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運命論からは逃れられない (-ω-;) 5/x


行為の責任を行為者に問えないのなら、
他人との共存は困難になる。
殴られても、謗(そし)られても、差別を受けても、
殴る人は、殴る運命であり、
殴られる人は、殴られる運命である。

謗る人は、謗るように決まっていて、
謗られる人は、謗られるように決まっていたが、
おそらく、そんなのは、誰も許容しないだろう。
自分の行為は、運命の所為にしても、
他人の行為は、自由な選択の結果にするはずだ。

自分が差別するときには、
運命だから仕方がないけれど、
自分が差別されたときには、
執拗に責任を問うに決まっている。
ますます、他人との共存は困難になるが。

もとより、他人との共存が困難な理由は、
共存が困難な者と共存しようとすることにある。
運命論の実際は、そんなふうに、
恣意的な運命論の運用で、
そんな自分勝手な思考も、また、

運命だから仕方がないのか。



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    げみ



    

    ハンキーパンキー 遊ぼうよ 答えは一つだけじゃないんだよ
    ハンキーパンキー 楽しいと 素直に言えるほうが素敵だよ

    ―― ハンキーパンキー/ハナレグミ
    ―― 永積タカシ 作詞作曲、2003、Capitol Music









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  1. 2021年04月21日 00:00 |
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運命論からは逃れられない (-ω-;) 4/x


>いつにも増して、青梗菜の文章は気持ちが悪い、って思うのも、
>自分がそう思う、と思っているに過ぎないことで、
>自分がそう思う、って思うことも決まっていたことで、
>自分がそう思う、と思わされているに過ぎず、
>そう思わさせられていることである。

僕なら、青梗菜の文章は気持ちが悪い、で終わりにする。
続く4行に意味はなく、何の機能も果たさない。
決まっていても、いなくても、思わされていても、いなくても、
思うことも、思わないことも避けられないし、
未来は、相変わらず不確かなままで、

予測の精度は、上がりも下がりもしない。



    210405c.jpg

    げみ



>すなわち、決定論においては、すべては必然である。
つまり、自由意志は否定される。
自分が選んだことは、そう選ばさせられていることだから。
自由には責任が伴うが、おそらく、決定論者は、
自由を失っても、責任を負いたくない人たちなのだろう。

残念ながら、僕たちが生きているこの社会では、
運命だから、宿命だからと言い出しても、
自分の選択に対する責任は回避されない。
すると、決定論者には、自由はないが、責任は伴うことになる。
そして、決定論者に、その不条理の説明はいらない。

決定論においては、すべては、そう決められたことである。



    

    だれでもない どこにもないぜ 君だけの光と影
    光の先の闇を見に行こう 光と影

    ―― 光と影/ハナレグミ
    ―― 永積タカシ 作詞作曲、2009、SPEEDSTAR RECORDS









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  1. 2021年04月20日 00:00 |
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運命論からは逃れられない (-ω-;) 3/x


すでに起きた出来事によって、おおよそ、
次に起きる出来事は決定される。
次に起きる出来事は、おおよそ、
すでに起きた出来事によって決定されている。
―― それなら、決定されていると思う。

それ以後の出来事は、それ以前の出来事によって予測をつける。
おおよそ、突拍子もない出来事というのは、
そうそう起こらないから、突拍子もない出来事だ。
しかし、決定論において、決定されている、というのは、
一切の出来事についての、完全な因果律である。

すでに起きた出来事によって、
次に起きる一切の出来事は完全に決定される。
次に起きる一切の出来事は、
すでに起きた出来事によって完全に決定されている。
すなわち、決定論においては、すべては必然である。



    210405b.jpg

    げみ



決定論においては、自分が決めた、ってことは、
自分が決めた、と思っているに過ぎないことで、
自分が決めた、って思うことも決まっていたことで、
自分が決めた、と思わされているに過ぎず、
そう決めさせられている、ということである。

決定論なんて信じられない、って考えるのも、
自分がそう考えた、と思っているに過ぎないことで、
自分がそう考えた、って思うことも決まっていたことで、
自分がそう考えた、と思わされているに過ぎず、
そう考えさせられている、ということである。

