馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

得たものと失ったもの


時間という言葉には、
進歩や発展の観念が紛れ込む。
すっかり時間の顔つきだから、
見間違えるのは僕だけではないはず。

進歩や発展は、
手放しで喜んでいい、わけではない。
それらは無償ではなく、
必ずなにかを反対給付にする。


例えば、月 ――。
今、僕の駄文を映し出している端末があれば、
僕たちは、1分もかからないうちに、
月の裏側の映像を見ることができる。

僕たちは、この映像と引き替えに、
自由な想像を失った。
竹取物語にもジュール・ベルヌにも、
心を動かされることはなくなった。

僕たちが得たものと失ったもの。
どちらが僕たちにとっての幸福につながったのか、
誰も答えることができないから、
誰も訊こうとはしないけれど。

もしも、選ぶことができるのなら、
僕はどちらを選ぶのだろう。


例えば、こんなクルマ ――。
以下省略。

    rover_mini_140821c.jpg







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  1. 2014年08月25日 23:03 |
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夏の正体


朝が早くて、昼が長くて、
昼は白くて、夜は黒くて。

暑くて、眩しくて、
落ち着きがなくて、気だるくて。

騒々しくて、混み合っていて、
現実が遠のいて、異界に近づいて。

ふしだらで、正直で、
わがままで、気まぐれで。

    rover_mini_140821b.jpg

夏の終わりのこの頃に、
抜け落ちてゆくこんな気分。

季節外れに夏を想えば、
わき起こってくるあんな気分。

そんなのが、
夏の正体に違いない。







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  1. 2014年08月25日 13:17 |
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処暑


    rover_mini_140821d.jpg

今年の夏も、
過ぎてしまえば、
短くて、楽しくて、
大好きな夏。







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  1. 2014年08月23日 00:34 |
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Frank Daniel


イタリアのファクトリーブランド、
フランク・ダニエルのショルダー。

タグやロゴをありがたがらない向きの選択。
さらには、ブランド志向に反発する向きの選択。

    140821a.jpg

うん、ミニのシートによく似合う。

ランドセルのように、ふたをかぶせる。
お尻に回したときには、ぱかぱかと音がして、
諸行無常の響きあり。
ひとえに、
ランドセルの留め具が外れている子どもに同じ。







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  1. 2014年08月21日 15:02 |
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人は互いのために生きている 5/5


…… ひとり食べる主体のみが、
「他人のために」<他人の代わりに>たりうる。
かかる主体のみが意味しうるのだ。
意味 ―― 他人のために身代わりになる一者 ―― は、
血肉をそなえた諸存在のあいだでのみその意味を有する。
―― 存在の彼方へ



…… 無限は倫理的に抵抗する顔として現前する。
この倫理的抵抗は私の権能を麻痺させると共に、
絶対的かつ執拗なものとして、
無防備な眼の奥底から顔の裸出性と悲惨のうちに立ち現われる。
この悲惨と飢えの了解が<他人>との近さを創設する。
実を言うと、無限の公現はこのようにして表出および言説と化すのである。
表出の根源的本質は秘められた内的世界の情報を提供することではない。
表出においては、一個の存在がみずから現前する。
現出するこの存在は自分自身の現出に臨在し、
それによって私に訴えかける。
このような臨在は形象(イマージュ)の中立態ではなく、
みずからの悲惨と<高貴さ>によって私に懇願することである。
現出のなかには形あるものが不可避的に存在するが、
私に語りかけることはこの形あるものを不断に乗り越えることである。
顔として現出すること、
それは、現出させられ単なる現象と化した形で現出することである。
しかもこの現前は、いかなる形象にも媒介されることなく、
顔の裸出性をつうじて、つまりは顔の悲惨と餓えをつうじて生じる。
<欲望>においては、<他者>の<高貴さ>に向かう運動と
<他者>の<卑下>に向かう運動とが一体化しているのである。
―― 全体性と無限



