馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

僕は、馬鹿なのだろうか ―― 仲間がいるから (。-`ω´-)ンー


馬鹿でも仕方がないけれど。
そして、僕が賢いとしても、
その僕の賢さは、

往々にして、賢い人たちからは、
馬鹿と呼ばれるような、
そんな賢さだと思うけれど。


仲間がいるから強くなれる、
例えば、こんなフレーズに、
イラっとくる人がいるだろうか。

仲間がいるから強くなれる、
説得もいらない、
正当化もいらない正しさがある。

しかし、このフレーズが絶望的なのは、
そんな意識が仲間外れを作り出すことに、
気づかせないからである。

そんなのが、最も僕をイラつかせる。



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  1. 2017年05月28日 12:03 |
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僕は、馬鹿なのだろうか ―― 愛、だとか、優しさ、だとか (。-`ω´-)ンー


肯定的なフレーズに隠されている、
半端ない否定。
寛容な見かけをした、
容赦ない不寛容。
そんなのが、最も僕を傷つける。

愛、だとか、優しさ、だとか、
誰からも反論されないような正しさ。
説得もいらない、
正当化もいらない正しさ。
そんなのが、最も僕を失望させる。

僕は、馬鹿なのだろうか。



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  1. 2017年05月27日 20:27 |
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僕は、馬鹿なのだろうか ―― みんな違って (。-`ω´-)ンー


人それぞれ、とか、
みんな違って、とかいうけれど。

そんなふうに括ることができるのなら、
人はそれぞれに大差がない。

みんな、などと括られた以上は、
みんなは、みんな以上でも以下でもない。

人それぞれ、ってほどには、
人はそれぞれになれないし、

みんないい、ってほどには、
人はそれぞれに違えない。

人それぞれ、とか、
みんな違って、とか、

そんなフレーズに収めてしまうことで、
もはや、それぞれ、ではなく、

人は、みんなのメンバーに成り下がる。



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  1. 2017年05月27日 12:31 |
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得意而忘言と、得魚而忘筌と、色即是空 ―― 8/8


忘れる、というのは、
手には負えない逆説で、
何を忘れたのかを憶えていないと、
忘れるということに気づかない。

そして、忘れたい何かを、
忘れようと意識していたら、
いつまで経っても、
忘れることができなくなる。

得魚而忘筌、
それは、ただの喩えではない。
得意而忘言、は、
得魚而忘筌、に係っている。

得意而忘言、だけでは、
忘れることができず、
得意而忘言、の忘れ方が、
得魚而忘筌、である。


筌は、筌だけでは筌ではなく、
手や足や、川や魚で筌になる。
筌は身体や身の周りの世界と、
別のものではあり得ない。

筌を扱う漁師は、筌になる。
自らが筌であることをやめること、
それが、筌を忘れる、
ということにほかならない。

自らが言葉であることをやめること。
そんなのは、光境倶亡、つまりは、
色即是空としか言いようがなく、
いつまで経ってもできない話だ。

簡単な方法は、
身の周りの世界の、
ほかの何かになることだろう。
筌でも蹄でも犂(すき)でもいい。


荘子を読んで10日め。
そろそろ、荘子を忘れよう。
何も知らないくせに、
くだらないことを書き投げた。

どうか、笑って忘れてほしい!



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  1. 2017年05月19日 20:02 |
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得意而忘言と、得魚而忘筌と、色即是空 ―― 7/8


        主客を消滅させる答は、
        得意而忘言、である。
しかし、その答は、
問題をこじらせただけで、
        まだ解決はしない。
        忘れなければならないことを、
忘れずに憶えている。
得意而忘言、を憶えている。

        例えば、荘子の「渾沌(こんとん)」で、
        こんな話ができればいいけれど、
荘子を読んで10日めの僕は、
手元にある限りのツールで、
        やりくりするしかない。
        僕にできないことはできないから、

        僕にできることをする。



保福問:「長慶盤山道:光境俱忘,復是何物?
洞山道:光境未忘,復是何物?
據二老總未得勦絕。作麼生道得勦絕去?」
慶良久,福云:「情知你向鬼窟裏作活計」
慶云:「汝作麼生?」
福云:「兩手扶犁水過膝」
―― 景徳伝灯録、巻十九