いつにも増して、青梗菜の文章は気持ちが悪い、って思うのも、
自分がそう思う、と思っているに過ぎないことで、
自分がそう思う、って思うことも決まっていたことで、
自分がそう思う、と思わされているに過ぎず、
そう思わさせられている、ということである。

もう、面倒くさくて、読んでられない、って思うのも。



    

    だれでもない どこにもないぜ 僕だけの光と影
    闇の向こうの光を見に行こう 光と影

    ―― 光と影/ハナレグミ
    ―― 永積タカシ 作詞作曲、2009、SPEEDSTAR RECORDS









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  1. 2021年04月19日 00:00 |
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運命論からは逃れられない (-ω-;) 2/x


>宗教や、スピリチュアルや、占いっぽく言えば、
>運命論とか、宿命論とか。
人には理解ができない法則 ―― って言いたいのなら、
理解している者は、おおよそ人ではなくなるが、
とにかく、そういう何らかの法則や、

神の意志 ―― それが決定されているのなら、
神には自由な意志はなくなるが、
或いは、神の気まぐれ ―― だったら、運命とか、宿命とか、
そんなものは決定されていないことになるが、
そのあたりは、利口な人なら、うまく折り合いをつけるのだろう。

そして、人に理解されてしまうと、
理解する者によって、神の超越性が剥奪されてしまうが、
とにかく、そういう何らかの決定からは逃れられない。
次元が低いか、霊性が低いか、前世の人格が低いか、
とにかく、何かが低い僕には分からないものによって、

決められたことに、決められている。
それが、運命論とか、宿命論とか。



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さておき、星ひとみだったら、騙されてもいい。
騙されても仕方がない、むしろ、騙されてみたい。



    

    いくつも諦めて 置いてかれそうになって
    それでも今 ここに 大切なものがある

    ―― 発光帯/ハナレグミ
    ―― 原田郁子作詞、池田貴史 作曲、2021、SPEEDSTAR RECORDS



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  1. 2021年04月18日 00:00 |
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運命論からは逃れられない (-ω-;) 1/x


決定論 ―― すべての出来事は、
因果律によって決定されている、ってこと。
宗教や、スピリチュアルや、占いっぽく言えば、
運命論とか、宿命論とか。

例えば、僕が床に撒き散らした砂粒は、
僕の手から離れたと同時に、
そのような模様になることが決められていた。
―― それなら、決定されていたと思う。

その上、僕が床に砂を撒き散らすことも決められていて、
―― それが、僕の運命で、
さらには、砂で描かれた模様が、
僕に何に見えるかも決められていたらしい。

―― それが、僕の宿命だ、ってこと。



    210405a.jpg

    げみ



しかし、僕が床に砂を撒き散らすことも決められていて、
それが、僕の運命で、避けられなかったとしても、
砂で描かれた模様が何に見えるかも決められていて、
それが、僕の宿命で、選べなかったとしても、

―― それを言って、何になるのだろう。



    

    夢みた未来ってどんなだっけな
    さよなら 昨日のぼくよ

    ―― 深呼吸/ハナレグミ
    ―― 永積タカシ 作詞作曲、2016、SPEEDSTAR RECORDS



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  1. 2021年04月17日 00:00 |
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下手っぴな優しさについての言い訳 3/x


優しさが、人の、とても上等な資質なら、
下等な青梗菜ごときが、どうこう言うなよ、
って向きはあるのかもしれない。
それだって、読み手が何かを考える契機になれば、
僕の駄文も、呼び水や、捨て石くらいの役に立つ。

しかし、くだらない、って向きには、
僕の駄文は、まったくの駄文で、
どうでもいい、って向きには、
もはや、駄文でさえもない。
僕が毎日のように書くどうでもいいことなど、

文字列を組み替えて、遊んでいるような、
下等なゲームに思えてくるのだろう。



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    こだわっていると思われない様に
    右眼で滑り台を見送って 記憶が薄れるのを待っている

    ―― すべりだい/藤井風
    ―― 椎名林檎 作詞作曲、1998、東芝EMI



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  1. 2021年03月13日 00:00 |
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文化資本 ―― 100分de名著、ブルデュー「ディスタンクシオン」 3/3