人は人の糧になる。
糧とともに、悲惨と飢餓を呑み下す。

糧は、意味を奪われる。
どんな意味の比喩でもない。

最後に残った者が、
最後から2番めに残った者を食うとき、
人は腹の底から知るだろう。

人は互いのために生きていると。

    『存在の彼方へ』/エマニュエル・レヴィナス著、
     合田正人訳、1999、講談社学術文庫
    『全体性と無限 ―― 外部性についての試論』
     /エマニュエル・レヴィナス 著、合田正人訳、1989、国文社

    最後に残った者が、最後から2番めに残った者を食うとき、人は腹の底から知るだろう。人は互いのために生きていると。







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  1. 2014年08月12日 12:04 |
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人は互いのために生きている 4/5


「ねえ、ガブ。はじめて あった とき、
わたしが ヤギだと しってたら?」
「……くってやした。」
―― ふぶきのあした

ヤギの眼は笑っている。
水平方向に開かれた虹彩が微笑みかけている。



私は母親を食べた
そして 私の母は 私の父を食べて私を生んだ
だから 今の私は 私の父と母と
その2人が食べた沢山の命で出来ている
……

ただ私の願いは
そうやって受け継いできた 大切な私の命を
いつか生まれる私の子供に ちゃんとひきわたすこと
私の体はいつか 私の子供に食べてもらう
それまでは 絶対に死ぬことは出来ない
……

ジャック
ジャック 私の手 たべた?
ちゃんとたべてくれた?

もし これから先 あなたが
自分より相手に生きてほしいと思う人があらわれたら
誰よりも大切な人が出来たら
その人にたべてもらいなさい
おしまずその人に命をあげなさい
あなたの命はちゃんとその人に重なってゆくのよ
―― 22XX



ジャックは、少女の左手を食べることができなかった。
そして、後に、食べてやればよかったと悔いる。



しかし死の前にどうかすると病人を訪れることのある、
あの意識の鮮明な瞬間、
彼は警官のような澄んだ眼で、
私を見凝(みつ)めていった。
「何だ、お前まだいたのかい。
可哀(かわい)そうに。
俺(おれ)が死んだら、
ここを食べてもいいよ」
彼はのろのろと痩(や)せた左手を挙げ、
右手でその上膊部(じょうはくぶ)を叩(たた)いた。
―― 野火



田村は、将校の左手を食べることができなかった。
そして、後に、食べなくてよかったと省みる。



    『ふぶきのあした』/木村裕一著、あべ弘士絵、
     2002、講談社
    『22XX』/清水玲子著、
     1994、白泉社、花とゆめCOMICS
    『野火』/大岡昇平著、
     1952、新潮文庫

    ジャックは、少女の左手を食べることができなかった。そして、後に、食べてやればよかったと悔いる。田村は、将校の左手を食べることができなかった。そして、後に、食べなくてよかったと省みる。







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  1. 2014年08月11日 18:33 |
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人は互いのために生きている 3/5


アンパンマンは、なにをして生きるのか。
それはパンのすることではないのだが…。

こまってる ひとを たすけるよ。
わるい やつを やっつけるぞ。
―― アンパンマンの しごとは なあに



自らを生きてるパンだと言った者を、
僕はもうひとり知っている。

わたしは、天から降って来た生きたパンである。
―― ヨハネ6章51節

パンを自称する者は、
どうやら余計なことをしたがるらしい。



93年12月放映の、
『それいけ! アンパンマン』に、
こんな会話を見つけた。

……
しょくぱんまん : しっかり。なにがあったんですか?
てんどんまん : あたしの天丼を、かまめしどんに食べられたざんす。
かまめしどん : おらの釜飯ば、かつどんまんに…。
かつどんまん : ミーのカツ丼は、てんどんまんが…。
カレーパンマン : こいつら、お互いの中身を食べ合ったんだ!
しょくぱんまん : どうしてそんなことを…。
……
―― ドクターヒヤリとおばけの城



てんどんまん、かつどんまん、かまめしどんの「どんぶりまんトリオ」は、
互いを食べ合った。
それは不思議なことではない。

丼は食べ物だ。
不思議なのは、しょくぱんまんの台詞だろう。
不思議なことは、食うことではない。

食えるものを、食わないことだ。



    『それいけ! アンパンマン ひみつがいっぱい 1』
     /やなせたかし原作、2000、フレーベル館
    『聖書 新共同訳 和英対照』
     /1997、1992、日本聖書協会
    DVD『それいけ! アンパンマン ドクターヒヤリとおばけの城』
     /やなせたかし原作、岸間信明脚本、永丘昭典監督、
      2003、フレーベル館、VAP