保福が、長慶慧稜に問う。
「盤山は「光境倶亡、復(は)た是れ何物(なん)ぞ」と言い、
洞山は「光境未亡、復た是れ何物ぞ」と言っている。
この二者の説明では、
まだ主客を滅することができない。
どうすれば、滅することができるか?」
長慶は沈黙で答えたが、保福は言う。
「あなたは、鬼の住む暗闇に生きている」
長慶が訊き返すと、保福は言う。
「両手に犂(すき)を扶(ささ)え水は膝を過ぐ」
つまり、「膝まで泥水に浸かって田を耕している」



        長慶は、語らないことで、
        忘れたふりをすることで、
正解になったつもりでいる。
つまり、得意而忘言、を忘れない。
        それは、小利口になっただけ。
        問題をこじらせただけ。
正解は、得意而忘言、ではない。
正解は、月を見上げて、
        理屈をこねることではない。
        保福の「光境倶亡」は、

        地べたを見つめて働くことである。



    170519.jpg



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  1. 2017年05月19日 12:05 |
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得意而忘言と、得魚而忘筌と、色即是空 ―― 6/x


        自分にとって、それは、直ちに、
        忘れるべき説明に成り下がる。
                そこで、思い出したのは、
                『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の「都機(つき)」。

心月孤円、光呑万象。
光非照境、境亦非存。
光境倶亡、復是何物。

        以下の20行は、読まなくてもいい。
        読んでも、たぶん、解らない。
                解るように書かれていないから、
                解るほうがどうかしている。



盤山宝積(ばんざんほうしやく)禅師云(いはく)、
「心月孤円(しんげつこゑん)、光呑万象(くわうたんばんざう)。
光非照境(くわうひせうきやう)、境亦非存(きやうやくひぞん)。
光境倶亡(くわうきやうくまう)、復是何物(ぶぜかぶつ)。

<心月孤円、光、万象を呑めり。
光、境を照らすに非ず、境亦(ま)た存ずるに非ず。
光境倶(とも)に亡(まう)ず、復た是れ何物ぞ>」。

いまいふところは、仏祖仏子、かならず「心月」あり。
月を心(しん)とせるがゆゑに。
月にあらざれば心にあらず、心にあらざる月なし。
「孤円」といふは、虧闕(きけつ)せざるなり。
両三にあらざるを「万象」といふ。
万象これ月光にして万象にあらず。
このゆゑに「光呑万象」なり。
万象おのづから月光を呑尽(たんじん)せるがゆゑに、
光(くわう)の光を呑却(たんきや)するを、
「光呑万象」といふなり。
たとへば、月呑月なるべし、光呑月なるべし。
こゝをもて、「光非照境、境亦非存」と道取するなり。
―― 正法眼蔵/都機



        道元は、底意地が悪い。
        こんな説明では、僕は解らない。
                よく解らないことを、
                理解しているかのように扱えば、
        それで思考は終わりになって、
        解ったふりだけが上手くなる。

                端折っていうと、
                見る者と、見られる者が忘れられた世界、
        見る主体と、見られる客体が、
        亡くなった世界、
                光や心と、境や法が、
                ともに亡くなった世界、
        「光境倶亡」とは、
        主客の対立が消滅することをいう。
                そんな世界があるのかどうか、
                それは、さておく。

        問題は、「光境倶亡」について語ること。
        問題は、そんな世界を説明するときには、
                まず、主客を対立させなければ、
                説明できないことにある。
        言葉で「光境倶亡」を説明しようとすれば、
        主客を分けることになるから、
                それは、直ちに、
                忘れるべき説明に成り下がる。

        復是何物、復た是れ何物ぞ、
        その答は、得意而忘言、である。
                吾安得夫忘言之人而與之言哉!
                夫(か)の言を忘るるの人を得て、

                之を言わんや。


  
正法眼蔵 二/道元 著、水野弥穂子 校注、
1990、岩波文庫



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  1. 2017年05月18日 19:07 |
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得意而忘言と、得魚而忘筌と、色即是空 ―― 5/x


僕の戯言(たわごと)が、
正しいわけではない。
検索しても、僕のほかに、
こんな戯言をいう者はいない。
しかし、荘子には、
正しくないから、
正しくなる矛盾がある。

99%のサイトが正しく、
そこに述べられている説明が、
正解であるとしよう。
正解は、正解で揺るぎないが、
ただし、正解を、正解として、
安住させることを、
荘子は許さない。

つまり、意味が理解され、
説明が不要になるときに、
忘れるべき説明は、
正解の説明でなければならない。
荘子は、この矛盾を解けという。
矛盾を解いた者と、
語り合いたいという。

こんなことには、
これ以上、関われない気がする。
荘子と語り合っても、
きっと、最後には、
自分の説明も忘れろというだろう。
自分の説明が正解とされたなら、
自分にとって、それは、直ちに、

忘れるべき説明に成り下がる。



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  1. 2017年05月16日 21:17 |
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得意而忘言と、得魚而忘筌と、色即是空 ―― 4/x


吾安得夫忘言之人而與之言哉!

