馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

神の無理ゲー (。-`ω´-)ンー 5.c/5 ―― multiple endings


難しいのは、考えることではない。
考えることなんて、
実は、ぜんぜん簡単なこと。

難しいのは、説明できないことを、
無理にでも説明しようとして働く自らの知性を、
自らの知性で抑え込むこと。

知らないことに耐えること。
知らないということを発見し、
答がない問いに耐え続ける力。

語り得ないものは、語り得ないままに、
空白は空白、懸隔は懸隔、
秘密は秘密、そのままに。

それが、神のクエスト。



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  1. 2016年04月11日 22:24 |
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神の無理ゲー (。-`ω´-)ンー 5.b/5 ―― multiple endings


……
それが
/星として生れた
    数であるならば
    それは存在するにしても
    /断末魔のとりとめない幻覚とは別に
    それは始まりそして止むにしても
    /現われるや否定され閉じられるのではあるが湧き出て
    /結局は
    /夥しくも拡散してまばらになり
    それは数えられるにしても
    /単位でさえあれば総計による明証として
    それは照らすにしても
それは
/もつとわるい
/いな
/以上でもなく以下でもなく
/一様に同じだけ
偶然であるだろう
……
    ―― 『骰子一擲』、
        /ステファヌ・マラルメ著、秋山澄夫訳
        1991、思潮社



マラルメの「骰子一擲」を、
僕は、宇宙の始まりと、
桜の花弁の比喩と誤読する。
それ以外の誤読は、僕にはできない。

さておき、宇宙の始まりと桜の花弁は、
僕には、どちらも神を認めざるを得ない出来事だが、
宇宙の始まりが神の摂理なら、
神は、「無」に書きつけられている。

僕は、黙り込んで、手ぶらで引き返すだけ。
僕が引き返す地点の先で、宗教が語り始める。



    160409.jpg



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  1. 2016年04月10日 12:09 |
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神の無理ゲー (。-`ω´-)ンー 5.a/5 ―― multiple endings


空間が生まれ、時間が流れ出す。
    10^-44秒後 ――、
    1秒の1兆分の1を1兆分の1にして、
    さらに10億分の1にした時の間に、
    宇宙は、10^-33cmから直径1cmにまで膨れた。

極めて極めて小さい宇宙が、
極めて小さい宇宙になったわけだが、
この膨張率は凄まじい。
    1mmから始まったとしたなら、
    1000億光年の大きさになっている。

その時の温度は1兆×1兆×1万度。
    僕が、ひと桁、ふた桁間違えていたとしても、
    1兆割るのを、掛けるのを、
    忘れていたとしても、文脈が変わらない。
    きっと、誰もが考えることをやめている。

刹那の後、握りこぶしに収まっていた宇宙は、
さらに僕たちが直観できないふるまいをする。
    10^-35秒後 ――、
    1cmで隣り合っていた空間は、
    現在観測できる宇宙全体よりも遠く離れた。



1秒の1兆分の1もあれば、
宇宙が1つ端緒を開く。
    1秒で1兆の宇宙ができるなら、
    130億年に1度くらいは、
    僕たちのこんな奇想天外な世界もできそうだ。

生命を生み出すような、
奇天烈(きてれつ)な跳躍力を秘めた宇宙が生まれた。
    立ち止まるのが苦手な生命は、
    ぶっ飛んだ振舞いを続けて、
    やがて、素頓狂(すっとんきょう)に空を見上げる。

宇宙の側からしてみれば、
宇宙は僕たちを得て、
初めて宇宙を想うことができた。
    僕たちが宇宙を想うことは、
    宇宙が宇宙を想うこと。

もちろん、人が想う以外の宇宙は、
人の思惑どおりの在りかたをしているとは限らない。
    その誰かの側からしてみれば、
    僕たちの理解だけでは、
    あまりにも心許ないと言うだろう。

それでも、僕たちが宇宙を想うことは、
宇宙が宇宙を想うことにほかならない。



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  1. 2016年04月09日 12:31 |
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神の無理ゲー (。-`ω´-)ンー 5/5 ―― 4面、クリアできない全知全能


