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「心」と、「外見」の、二元論 (´;ω;`)


心がきれいならば、外見もきれい。
どこかで聞いたような、よくあるフレーズ。

意味は読み取れるし、
構文としても合っていると思う。

しかし、意地汚い心性とは別に、
何かが気になる。

心と身体を、当然のように二元化して、
また、当然のように一元化させる。

そんな支離滅裂を、
いとも簡単にやってのける。

それを無理なく可能にさせるのは、
心も身体も包み込む「きれい」という形容。

形容詞や形容動詞は、魔法の呪文。
デカルトの松果体(しょうかたい)は、

魔法使いの、杖のひと振り。



    

    外輪船の汽笛 嶺上開花(lǐng shàng kāi huā)
    本繻子(ほんしゅす)でこころを包むよ



    ―― 琥珀色の街、上海蟹の朝/くるり
    ―― 作詞、作曲、岸田繁、
    ―― 2016、SPEEDSTAR RECORDS



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年10月01日 21:31 |
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心がきれいな人は、外見もきれい (´;ω;`)


心がきれいならば、外見もきれい。
たぶん、言いたいことは、逆と、対偶。

逆は、
外見がきれいならば、心もきれい。

裏は、
心がきれいでなければ、外見もきれいではない。

対偶は、
外見がきれいでなければ、心もきれいではない。

どこまでも勝ち組でありたいと、
心のきれいさまでも獲得しようとする心は、

なんて意地汚いのだろう。



    

    土砂降りの痛みのなかを
    傘もささず走っていく
    いやらしさも汚らしさも
    むきだしにして走ってく



    ―― TRAIN-TRAIN/THE BLUE HEARTS
    ―― 作詞、作曲、真島昌利、
    ―― 1988、メルダック、徳間ジャパンコミュニケーションズ



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  1. 2017年09月30日 19:03 |
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僕は心が汚いから (´;ω;`)


あなたのこころが
きれいだから
なんでもきれいに
見えるんだなあ
―― みつを



僕は心が汚いから、
きれいな見かけのものごとも、
汚く見えてくる。

「かちかち山」の愉快な噺は、
言い訳をしながら、
婆さんを食ったとしか思えない。

「笠地蔵」の爺さんの善行は、
7人の旅人に対する、
強盗殺人の贖罪に思えてしまう。

なんでも汚れて見えるんだ。



    160829a.jpg



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  1. 2017年09月30日 12:06 |
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アノネ 花のことじゃないんだよ じぶんのことだよ


最後に、あとがきに代えて、
「花」に「自分」を代入してみよう。



おそらく、僕たちは、
自分を見て、きれいと思うのではない。

きれいな自分を見て、そのまんま、
きれいな自分と思うだけだ。

そして、美しくない自分を、
自分と思えないだけだ。


    160913.jpg


自分は、自分だけでは、
自分にはなれない。

自分は、自分では咲けない。
自分は、他人の心に咲く。

誰かが自分に心を寄せなければ、
自分だけでは、自分にはなれない。



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  1. 2016年09月13日 23:03 |
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あなたのこころがきれいだから きれいなものしか見えないんだなあ


おそらく、僕たちは、
花を見て、きれいと思うのではない。

きれいな花を見て、そのまんま、
きれいな花と思うだけだ。

そして、美しくない花を、
花と思えないだけだ。

        それが生物学的には花であっても、
        目に留まらないだけのこと。

        きれいな心の持ち主は、
        目立たない花を傷つける。

        精いっぱい咲いても、
        まるで見向きもされないから。



    160829a.jpg



花は、花だけでは、
花にはなれない。

花は、自分では咲けない。
花は、他人の心に咲く。

誰かが花に心を寄せなければ、
自分だけでは、花にはなれない。

        花は、その誰かを必要としている。
        薄汚れた花を、花にするために、

        薄汚い心の持ち主を求めている。



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  1. 2016年09月13日 12:13 |
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しあわせはいつも たにんのこころがきめる


例えば、幸せを感じるときは、
自分に価値があることを、
他人から教えられるとき。

自分には価値があると、
自分に言い聞かせても、
僕なら、価値は決められない。


僕なら、他人の中に、
自分の価値を見つけること、
その喜びを、幸せと呼ぶ。

つまり、自分の幸せは、
誰かの心の中にしか、
居場所を持たないことになる。


見つからないときも多いけれど。
隠れているだけなのかもしれない。
晴れたり曇ったりの、

9月の太陽のように。



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  1. 2016年09月11日 22:12 |
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「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」


相田みつをの詩は、
短くて理解されやすいが、
短い詩は、本来、理解されにくいものだ。
仮にも、それが、
詩のテクストであるならば。

短いテクストは、
当然に、手掛かりが少ない。
読み手は、少ない情報に対して、
多くを補わなければならず、
いきおい抽象度が上がる。

それは、分かる人にだけ分かるような、
思考を促すテクストになる。



抽象的なテクストは、
読み手により、様々な水準の意味を形成させる。
テクストは、意味形成を派生させる実践であり、
それは、書き手の出来事ではない。
読み手の出来事である。