言葉を忘れた人を捕まえて、
荘子には、言いたいことがある。
では、裏を返せば、
言葉を憶えている人たちなら、
いくらでもいるから、
捕まえる必要なんてない。
あまつさえ、そんな人たちには、
言いたいことなんて何もない。

それとも、
うまく言えないことのほかに、
言いたいことがあるとでも?
解ってもらえないことのほかに、
解ってほしいことがあるとでも?
だから、答が決まってくる。
ここにいますよ。
こんな僕でもいいですか?


得意而忘言、

このフレーズの答も、あらかじめ、
または、同時に決まっている。
うまく言えないことのほかに、
言いたいことがあるとでも?
解ってもらえないことのほかに、
解ってほしいことがあるとでも?
言いたいことは、
いつだって、うまくは言えない。

うまく言える言葉ではだめだ。
容易に解る意味では違う。
そんな言葉は、忘れてしまえ!
ここにいますよ、
それだけでいい。
荘子を読んで、1週間の、
こんな僕でもいいですか?
それで、悪いわけがない。

立ち上がり、荘子に向かって、
大きく手を振れ!



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  1. 2017年05月16日 12:21 |
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得意而忘言と、得魚而忘筌と、色即是空 ―― 3/x


荃者所以在魚、得魚而忘荃、
蹄者所以在兔、得兔而忘蹄、
言者所以在意、得意而忘言。
吾安得夫忘言之人而與之言哉!
―― 莊子/雜篇、外物第二十六


筌(せん)は魚を在(い)るる所以(ゆえん)なり、
魚を得て筌を忘る。
蹄(てい)は兎を在(い)るる所以(ゆえん)なり、
兎を得て蹄を忘る。
言は意に在(い)るる所以(ゆえん)なり、
意を得て言を忘る。
吾安(いず)くにか、
夫(か)の言を忘るるの人を得て、之を言わんや。


筌(せん)は、魚を捕えるためのツール。
魚をゲットしたなら、筌を忘れていい。
蹄(てい)は、兎を捕えるためのツール。
兎をゲットしたなら、蹄を忘れていい。
言葉は、意味を捕えるためのツール。
意味をゲットしたなら、言葉は忘れていい。
言葉を忘れた人をゲットして、
こんなことを言いたい。


        筌も、蹄も、例を挙げただけ。
        ひとまずは、そう捉える。
        引っかかるのは、得意而忘言、
        意味を捕えたなら、言葉は忘れていい。
        それは、一緒にするなよ、と言いたくなるが、

        吾安得夫忘言之人而與之言哉!
        言葉を忘れることができる人と、
        こんなことを語り合いたい、
        そこから、得意而忘言、を、
        読み解くことになる。

        すでに、答は出ている。
        荘子が、吾安得夫忘言之人而與之言哉!
        と呼びかけるなら、
        読み手の答は決まっている。
        ここにいますよ、ってことだろう。

        読み解く、というのは、
        自分が読み解く、ということで、
        他人ごとではあり得ない。
        僕の答は決まっている。
        荘子を読んで、5日めの、

        こんな僕でもいいですか?



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  1. 2017年05月14日 12:17 |
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得意而忘言と、得魚而忘筌と、色即是空 ―― 2/x


意味が解って説明を忘れる。
忘れていいとか、
悪いとかではなく、
それで当然だ。
それが理解ということだ。

意味が解った、ということは、
意味を教えてくれた説明を、
忘れることだ。
さらには、もう説明は要らないから、
忘れろ、ということだ。

意味が解った、ということは、
自分の言葉になった、ということだ。
誰かの説明を借りてこなくても、
問いに応じて、
自分で説明できるだろう。

さらには、もうパクりはいいから、
自分の言葉で語れ、ということだ。
誰かの言葉を聞いて、
自分の言葉に着地させる、
それが理解ということだ。

意味が分かれば、
上手く言えるのではない。
意味が分かれば、
上手くは言えなくなる。
自分の言葉で語り始めるから。

何年も、何十年も、
荘子を読み込んできた人たちには、
怒られそうだけれど、
荘子を読んで、4日めの僕が言い切る。
ゆえに、「得意而忘言」の、

正解率は、1%に満たない。



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  1. 2017年05月13日 18:30 |
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