神が全知全能だとしても、
僕たちは、全能でないゆえに、
神が知らないことを知ることができる。

全知と全能は、矛盾する。
全知全能は、能がない者の悲しさや、
力がない者のくやしさを知る能力を欠く。

全知と全能を並べれば、
あらかじめ、または同時に、
全知でもなく、全能でもなくなってしまう。

人には、全知全能など分からない。
それは、自らの認識を越えた認識の構築で、
その矛盾は、限界を表している。


『純粋理性批判』っぽく言えば、
この世界は、弱者を淘汰する。
『実践理性批判』っぽく言えば、

この社会は、弱者を許容することができる。


愚かな者や、弱い者は、
自らの経験から、ほかの誰かの悲しさや、
くやしさに心を寄せることができる。

それは、全知全能に、
ほど遠い者たちに与えられた能力である。
それは、全知全能には持つことができない能力だから、

全知全能は、それを求めてやまない。


    ……
    こよなく至福なものたちはおのずからにはなにも感ぜず、
    こう言うことが許されるとしたら、
    必ずや神々の名において
    ある他者が心を寄せて感じなくてはならない。
    この他者を神々は必要とするのだ。……
    ―― 『ライン』、
        『ヘルダーリン全集2 ―― 詩Ⅱ(1800-1843)』、
        手塚富雄、浅井真男 訳、1967、河出書房



『実践理性批判』っぽく言えば、
カントと僕は逆になる。
神が僕たちの道徳を要請している。

キリスト教的な道徳が、
キリスト教的な神を要請しても、
言葉の無意味な繰り返しに過ぎない。

素朴に、そう思う。



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  1. 2016年04月08日 19:32 |
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神の無理ゲー (。-`ω´-)ンー 4/5 ―― 3面、クリアできない不可知


人が神を理解するのなら、
同時に、神の絶対的超越性が剥奪される。
人はもはや、それを神とは呼ばない。
    僕たちは神が知らないことを知ることができず、
    神は僕たちが知らないことを知っている。
    もちろん、僕たちが何を知らないのか、
    その対象は説明されない。

たいていのものごとは、
内部に入った途端に、その外部が現れる。
何かが解かれば、それは上がりではなく、
また、振り出しに戻される。
    世界には、いつだって、
    まだ説明ができていない外側があって、
    その度に、神が現れる。

神はいつも外側にいる。
僕たちの手が届かない場所にいる。
    僕たちの思考を越える場所、
    僕たちが沈黙する地点に佇んでいる。



    それはそうだ。
    しかし、以前には、おれはそのことを知らなかった。
    今は知っている。
    (相変らず、自然な口調で)この世界は、今あるがままの姿では、
    我慢のならぬものだ。
    だからおれには月が必要だった、幸福といってもよい、
    いや不死身の命か、それはおそらく気違いじみた物に違いないが、
    とにかくこの世の物ではない何物かなのだ。
    ―― 『カリギュラ』、
        『新潮社世界文学 カミュ2』
        /渡辺守章 訳、1969、新潮社

カリギュラは月を手に入れたかった。
彼には、この世のものではない何かが足りていない。
今のままでは、我慢がならない。
    月は、僕たちの手が届かない場所にあることを示しながら、
    僕たちを照らしている。
    月は人に自らを求めさせ、
    そして、人は月を手に入れることができない。

カリギュラの野望は、
アポロ計画が引き継いだ。
    月は、世界中に嘘をついてでも手に入れたい、
    気違いじみたものである。



壮大な秘密が必ずあるが、
もはや、人には解けない予感がある。
    知ることができない、というときは、
    知ることができないこと、
    そんなことがあるということの、
    了解を含む矛盾がある。
    この秘密には、我慢がならない。


羽化を終えて飛び立つ蝶でさえ、
雨に散らされた桜の花びらでさえ、
僕たちを秘密に誘い、不可知をほのめかす。
    神とは、耐えることができない秘密である。



    160405.jpg



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  1. 2016年04月07日 20:04 |
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神の無理ゲー (。-`ω´-)ンー 3.b/5