    ブルデューは、美的性向とは端的に言って、
    内容や実用性と切り離して純粋に
    形式だけを受容する能力のことだと言っています。
    内容ではなく形式、
    絵画で言えば、描かれているテーマや対象ではなく、
    その「描き方」、つまりそれぞれの作品が持つ、
    描線や色彩のスタイル、技法、流派、
    「見せ方」を鑑賞し評価するための
    知識や態度のことです。……

    …… 写真についての印象調査で言えば、
    (対蹠点の発見 ―― 6/x
    「最初の聖体拝領」や「民族舞踊」など、
    「大衆がすばらしいと思うような
    ありきたりの被写体」ではなく、
    「表現されたものにたいする表現それ自体の独立性」
    を主張できるような被写体、
    たとえば「木の皮」や「キャベツ」など
    「社会的に無意味とされているもの」こそ
    美しい写真になる、
    と考える態度が美的性向なのです。

      美的性向とは、日常的な差し迫った必要を和らげ、
      実際的(プラチック)な目的を括弧にいれる
      全般化した能力であり、
      実際的な機能をもたない慣習行動(プラチック)へむかう
      恒常的な傾向・適性であって、
      それゆえ差し迫った必要から解放された
      世界経験のなかでしか、
      そして学校での問題練習とか芸術作品の鑑賞のように
      それ自身のうちに目的をもつ活動の
      実践(プラチック)においてしか、
      形成されえないものである。
      言い換えれば美的性向は、世界への距離(中略)を
      前提としているのであり、
      この距離は世界のブルジョワ的経験の原理なのだ。

    つまり、必要性から距離をとることが
    美的性向をつくりだすというのです。
    それは、経験と教育の結果だとブルデューは言います。[p69-70]

    ―― 100分de名著、2020年12月、ブルデュー、ディスタンクシオン
    ―― 岸政彦 著、2020、NHK出版



pratique ―― [形] 実践的な、実用的な、実地の、
実際的な、現実的な、実利的な、便利な。
[女] 実践、実行、実務経験、経験的知識、慣行、やり方。



たぶん、僕たちは、経験よりも、教育が先なんだ。
僕たちは、社会的に無意味とされているものこそ美しい写真になる、
と考える態度が美的性向だ、ってことを教育によって学ぶ。

つまり、「木の皮」や「キャベツ」が美しい写真になる、
って答を丸暗記して、正解を知っているくせに、
知らないふりをして、経験によって気づいたように見せかける。

「木の皮」や「キャベツ」を指示して、
共有しているブルジョワ辞典のインデックスから引けば、
美的性向がある、と書かれていることを知っている。

美的性向が、答え合わせのようになっている。



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自分の中が空っぽでも、大衆を否定し、見下せば、
ブルジョワとしての自分の立ち位置は定まる。
そんな形式や対立なしでは、マッピングできないと、

信じ込んでしまっている世界が、
上とか下とか、勝ち負けとかで闘争している、
ブルデューの界ではないのか。

対立することなしに、価値を見出せないのなら。



    210119i.jpg



>描かれているテーマや対象ではなく、
って言うくせに、「木の皮」を上げて、
「最初の聖体拝領」を下げることの矛盾に気づかない。

「木の皮」にだって、凡庸さが丸出しになった写真があり、
被写体が「最初の聖体拝領」でも、
主体的に捉えて、自分なりに評価したときには、

巧みに表現された写真を見つけることができるだろう。



    

    For me to think childish thoughts like these
    But I'm so tired of acting tough

    ―― Hotel Yorba/The White Stripes
    ―― Jack White 作詞作曲、2001、XL Recordings



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  1. 2021年03月09日 00:00 |
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文化資本 ―― 100分de名著、ブルデュー「ディスタンクシオン」 2/3


    「文化資本」 …… なぜそう名付けたか。
    それは、階層構造やそれぞれの界の中で、
    資本として機能するからです。
    資本とは何か。
    それは投資され、増殖され、蓄積されます。
    そして所有する人々に「利得」をもたらします。
    音楽を聴くこと、絵を所有すること、
    映画を見ること、外国語を習うこと。
    それだけでなく、「よい大学」に行くこと、
    上流階級のマナーを身に付けること。
    すぐには役に立たないような
    「高級な」教養を身につけること。
    これらはすべて、投資され、蓄積され、そして
    利得をもたらす資本の一種なのです。[p65]

