馬鹿の世界の点景になりたい。

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「現在の不在」仮説 (。-`ω´-)ンー 3/3


物理的な、客観的な時間は、
エントロピーの不可逆的な増大、
と説明されることが多い。
時間とともにエントロピーが増大する。
エントロピーの増大が時間である。

主観的な時間は、全身でその増大に、
逆らい続ける抵抗感である。


では、時間とともにエントロピーが縮小する、
エントロピーの縮小が時間である、
そう定義する時間も成立させることができる。
それを成り立たせない理由は、
僕たちがそう思えないから、それだけだ。

なぜ、時間は過去から未来へ向かうのか。
それは、実は、質問になっていない。
過去と未来は、すでに時間の後先にある。
問い直すなら、なぜ、前は後の前で、
なぜ、後は前の後なのか。

なぜ、前は前なのか、なぜ、後は後なのか。
なぜ、前後があるのか。


例えば、原因と結果、この思考のパターンは、
僕たちの主観的な時間が、
過去から未来に向かっていることが前提になる。
結果から原因に向かう思考を持つ者なら、
時間を逆に進ませようとするだろう。

原因も結果も考えない者には、
主観的な時間は流れない。
ダンゴムシには、1億年も1秒も、
長くもないし、短くもない。
長短という時間を、時間に帰すような愚を犯さない。

ダンゴムシには、主観的には、過去も未来もなく、
だから、現在と正対し続けることができる。
僕たちは、現在を不在にした代わりに、
過去と未来を手に入れて、
そして、双方向の時間の流れを失った。

つまり、時間の向きとは、
僕たちの、という所有格である。

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  1. 2016年03月19日 12:21 |
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「現在の不在」仮説 (。-`ω´-)ンー 2.b/3


        反時計回りの歯車と、
        時計回りの歯車の、
        接点が軋(きし)んでいる。

        過去からの流れと、
        未来からの流れが、
        ぶつかって波頭が立つ。

        過去からの世界と、
        未来からの世界が、
        互いをすり抜ける。

        過去と未来が出会って、
        現在が現れる。
        何を思い浮かべても、

        僕の妄想でしかないけれど。


        プラトンは、惑星の運行が螺旋(ねじ)を巻き、
        時間を進めると考えた。
        そうだとしても、そうでなくても、

        なんて素敵な発想だろう。



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  1. 2016年03月18日 12:21 |
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「現在の不在」仮説 (。-`ω´-)ンー 2.a/3


        「純粋理性批判」で、
        カントは、「ラプラスの悪魔」を認めた。
        世界は、僕たちには為す術(すべ)もなく、
        宇宙の端緒から決定されている。
        僕たちの未来は、変えられない。

        「実践理性批判」で、
        カントは、人の自由意思を認めた。
        世界と、世の中・世間・社会と呼ばれるものを分けた。
        その真部分集合において、
        未来は、僕たちの手の中にある。

        そして、カントが考える「自由」とは、
        欲望や感情に任せることではない。
        欲望や感情に抗うことである。
        受動ではなく、受動に逆らう能動である。
        僕には、そう読める。

        カントは、そんなに単純なことは、
        言ってないのかもしれない。
        単純な僕が、カントを読み込むと、
        単純な出力しか返せない、
        それだけのことかもしれない。

        哲学の素養がない僕の、
        誤読かもしれない。
        誰かがどこかで、僕を笑っているのかもしれない。
        それでも、僕がそうとしか思えないのなら、
        それはそれで、僕には仕方のないことだ。

        誤読したまま、都合よく話を進めると、
        時間についての「自由」とは、
        過去から未来への流れに、
        身を委ねる受動ではなく、
        流れに逆らう能動である。

        「自由」とは、
        あり得ない側に賭けることである。



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  1. 2016年03月17日 21:03 |
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「現在の不在」仮説 (。-`ω´-)ンー 2/3