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  1. 2014年08月11日 18:32 |
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アンパンマンのマーチ


    ……
    ときは はやく すぎる
    ひかる ほしは きえる
    だから きみは いくんだ ほほえんで
    ……

接続詞は、「だけど」ではなく、
「だから」で切り結ぶ。
それだけで、底が深くなる。

諸行無常、
だから、微笑む。



    ……
    なんの ために うまれて
    なにを して いきるのか
    ……

なんて途方もない問いだろう。

幼いうちから、人は生命から滑り降りる。
自分の足で歩くとき、
なんのために、なにをして、
そんな価値へと駆け上る。

その価値観は、生命を取り込んでしまう。
生命を基にして成り立っているにもかかわらず、
逆に、生命が価値観に所有されてしまう。
所有により、生命の価値が抜け落ちる。
生命の所有は、その放棄、
―― 自殺をも可能にしてしまうのだ。

生きている価値がない、
誰でも、かつて一度くらいは、
自分をそんなふうに思っただろう。
しかし、そのときの、その価値観は、
生命を基に成立しているはずだ。

人は、譲れない価値を守るために、
生命を賭けることができる。
しかし、生命を賭して守るべきもの、
その対象への価値は生命が作り出している。

生命を所有しているのは、
人だけなのかもしれない。
生かされている、
そんなもの言いもしたくはないが。



40億年前、最初の生命が誕生した。
僕の生命は、その直系卑属に当たる。
その間、生命は、
一瞬も途切れることなく僕に受け継がれてきた。

どれだけの生命が奪われたのだろう。
どれだけの愛情が注がれたのだろう。
僕のDNAの塩基の並びには、
どんな思いが刻まれているのだろう。
僕が、今、ここにいる、
ただそれだけのために。



    ……
    いまを いきる ことで
    あつい こころ もえる
    だから きみは いくんだ ほほえんで
    ……

君の目に、僕が映っている。
君も、僕も、同じ生命を継いできて、
今、同じ時を生きている。

君は、たくさんのことを教えてくれる。
僕を、ありていに映し出す。
君は、言葉の厳格な意味において無垢だから。



    そうだ うれしいんだ いきる よろこび
    たとえ むねの きずが いたんでも

    なんの ために うまれて
    なにを して いきるのか
    こたえられないなんて
    そんなのは いやだ!
    いまを いきる ことで
    あつい こころ もえる
    だから きみは いくんだ ほほえんで

    そうだ うれしいんだ いきる よろこび
    たとえ むねの きずが いたんでも
    ああ アンパンマン やさしい きみは
    いけ! みんなの ゆめ まもるため

    なにが きみの しあわせ
    なにを して よろこぶ
    わからないまま おわる
    そんなのは いやだ!
    わすれないで ゆめを
    こぼさないで なみだ
    だから きみは とぶんだ どこまでも

    そうだ おそれないで みんなの ために
    あいと ゆうきだけが ともだちさ
    ああ アンパンマン やさしい きみは
    いけ! みんなの ゆめ まもるため

    ときは はやく すぎる
    ひかる ほしは きえる
    だから きみは いくんだ ほほえんで

    そうだ うれしいんだ いきる よろこび
    たとえ どんな てきが あいてでも
    ああ アンパンマン やさしい きみは
    いけ! みんなの ゆめ まもるため

    ―― 『アンパンマンのマーチ』
       /やなせたかし作詞、三木たかし作曲

    接続詞は、「だけど」ではなく、「だから」で切り結ぶ。それだけで、底が深くなる。諸行無常、だから、微笑む。







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  1. 2014年08月10日 21:15 |
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人は互いのために生きている 2/5