    …… 家庭や学校でこのような上流階級や
    中産階級のハビトゥスを植え付けられた場合、
    それはその後の人生において
    非常に価値のある資本として、
    その行為者にとって有利に働くでしょう。
    ですから文化資本という概念は、
    趣味や文化的表現についてだけ
    言っているのではありません。
    むしろそれは、ある意味で
    「資本という側面から捉えられた性向」
    でもあります。[p66]

    ―― 100分de名著、2020年12月、ブルデュー、ディスタンクシオン
    ―― 岸政彦 著、2020、NHK出版



多くの階層を行き来して、多くの界に身を置く、
ブルデューは、そんな性向は考えないのだろうか。
文化資本が、階層構造や、それぞれの界の中で、
資本として機能する、と言うのなら、
多くの階層構造や、多くの界の中で機能できるほうが、
資本としては、当たりまえに価値がある。

自分と異なるものごとに対する興味は、
おそらく、人が本来的に持っている性向で、
ハビトゥスが固まっていない若者なら、多様な、
自分と異なるハビトゥスに対して興味を持つはずだ。
一方で、ハビトゥスが固定された老人なら、
もう、自分と異なるハビトゥスを理解できない。

ハビトゥスは、自分の人生の履歴、蓄積だからである。



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もしも、人生、ってことに、或いは、
幸せ、ってことについて、一つの考え方を示すとしたなら、
多様なハビトゥスを身体化させることで、人生を豊かにし、
幸せを見出す可能性が広がる、ってことになる。
差異化、正当化、否定、嫌悪、卓越化による闘争で、
他人の人生や、幸せを踏みつけにしなくても。

よくなくても、上級でなくても、高級でなくても、
というか、そんなマッピングはすぐに書き換えられる。
上とか下とか、勝ち負けとか、
そんなのは、兵(つわもの)どもが夢の跡、である。
石碑さえ建たない古戦場には、
見渡す限り、夏草が生い茂っている。

ハビトゥスが、日を追うごとに、
変わりにくいものへと変わるのなら、
ハビトゥスとは、どうしようもなく不自由なものだ。
絶えず、聴くこと、所有すること、見ること、習うこと、
常に、他人と関わって、教養を身につけること、そうやって、
ハビトゥスを増やしながら、外に押し広げながら、

ハビトゥスから逃げなければならない。



    

    Every single one's got a story to tell, Everyone knows about it
    From the Queen of England to the Hounds of Hell

    ―― Seven Nation Army/The White Stripes
    ―― Jack White 作詞作曲、2003、V2 Records



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  1. 2021年03月08日 00:00 |
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文化資本 ―― 100分de名著、ブルデュー「ディスタンクシオン」 1/3


連載が30回を超えて、もうそろそろ終わってくれ、
って感じのブルデュー「ディスタンクシオン」は、
あと3回で終わりにする。
もう3回しかない、と思ってほしい。
まだ3回もあるのか、ではなくて。



    そもそも文化とは何でしょうか。
    これまで、人類学や社会学の
    さまざまな研究者たちが、
    さまざまに定義をしてきました。
    これらに対し、ブルデューの発想は
    極めて特異なものです。
    ブルデューは、行為者が身につけた文化は
    資本として機能すると考えて
    「文化資本」という概念を創出したのです。

    文化資本とは、経済資本と対比させることで
    社会や界の横軸を描くための概念です。
    ハビトゥスに近いものでもあるのですが、
    もう少し具体的で、それは文化財、教養、
    学歴、文化実践、文化慣習、
    あるいはブルデューが言うところの
    美的性向などを指します。
    美的性向とは、美的なものを美的なものとして
    評価する傾向性や能力です。
    絵を見てその美しさがわかるかどうか、
    音楽を聴いてその美しさがわかるかどうか。
    ブルデューはそうした
    美を受容する能力を含めて、
    文化資本という名前を付けました。[p65]

    ―― 100分de名著、2020年12月、ブルデュー、ディスタンクシオン
    ―― 岸政彦 著、2020、NHK出版



絵を見て、音楽を聴いて、文章を読んで、
その美しさがわかるかどうか。
てっとり早いのは、他人の批評ばかりしていないで、
どうせ趣味なんだから、下手でも何でも、
自分で作ってみれば分かるんだ。

