馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

思考しない善人


神が、それを悪とみなせば、
吠えない、咬みつかない、殺さない。

神が、それを善とみなせば、
吠える、咬みつく、殺す。

人は、宗教的確信に促されて、
完璧に、喜んで、悪を為す。

        人は良心によって悪をするときほど、
        十全にまた愉快にそれをすることはない。

自らに、善悪の、
価値判断の基準がない者は、

考えるということを知らず、
善人にはなれても、

人にはなれない。



考えない人は弱い。
人は、考えるから強くなれる。

        人間はひとくきの葦にすぎない。
        自然のなかで最も弱いものである。
        だが、それは考える葦である。

考えることによってのみ、
人は、宇宙よりも優位になれる。

        空間によっては、
        宇宙は私をつつみ、
        一つの点のようにのみこむ。
        考えることによって、
        私が宇宙をつつむ。

宇宙を認識する者がいなければ、
宇宙は認識されず、

認識されない宇宙は、
存在しないに等しい。

宇宙は、何も知らない。



        ―― 『パンセ』/パスカル、前田陽一、由木康 訳、
        ―― 1999、中公文庫



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年07月24日 20:09 |
  2. 自分らしさ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

犬のような善人


善人になろうとする理由が、
神にほめられることや、
神の罰を避けることだとすれば、
善人は、人ではない。

気に入らない相手に吠えて、
咬みついて、殺してしまうことが、
神にほめられるときには、
善人は、とんでもない悪を為すだろう。

その善人は、人ではない。
飼い犬みたいなものだ。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年07月24日 12:41 |
  2. 自分らしさ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

嘘っぱちの善人


というわけで、
善人、という人はいない。
善が相対的なら、
善人も相対に回収させて、
当たりまえに帰結する。

心の底から本気で、
自分を善人と思える人は、
宗教か、何かの思い違いか、
その思いを支えるものは、
いずれにしても、善ではない。

善人たちは、人それぞれ、とか、
みんな違ってみんないい、とか、
寛容ぶったことを言うけれど、
そんなのは、相対ではなく、
思考停止のフレーズである。

違っていい程度も、
良いと思える範囲も、
あらかじめ定まっていて、
その閾値を超えたときは、
善人は、いいなんて言ってくれない。

善人が好きなフレーズは、
見かけが正しくて、
きれいだから、疑えないし、
疑っても、善人には分かってもらえない。
寛容なふりをした不寛容で、

無自覚な嘘っぱちで、
そんなのが、最も人を傷つける。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年07月23日 12:16 |
  2. 自分らしさ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

それぞれの善人


善人は、正しい。
しかし、人それぞれに正しさがある、
なんて、正しいことを言うくせに、
自分が善人になるのは矛盾する。
        きっと、それぞれの正しさ、
        なんて寛容さは、
        善人は持ち合わせていない。

人それぞれ、なんていう、
自分の正しい意見は、
ありがちな、みんなの意見の、
コピーに過ぎないけれど、
        それでも、自分は善人になって、
        みんなを善人にさせない狭量さが、
        善人らしさなのだろう。

それぞれの人が、みんな、
人それぞれ、と言うのは、
それぞれなのか、
それとも、みんな同じなのか。
        きっと、善人なら、
        そんな語義矛盾については、
        一生に一度も考えない。

人それぞれ、と言いながら、
自分を嫌い、と思う、
そんなのは、論理的に矛盾するから、
善人は自分が好きに違いない。
        自分は、心が広くて、人に優しい、
        そう思い込んで、疑うことがない。
        そんな厚かましさが、

        善人らしさなのだろう。


でも、人それぞれだからといって、
人それぞれについて、
考えたことがない人と、
5分でも考えた人の意見が、
        同じ価値で尊重されるべきではない。
        そして、自分を善人と思えるのは、
        おそらく、善悪について、

        考えたことがない人である。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年07月22日 19:07 |
  2. 自分らしさ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

悪人なおもて疲れさせる、いわんや善人をや


善人は、正しい。
善人は、自らの考えが正しく、
その考えが他人にとっても正しいと、
信じて疑わない。
だから、善人は、自信を持って、
善人になることができる。

善人は、面倒くさい。
悪意なら、そっけなく、
はねつけることができるけれど、
善意は、冷たくあしらえない。
だから、善人は、自信を持って、
善人らしくふるまうことができる。

僕が、善人の善意を拒絶すれば、
なぜか、悪人にされてしまう。
善人の反対が、悪人なわけでも、
善悪の二択しかないわけでも、
ないとは知っているけれど、
とりあえず、悪人になり下がる。

善人は、恐ろしく強い。
善意が受け容れられるときは、
善いことをしたから善人になり、
受け容れられないときでも、
相手を悪人に仕立てることで、
善人である自分は揺るがない。