しかし、相田みつをの詩は、
とても分かりやすいと評される。



つまり、ありがちで、ありふれた、
当りまえのテクストだから、
誰にでも理解されて、
誤読もされない、ということだ。
でも、そんなのは、

詩というほどのものではなく、
他愛のない標語である。
または、コピーか、
感想か、ツイートか、
あるいは、意味を失って、

音節だけになった片仮名の、
「ポエム」である。



    160901.jpg

「しあわせはいつも
じぶんのこころがきめる」

そのまま受け取れば、
気の持ちよう、という意味なのだろう。
でも、考える癖がついている読み手なら、
幸せは自分の心では、
決められないことを知っている。

幸せは、いつも、自分の中の、
他人によって規定されてしまうものだ。



相田みつをは、薄っぺらなのか、
わざと間違えたことを書いているのか、
掘り下げて、一周回った上で、
薄っぺらに戻って書いているのか、
まるで見分けがつかないが、

さておき、相田みつをのフレーズを支持するのは、
薄っぺらな人たちである。



相田みつをの詩というものは、
「ホンネ」「ありのまま」「現状肯定」
という意味において、
ヤンキー文化とは極めて相性が良い。
―― 「ヤンキー化する日本」/斎藤環 著、2014、角川新書

根本敬だったかな、
世の中の9割はヤンキーとファンシーでできてるってどこかで書いてた。
市場がでかいよね、不良。
やっぱりヤンキー市場はこの国最大のマーケットだと思う。
―― 「隣家全焼」/ナンシー関、町山広美 著、1998、文藝春秋

ヤンキーなポエムと、
ファンシーなキャラクター。
キティのイラストと容易に結合する性質が、
相田みつをの詩である。
そして、キティのイラストの余白に組み込まれても、

相田みつをなら、
そこに幸せを見つけるはずだ。

「しあわせはいつも
じぶんのこころがきめる」



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  1. 2016年09月01日 18:26 |
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「にんげんだもの」はハローキティとコラボする


心がきれいな人なら、
きれいに見える。
相田みつをの書の不思議な効果は、
サンリオのキャラクター、
ハローキティによって結実する。

この幼稚さ加減は、
とても落ち着きがいい。
わざと下手くそに書いて、
気に入られようとしていた字にも、
確かな意図が与えられる。

    160829a.jpg



きれいに見えるなら、
心がきれいな人だ。
心がきれいな人は、
ポエムとキャラクターが好きだ、
どうせなら、そこまで短絡してもいい。

理由は考えなくてもいい、
そう感じればいい。
考えない人は、なぜか、
考えることと感じることを対立させる。
考えてもだめだよ、感じなきゃ、って。

頭はよくても、心がね、って。



安っぽい詠嘆、みせかけの純朴さと、貧相な抒情、傲慢なへりくだり、
嘘の弁解、名声への執着、悟り自慢といった虚飾の匂いがする。
曲がりくねった文字も嫌いだ。
これは私の生理的反応である。
―― 「魔がさす年頃」/嵐山光三郎 著、2012、新講社

心が汚れている人には、
相田みつをの書は、こんなふうに見える。
でも、そんな反応も、
嵐山光三郎が陥っている、
反応のパターンの傾向に過ぎない。

結局は、好き嫌いに過ぎない。
好きと感じて肯定するのと同様に、
嫌いと感じて否定しているだけである。
誰もが感じているような、
悪口を並べているだけで、

何かを考えたわけではないだろう。



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  1. 2016年08月29日 21:46 |
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「ひとつひとつかたずけてゆくんだね 具体的にね」


「相田みつをの作品は癒されるとよく言われる。
だが、必ずしも癒しではない」
相田みつをの長男で、美術館の館長、相田一人は言う。
「見る人の心を映し出す鏡のような、
不思議な効果がある」


僕は、魔法を信じないから、
「見る人の心を映し出す鏡のような効果がある」、
そう読み変えて、因数分解する。
「不思議な効果」は、いったん切り離す。
単純な構成要素に帰着させると、

肯定的に見る人に肯定されている、
否定的に見る人に否定されている。
肯定する人に好まれている、
否定する人に好まれていない。
そんな、不思議な効果がある。



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「ひとつひとつかたずけてゆくんだね
具体的にね」、
その通りに僕は、
相田みつをと相田一人を片付ける。
具体的に片付ける。

ちなみに、「片付ける」は、「ず」ではない。



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  1. 2016年08月28日 16:21 |
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相田みつをの詩は、人を傷つける


「相田みつをの作品は癒されるとよく言われる。
だが、必ずしも癒しではない」
相田みつをの長男で、美術館の館長、相田一人は言う。
「見る人の心を映し出す鏡のような、
不思議な効果がある」



    160812.jpg



相田みつをの詩を読んで、
傷つけられる感受性もあることを、
相田一人には、分かってほしい。
そんな人は心が汚い、と言われれば、
その通りなのかもしれないけれど。

僕だって、自分の心が、
きれいだはと思っていない。
僕は、自分のことがよく分からず、
自分の心が美しいか、汚いかなんて、
確信できた例(ためし)がない。

相田みつをの詩を読んで、
そのまま受け取れる人は、
自分のことが分かっていて、
自分の心の美しさを、
了解している人である。

その美しさが、僕を傷つける。
僕は、美しさも、汚さも、
どうしても自信が持てないまま、
言葉を探して、悪あがきをしている。
そんな薄汚れた心を、

分かってもらえるだろうか。



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  1. 2016年08月26日 12:14 |
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