。

たぶん、僕だって、優しさがどのようなものかは、
おぼろげながら知っている。
おそらく、世の中的な優しさと、
僕の思う優しさは、大きくは違わない。
基本的な枠組みは合っている。



優しさは、コンビニエンスな言葉だから、
使い倒されていくうちに汚されて、
価値がすり減ってしまいそうになるけれど、
常に高い格付けを維持していて、
その安定感は半端ない。

きっと、今日も誰かの優しさが、
優しさの価値を引き上げている。



誰もが知っているような詩を俎上に載せて、
書き手の僕の、ひねくれた考えや想いを、
読み手によみがえらせることは、
たいていは、失敗することが運命づけられている。

それでも、多少なりとも伝えることができたのは、
優しさが、広い射程を持っていて、
うまく語り得ないことだったからだろう。



きっと、優しさは、
僕のひねくれた考えや想いまでも、
その射程に収めている。

そして、うまく語り得ない対象を、
みんなで大きくは違わずにやりとりしている不思議、
それを問題とするかどうか、それが問題になるのだろう。
問題は、問題を問題と思えるかどうかにかかっている。



優しさを、優しさと思えるかどうか、
それが優しさの問題だ。
優しくない人にとっては、問題にもならない。

問題は、優しさから引き起こされた行動が、
正しいかどうかではない。
そんなものは最初から、確かめるすべなんてない。
結果は、優しさの与り知らないところにある。



優しい人にとっては、
この世界は優しい。

優しさは、優しくなければ見過ごしてしまう優しさを、
拾い上げる感性だ。
優しい人には、この世界が、
僕とは違って見えるのだろう。
優しい人は、優しい世界で生きている。



そして、僕が、鈍くて、ぼんやりしていても、
その間にも誰かの優しさが、
僕に気づかれないうちに僕に届けられているのなら、
優しくない人にとっても、
やはり、この世界は優しい。

そう結論づけたくて、矛盾と不合理が詰め合わさった、
この世界を見渡してみる。

    141202b.jpg

そして、また宙に吊るされて、
結論には至らない。







  1. 2014年12月02日 22:03 |
  2. 優しさ
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