誰がどうやっても作れそうにないものは、
誰がどうやっても作れない。
つまり、偶然にしか作れない。

でも、この世界を見渡せば、
とても偶然にできたとは思えない。
だから、超越者を介在させて折り合いをつける。

なんとかして説明しようと働く知性を、
抑え込むことの困難さに比べたら、
神を作り出すことのほうが簡単だ。


この世界は偶然だらけで、
何から何まで、桜の花びらの一片でさえ、
気が狂いそうなあり得なさで成り立っている。

あり得るものなど何もなく、
すべては、あり得ないものたちが織り成した、
あり得なさからできている。

しかし、どんなにあり得ないことだとしても、
できてしまった者にしてみれば、
存在するということしか考えられない。

この世界が存在せず、何もないことなど、
僕たちは、とても考えが及ばない。
逆に、この世界がなかった世界があり得ない。


それらのあり得なさの中の、何に照準して、
何を偶然とし、何を偶然としないかは、
僕たちの恣意にかかっている。

何かに照準を定めれば、
原因と結果という人の思考のパターンは、
偶然だらけの世界でも、容易に偶然を認めないだろう。

結果から原因を求め、
偶然で片づけたくない僕たちが、
人の限界を越える者を発明して、

それを、神と名づけた。


僕たちは、原因と結果から外れるものが分からない。
例えば、何もないことや、
初めから何かが存在することが理解できない。

神とは、解けない謎の名辞、破棄された偶然、
未解決の課題、与えられる任務、駆り立てられる冒険、
探求、探究、探索、追求、つまり、

「神の無理ゲー」におけるクエストである。



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  1. 2016年04月04日 19:21 |
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神の無理ゲー (。-`ω´-)ンー 3.a/5


僕だって、「偶然」の意味くらい、
おおよそは知っている。
    知っているのに問い直すことは、
    知っている僕に逆らうことで、
    僕を世間知らずに向かわせる。

それは、常識や、科学や、思想や、宗教や、
当りまえのことに盾突くことにほかならず、
その結果としても、僕は世間から浮いてしまう。
    ゲームばかりしていると馬鹿になるそうだが、
    なるほど、それは「神の無理ゲー」にも当てはまる。


いつだって、問いは理解されにくい。
問いの多くは、答が揃った後で、
ようやく意味が示される。
    だから、少々間違っていても答を出したほうがいい。
    問いを問いと思ってもらえなければ始まらない。

自らの内側から問いが立つときには、
答は自らの内側にあって、
見つけられるのを待っている。
    論理的に解ける問いなら、
    答えは問いの中に隠されている。


「神の無理ゲー」が好んで採り上げるクエストを、
まずは、自らの言葉で引き受ける。
    この際、答の正しさはどうでもいい。
    自らに逆らい、常識に盾突くのなら、
    もとより、間違えていることくらい知っている。



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  1. 2016年04月04日 19:18 |
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神の無理ゲー (。-`ω´-)ンー 3/x ―― 2面、クリアできない偶然


僕たちがいるこの世界を、
作った者がいるのなら、
それは神と呼ぶよりほかはない。
作った者などいなくて、偶然にできた、
そう思うなら、途端に神はいなくなる。

こんなものが偶然にできるわけがない、
そう思って見渡せば、また神が現れる。
僕の純朴な感想を言えば、
誰がどうやっても作れそうにないものは、
偶然にしか作れない。



一片の桜の花びら、
その中に水素の原子が1兆個あったとする。
数は適当だ、1兆の何倍でも、何分の1でも構わない。
1兆の水素の辿ってきた途はすべて異なるが、
共通することが2つある。

始まりは、宇宙の始まりとともに、
終わりは、アスファルトに舞い落ちた。



その途中、それは、
隣り合っていた1兆の水素が、
散り散りに宇宙に投げ出されて、
桜の花びらになって、
再び出会うまでの出来事。

再び出会った1兆の水素に、
確率を問う者はいないだろう。



僕は、一片の花びらの中の、
1兆の水素が出会う偶然を、
無防備に見守るほかはない。
一様に同じだけの偶然の出会いは、
おそらく、130億年ぶりになる。

存在と時間、それらは並立ではなく、
時間はすでに存在であり、
存在はみんな時間だ。
存在すなわち時間とするのなら、
経歴はその本質になる。

では、水素1粒の独自性は、
水素1粒そのものにあるのではなく、
そのものの経歴にある。
例えば、星になり、月になり、
塵になり、海になり、空になる。

海月(くらげ)になり、花になり、蝶になり、
猫になり、人になる。
1万年凍り、2千年沈み、10日間空に舞う。
結び、離れ、映し、考え、歩き、
燃え、燃やし、燃やされた。