悪人は、僕を疲れさせるけれど、
善人ほどではないと思われる。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年07月21日 20:04 |
  2. 自分らしさ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8

不代替なもの (`ω´)キリッ 7/7


難しいのは、考えることではない。
考えるなんて、簡単なこと。
難しいのは、説明できないことを、
無理にでも説明しようとする自分を、
自分で抑え込むこと。
分からないことを、
分からないと言うこと。


善、悪、善悪。
それらは、まだ、
中味が詰まっていない概念だから、
空疎な概念は、空疎なままで扱う。
空疎な概念から得られるものが、
ふわふわの、つかみどころのない、
さらに空疎な概念になってもそれでいい。

善、悪、善悪。
それらは、まだ、
質量がなくて、温度が低くて、
感情的な余剰性がない。
善人もいない、悪人もいない。
多くを語れば、嘘になるから、
余白を残して、空けておく。

善、悪、善悪。
それらは、まだ、
意味が書き込まれていないから、
その実質があるとするなら、自らの、
言葉を投げ入れる努力にほかならない。
手持ちの限られたツールで、
それでも、折り合いをつけに行く。

善、悪、善悪。
それらに意味を与えるのは、
問いの前に立った自分である。
他人の善悪では代えられない、
替えのきかない自分である。
自分の替えのきかなさが、
善悪の絶対性を奪っている。

善、悪、善悪。
それらは、まだ、
言い表せないけれど、
いずれ、不代替な自分である。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年07月18日 12:04 |
  2. 自分らしさ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

不代替なもの (`ω´)キリッ 6/x


常識よりも、正直を優先させる。
誰かが知っていることでも、
自分が知らないのなら、
知っているように扱わない。
立派なことを考えて、
誰かにほめてもらっても、
自分は少しも立派にならない。


善は、どこかに答があって、
それを理解すればいい、
というものではない。
まだ答のない問いを、
引き受けることである。
自分の問いとして、
立ち止まることである。

原理主義者には、
プリセットされた善があるのだろう。
例えば、聖書原理主義者の間なら、
共有している聖書のインデックスを、
互いに指示し合えばいい。
答はすでに書き込まれていて、
それを理解すればいい。

僕は、聖書を持ち歩かないから、
考えなければならない。
僕は、手ぶらだから、
自由にツールを選ぶことができる。
しかし、問いを前にしたときは、
手持ちのツールは、
がらくたの寄せ集めで、

まるで使えないことを思い知る。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年07月17日 12:17 |
  2. 自分らしさ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

不代替なもの (`ω´)キリッ 5/x


常識外れなままで、
まだ続けてみる。
善悪も知らなかった自分を、
うまく扱い切れなくて困る。
たぶん、答は出ない。


善とは、共同体の利益になる行為で、
対して、悪とは、
共同体の不利益になる行為をいう。
定義は、以上だが、
そんな定義は、まるで役に立たない。

その善を同じくする者の集まりが、
その共同体であり、
いくつもの共同体があるのなら、
みんなで共有できる善など、
ないと言っているに等しい。

そして、差し迫った具体的な善は、
まだ定義されていないから、
僕たちが、善について考えるときには、
それを自らの言葉で再定義する努力が、
欠かせないことになる。

善などない、と言ってしまえば、
人がいるだけになる。
善人も、悪人もいない。
あるのは、共同体を構成するゆえに、
善人にも、悪人にもされてしまう、

人の幸と不幸だけになる。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年07月17日 00:21 |
  2. 自分らしさ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

不代替なもの (`ω´)キリッ 4/x


常識外れな、もの言いだろうか。
―― 読み返してみて、
自分が書いたフレーズの、
軽さと、儚さに驚く。

質量がなくて、温度が低くて、
感情的な余剰性がない。
事実を事実としてなぞっているような、
まるで他人事である。

つまり、善悪は、
意味を込めなければ、
まだ善悪にはならない。
そんなものは、およそ善悪ではない。

人らしい言葉が与えられないうちは、
善も、悪も、嘘である。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年07月16日 13:14 |
  2. 自分らしさ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

不代替なもの (`ω´)キリッ 3/x


善、それに対して、悪、
それらは、きれいに二分されるものでも、
必ずどちらかに、
振り分けられるものでもない。
常識外れな、もの言いだろうか。

そして、善悪は対立しない。
善、でなければ、
すなわち、悪になるわけでも、
悪、でなければ、
すなわち、善になるわけでもない。

非常識な言い方をすれば、
善も、悪も、相対的でさえないと思う。
善悪など、何も言っていないに等しく、
僕たちは、分かったふりをすることが、
上手くなっただけである。

善悪だけでは、
まったく意味が足りていない。
善悪だけを切り取って、
何かを語るなど、
まったく意味をなさないことである。

常識外れな、もの言いだろうか。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年07月16日 13:12 |
  2. 自分らしさ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0