よく言われる台詞だが、
人も互いのために生きている。

…… 江戸時代の農民が、飢饉(ききん)にさいして、
互いに自分の子を他人の子と交換して、その肉を食べた例 ……
―― ひかりごけ



昔話の「かちかち山」は、
室町末期に成立したらしい。
きっと、タヌキ汁と称して、
家族で婆さんを食ってしまったのだろう。

昔話には、ほとんど例外なく、
どこか後ろ暗い邪悪さが描かれている。
それは、狐や狸を擬人化して語られていても、
―― 擬人化というからには自明だが、
人の邪悪さにほかならない。

語り継がれる話があるのなら、
その起源となる出来事があったと考えるのが、
―― なかったと考えるよりも、
余程、妥当だろう。

昔々、あるところに…。
不確かな昔、不確かなところで、
不確かな出来事が、
しかし、それは確かにあった。

翁童は、半ばこの世の者ではない。
子どもは異界に片足を残し、
年寄りは異界に片足を突っ込んでいる。
曖昧な存在の彼らは、間引かれて、
あるいは、捨てられる。
人を殺すという意識は薄い。
彼らは、異界に戻されて、
あるいは、異界に送られたのだから。



子どもは、きっと、
顔を差し出さなかったから交換されたのだろう。
婆さんは、笑顔を差し出して言ったに違いない。
言わなかったとしても、ちゃんと顔に書いてある。
アンパンマンのように微笑んで。

おなかが すいた ひとに
たべさせて あげるよ。
―― アンパンマンの からだの ひみつ ―― かお



    『ひかりごけ』/武田泰淳著、
     1964、新潮文庫
    『それいけ! アンパンマン ひみつがいっぱい 1』
     /やなせたかし原作、2000、フレーベル館

    昔々、あるところに…。不確かな昔、不確かなところで、不確かな出来事が、しかし、それは確かにあった。







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  1. 2014年08月10日 21:14 |
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人は互いのために生きている 1/x


初めに、ここには全く何もなかった。
まさに死によって、これは覆われていた、
飢えによって。
なぜなら死は飢えだからである。
……
死は欲した。
「私に第二の自己が生まれる様に!」と。
飢えである死は、
その思考によって言葉と性交した。
―― ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド



例えば、今夜、
例えば、猫が餓死したら、
今夜は、猫は、
例えば、雀を食わなくてもいい。

そして、猫は食われる側に回る。
雀に突つかれて、
雛のもとへと運ばれる。

雀は、今、
猫に食われるために生きている。
同時に、猫は、今、
雀に食われるために生きている。

互いのために生きているとは、
そういうことではないか?



例えば、猫は、
相当に頭が悪い。
過去を憶えていることができない、
未来を想うこともできない。
今、置かれている状況しか生きられない。

人は、相当に頭がいいが、
現在の状況しか生きられないことは、猫と変わらない。
人は、いつでも、
今、置かれている状況を生きている。



過ぎ去れるを追うことなかれ。
いまだ来たらざるを念(ねが)うことなかれ。
過去、そはすでに捨てられたり。
未来、そはいまだ到らざるなり。
されば、ただ現在するところのものを、
そのところにおいてよく観察すべし。
揺らぐことなく、動ずることなく、
そを見きわめ、そを実践すべし。
ただ今日まさに作(な)すべきことを熱心になせ。
たれか明日死のあるを知らんや。……
―― 一夜賢者経



だから、明日のことまで思い悩むな。
明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である。
―― マタイ6章34節



だから、言っておく。
自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、
また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。
命は食べ物よりも大切であり、
体は衣服よりも大切ではないか。
―― マタイ6章25節



そう、命は食べ物よりも大切だ。
他者の命であっても、自己の食べ物よりも大切だ。

食糧を背負って歩く猫はいない。



    『ウパニシャッド ―― 翻訳および解説』/湯田豊著、
     2000、大東出版社
    『阿含経典による仏教の根本聖典』/増谷文雄著、
     1993、大蔵出版
    『聖書 新共同訳 和英対照』
     /1997、1992、日本聖書協会

    そう、命は食べ物よりも大切だ。他者の命であっても、自己の食べ物よりも大切だ。食糧を背負って歩く猫はいない。







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  1. 2014年08月10日 10:43 |
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