僕は、高校の頃は美術部で、
大学に入って、パース描きのバイトをしていて、
幼稚園の頃からピアノ、中学生からはギター、
ライターは仕事の一部で、それでも飽き足らず、
ほとんど毎日、こんなブログを書いている。

その程度の、取るに足らない真似ごとでも、
自分で作ってみれば、少しは分かることがある。



    200223b.jpg



例えば、自然の風景が描かれた絵が美しい、とか、
孤独を感じさせる絵が好き、とか、
そんなのは、自然や孤独のコレクターで、
美的性向、なんてのとは別のことらしい。
何について描くのか、は等価で、上も下もない。

どう描くのか、が表現で、
それは描くのと同時に、表わされ、現われる。



例えば、ジブリの映画について書く、或いは、
カウリスマキや、アンダーソンの映画について書く。
何について書くのか、は等価で、上も下もない。
どう書くのか、が表現で、
それは書くのと同時に、表わされ、現われる。

何について描くのか、何について書くのかは揺らいでもいい。
どう描くのか、どう書くのかを揺らさない。



    

    I hit myself with a stone, Went home and learned how
    To clean up after myself

    ―― Icky Thump/The White Stripes
    ―― Jack White 作詞作曲、2007、Warner Bros.



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  1. 2021年03月07日 00:00 |
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界 ―― 100分de名著、ブルデュー「ディスタンクシオン」 8/8


    …… いわゆる「現代アート」というものがありますが、
    非常に難解で、わかりにくいものばかりです。
    すでに「絵」でも「彫刻」でもないような、
    一見しただけでは「作品」であることすら
    わからない作品がたくさんあります。
    なぜそんなにわかりにくくなっているのでしょうか。

    あくまでもブルデュー風の解釈ですが、
    それは現代アートというものが
    他のジャンルから独立したものではなく、
    たとえばフランス印象派絵画のような、
    もっとも値段も高くて
    社会的権威付けもされているジャンルへの
    象徴闘争として構築されているからです。
    わかりにくい作品というものは、
    言い換えれば、「わかりやすい作品への抵抗」
    としてつくられているのです。
    ですから逆に、ゴッホやピカソのような、
    すでに十分権威付けられていて、
    途方もない値段がついている、
    もっとも象徴的な利得を多く所有している作家や
    作品に対する反抗なのだということが理解できれば、
    現代アートの難解な作品も、
    とたんによくわかるものになります。

    いずれにしても、文化的表現というものは、
    既存の枠組みや方法論を根底から疑い、
    それとは異なるアプローチをとることで、
    界に自身をマッピングし、
    自らの地位をすこしでも押し上げるための
    象徴闘争をしているわけです。[p55-56]

    ―― 100分de名著、2020年12月、ブルデュー、ディスタンクシオン
    ―― 岸政彦 著、2020、NHK出版



    200220c.jpg



現代アートは、ロックに表現されたもの。
喩えではなく、副詞っぽい意味での、ロックに、である。

クラシックは重厚で美しく、ロックは軽薄で汚い、
って喧伝したのは、ロックの側だろう。

クラシックを、分かりにくいものに仕向け、
価値が高いものに仕立てたのは、ロックである。

ロックは、軽薄さと汚い音をアピった。
重い音楽と軽い音楽、古い音楽と新しい音楽、教養と娯楽、

基点を見つけて、軸を立てた。
対立軸の対蹠点に自らを置いて、

Roll Over Beethoven、敵とみなして、ぶっ飛ばしにかかる。
もちろん、ベートーヴェンには、少しも、

ぶっ飛ばされる筋合いはない。



    

    Roll over Beethoven
    They're rocking in two by two

    ―― Roll Over Beethoven/The Beatles
    ―― Chuck Berry 作詞作曲、1956、1963、Parlophone



    

    We all need to do something
    Try and keep the truth from showing up

    ―― Blue Orchid/The White Stripes
    ―― Jack White 作詞作曲、2005、V2 Records



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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2021年03月06日 00:00 |
  2. 自分らしさ
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