宇宙の始まりから、
アスファルトに舞い落ちる花びらまで、
水素1粒の軌跡を想う者は、
宇宙の中心から、宇宙の片隅の地球までを、
描き出す画布を得る。

そんな出会いは、偶然にできるわけがないが、
偶然よりほかにできるわけがない。



    160401.jpg



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  1. 2016年04月01日 21:31 |
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神の無理ゲー (。-`ω´-)ンー 2.a/x


僕たちは、自己の同一性を保ちながら、
他者にはなれない。
なれそうで、なれない。
    何をしようとしているのかが、
    分かっていそうで、実は、分かっていない。
    それは、例えば、正七面体のようなもの。


根拠のない推論だが、
死者になる、ということが、
何者かになる、ということなら、
それは、他者になる、ということである。
    だから、死んでも何者にもなれない、
    そう考えても大差はない。


蝶の幼虫は、きっと、
やがて空を飛ぶ、なんてことは、
思いもつかないまま蛹(さなぎ)になる。
    蛹の中でどろどろに溶けて、
    蝶になって蛹から出てくる。
    きっと、幼虫だったことも憶えていない。

翅(はね)も、空も、花も、異性も、
幼虫には想像もできなかったこと。
それでも、朝になって、翅が乾いたら、
当りまえのように飛び立てる。
    生死について、僕たちに、
    何か特権が与えられていたとしても、

    たぶん、それは、
    蝶と異なるものではないのだろう。



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  1. 2016年03月31日 17:02 |
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神の無理ゲー (。-`ω´-)ンー 2/x ―― 1面、クリアできない「私」


ようこそ、「神の無理ゲー」へ。
    無理ゲーとは、その苛酷な条件、設定のため、
    クリアすることが非常に困難なゲームをいう。
        「神の無理ゲー」は、その苛酷さに気づかなければ、
        クリアできてしまう、あるいは、
        降参してしまうことで、クリアしたことになる、
        さらには、ゲームを始めなければ、クリアしている、
        そんな不思議なルールになっている。

神なら、例えば、僕が見たこと、聞いたこと、
感じたこと、思ったこと、考えたこと、
それくらいはお見通し、そんなルールがある。
    でも、僕たちには、それがどういうことなのか、
    実は、理解さえできていない。
        「神の無理ゲー」は、ゲームを始めてから、
        ルールが理解できないことを知る、
        そんな不思議なルールになっている。



世界がもし100人の村だったら、
「私」と称する村人が、100人いることになる。
    神が全知全能なら、
    どの「私」からも世界を見渡せる、
    そんな視点を持つはずだ。
        しかし、僕の「私」を維持したまま、
        他の村人の「私」になることなど、
        僕たちにはできない。

僕がなり代わった、他の誰か視点で世界を見渡すのなら、
もはや、僕は、僕であり続けることができない。
他の誰かの記憶や、心や、意識と呼ぶようなもの、
それを「私」と称するのなら、僕はすでに他の誰かになっている。
では、僕は、どこに行ったのだろう。
    僕がなり代わった他の誰かは、
    他の誰かから出て行かなければならないが、
    では、他の誰かは、どこに行くのだろう。

        手っ取り早く、僕と入れ替わる、として、
        他の誰かと僕の、何が入れ替わったと言えるのか。



ところで、もし僕が、僕を維持したまま、つまり、
僕の記憶や、心や、意識と呼ぶようなもの、
それらを保ったままで、他の誰かになったなら、
僕は、身体が変わったと思うだろう。
    そのとき、僕の元の身体に、
    僕の記憶や、心や、意識と呼ぶようなもの、
    それらが依然として残っているのなら、
    僕はどちらを「私」と称するのか。

        僕は、「私」が複数いるときに、
        そのどちらも「私」とは称せない。

「私」が複数いると気づいているなら、
「私」と「私」を見渡している「私」がいるはずで、
その「私」を僕は「私」と呼ぶだろう。
    それがどういうことなのか、
    僕には、分からないけれど。
    いずれにしても、僕は単数でなければならないし、
    ひいては、僕たちが考える神も、
    いずれは、単数でなければならくなる。

        浅薄な僕の理解に収まらないのが神というのなら、
        複数でもいいけれど。



僕は、game over、
クリアした方は、コメントを。



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  1. 2016年03月29日 12:41 |
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