僕たちの知覚は、重くて、遅くて、
推移する今を直観できない。
常に、刹那の後の現在、
すなわち、過去を現在と呼び、
それを基にして刹那の先の未来を描く。

つまり、現在だけがない。
過去と未来が在って、現在が不在になっている。


僕たちは、現在と正面から向き合えない。
客観的な、時間そのものについては、
過去も未来もなく、現在だけが在るのに、
主観的な、僕たちの意識としては、
過去と未来があり、現在だけがない。

現在がないのなら、
作らないと仕方がないだろう。


現在が不在なら、
過去に存在していたことと、
未来に存在するであろうことで、
不在を埋め合わせるしか方法がない。
現在は、過去と未来からの借りものである。

現在がなくなれば、
過去も未来もつなぎ留めることができず、
ばらばらにほどけてしまうその前に、
過去と未来をたぐり寄せ、
現在の結び目が作ろうとする。

そんなふうに、僕たちは、
時間を流している、と仮定する。



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  1. 2016年03月15日 12:41 |
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「現在の不在」仮説 (。-`ω´-)ンー 1/3


僕たちは、常に現在にいて、
過去はどこにも保存されていないし、
未来はどこにも準備されていないから、
現在のほかには居場所がなくて、
現在のほかには何もなくて。

だから、現に在ることで、
現在と呼ぶけれど。


では、現在は、連続か、非連続か、
現在は過去から続いているのか、
現在は未来へと続くのか。
現在は、連続の虚偽の区切りか、
連続は、現在の虚偽の集合か。

現在だけがあるのなら、
過去や未来を作り出しているのは何か。


現在だけがあるのなら、
時間を進めているのは何か。
現在だけがあるのなら、
過去から未来に流れている、
時間の向きを決めているのは何か。



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  1. 2016年03月14日 12:04 |
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得たものと失ったもの


時間という言葉には、
進歩や発展の観念が紛れ込む。
すっかり時間の顔つきだから、
見間違えるのは僕だけではないはず。

進歩や発展は、
手放しで喜んでいい、わけではない。
それらは無償ではなく、
必ずなにかを反対給付にする。


例えば、月 ――。
今、僕の駄文を映し出している端末があれば、
僕たちは、1分もかからないうちに、
月の裏側の映像を見ることができる。

僕たちは、この映像と引き替えに、
自由な想像を失った。
竹取物語にもジュール・ベルヌにも、
心を動かされることはなくなった。

僕たちが得たものと失ったもの。
どちらが僕たちにとっての幸福につながったのか、
誰も答えることができないから、
誰も訊こうとはしないけれど。

もしも、選ぶことができるのなら、
僕はどちらを選ぶのだろう。


例えば、こんなクルマ ――。
以下省略。

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  1. 2014年08月25日 23:03 |
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春は朝を追い越せない


速度は、距離/時間で求められる。
春と朝では、春の方が速い。
春は朝よりも速く

距離は、速度×時間で求められる。
春と朝では、春の方が遠い。
春は朝よりも遠く

時間は、距離/速度で求められる。
時間については、
春と朝では何がどうなるのだろう。



おそらくは、
何もどうにもならない。

同じ時間の中で、周りながら回るのなら、
春の時間も、朝の時間も同じ時間だ。



時間を、数量的に数え上げられる期間とすれば、比較はできる。

例えば、春を3月から5月の92日間とすれば、
春の期間は92日×24時間の2208時間になる。

朝を、例えば5時から11時とすれば、
朝の期間は92日×6時間の552時間になる。

朝が短くなるのは当然だ。
24時間のうちの6時間を朝とすれば、朝は4分の1、
4時間を朝とすれば、6分の1になる。

しかし、春の中に含まれる朝の期間と、
朝の中に含まれる春の期間は、同じだろう。

時間それ自体は長くなるとも、短くなるとも、
速くなるとも、遅くなるとも、
速くも遅くもならないとも言えない。
期間や速度を時間に帰そうとすれば、
同語反復やカテゴリー錯誤に陥ってしまう。



現在、2月23日、日曜日、23時23分。
待ち遠しい春だが、
春は朝を追い越せない。

その前に、必ず、
待ち遠しくない月曜日の朝が来る。







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  1. 2014年02月24日 10:44 |
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春は朝よりも遠く


現在、2月22日、土曜日、23時33分、
もうすぐ今日と明日が出会う。
もうすぐ明日が今日になる。

今日も寒い一日だった。
3月になれば暖かくなるのだろうか。

春はどこまで来ているのだろう。



地球と太陽の距離は、15000万km、
地球の公転軌道は、15000万×2×πで、94248万km、
公転周期は、365日、
3月まで、あと6日、
94248万×6/365で、1549万km。

春まで、あと1500万km。



現在、2月23日、日曜日、00時03分、
昨日と今日が出会った。
今日が昨日になった。

朝はどこまで来ているのだろう。



地球の赤道半径は、6378km、
赤道の円周は、6378×2×πで、40074km、
大阪市の緯度は、北緯34度41分10秒、
10進で、34.6862971、
40074×cos34.7で、32947km、
2月23日の大阪市の日の出は、6時35分、
32947×6.5/24で、8923km。

朝まで、あと9000km。



50km/hのクルマで走れば、
春まで30万時間、朝まで180時間もかかる。
春には34年後に、朝には7日後にたどり着く。

くだらない計算をするよりは、
寝て待ったほうがよさそうだ。







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  1. 2014年02月23日 10:52 |
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春は朝よりも速く


地球の自転周期は、約24時間。
地球の平均半径は、約6371km。
単純に計算して、赤道付近の自転速度は、時速約1668km。

大阪市は、北緯34度40分くらい。
1668×cos34で、大阪市の自転速度は時速約1383km、秒速約384m。

秒速約384m、
それは、朝が訪れる速度。



地球の公転周期は、約365日。
軌道の長さは約93890万km。
大雑把に計算して、地球の公転速度は、秒速約29.8km。

秒速約29.8km、
それは、春が訪れる速度。



春は朝よりも速く訪れる。

きっと、昼の間にも、夜の間にも、
季節が移り行くから。







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  1. 2014年02月22日 12:27 |
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夢より夢にまよひぬるかな


僕にとっては、
僕の周りは僕が作り出した嘘で、
そこから先のこんがらがった宇宙まるごとは、
ありのままぜんぶ真実になる。

僕にとっては、
少し遅れてくる僕の瞬間が嘘で、
その直前の、僕が耐えられそうにない、
時間の先頭が持つ全体性が真実になる。

いずれも、主観が邪魔になるが、
人がものごとを判断するためには、
自他を区別しながら言語表現をしなければならない。

まだ言語表現に至らない、
時間の先頭を捉えたとしても、
そこに何があるのだろう。
自他の区別なしでの言語表現は、
言葉にとっては崖っぷちだ。

自他は、主客に代入が可能と考える。
時間の先頭を直観できたとして、
その経験を述べるためには、
言葉によらざるを得ないなら、
表現には必ず嘘が紛れ込むことになる。

僕には何も書くことができない。



瞬間を厳密にしてみよう。

一瞬は、無限小だが、欠如や無ではない。
一瞬は、非存在を指示するのであってはならない。
示差的な規定を欠いても、
概念の対象としては実在する。

無限小は、その無規定さゆえに、
無限大と同義的だ。

無限小には始まりがなく、
無限大には終わりがない。
境界もなく、区切りもない。

宇宙まるごと、過去も未来も、
すべては今の一瞬に包含されている。
無限大の宇宙が、
無限小の今においてのみ存在するとき、
もはや人の悟性は及ばないだろう。

僕には何も書くことができない。







  1. 2013年03月29日 21:46 |
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