馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

好き嫌いと、善悪、幸不幸、について 6/6


好き嫌いから、
善悪や、幸不幸まで、
一直線に結ぶ人たちの代表は、
原理主義者だろう。

だからといって、当然には、
原理主義は否定できない。
原理主義を嫌って、
一直線に否定する者は、

それもまた、
原理主義者である。



    161105.jpg
    http://luiscezar.blogspot.jp/2011/11/mini-cooper-s-dnarally.html

他人の考えを認めるから、
自分にも自由な思考を、
許すことができる。
その順序は、逆であってはならない。

自由とは、
他人を自由にさせる自分である。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年11月05日 22:34 |
  2. 好き嫌い
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

好き嫌いと、善悪、幸不幸、について 5/6


どれだけたくさんの他人を、
自分の中に棲まわせているか。
        数量的には、
        数え上げることはできないけれど。

それは、言い換えれば、
他人を、他人のままにしておけるか。
        無理に分かろうとしないで、
        放し飼いにしておけるか。

自己中とは、
他人を自分の中に閉じ込めること。
        自分の中の意味に収めてしまったら、
        どれだけたくさんの人と出会っても、

行き着くところは、
自分と出会っているに過ぎない。



    161104.jpg
    http://www.autoblog.com/2015/02/26/

どれだけたくさんの本を読んでも、
どんな本を読んでも、
        スピが読めばスピ、
        カルトが読めばカルト。

不自由とは、
他人を自由にさせない自分である。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年11月04日 19:06 |
  2. 好き嫌い
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

好き嫌いと、善悪、幸不幸、について 4/x


例えば、明るい、暗い、
ポジティブ、ネガティブ、
分かりやすい二分法にして、
明るい、ポジティブを善い、
暗い、ネガティブを悪いとする。

当然、明るい、は好かれて、
暗い、は嫌われる。
明るい、は幸せで、暗い、は不幸せ。
思考停止、としかいいようのない、
そんな思考がある。

好き嫌いから、善悪や、幸不幸まで、
一直線に結ばれる。
オートマティックに短絡させて、
考える余地を残さない、
そんな思考がある。



    161103.jpg
    http://www.autoexpress.co.uk/car-reviews/39037/ex-works-monte-carlo-rally-mini

彼らは、自分の感情、
自分の価値観で、
自由に思考していると言うだろう。
僕には、不自由としか思えないが、
おそらく、共感は得られない。

彼らの共感とは、お互いに、
考えていないことの確認である。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年11月03日 20:57 |
  2. 好き嫌い
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

好き嫌いと、善悪、幸不幸、について 3/x


相手の言葉が僕に通じる、とは、
僕の中にいるたくさんの他人の、
その誰かに言葉が届き、
その誰かが聞き容れたこと。

よくある、とか、ふつう、とかは、
僕の中にいるたくさんの他人の、
多くに聞き容れられたこと。
一様に、うんざりした表情で。



    161101.jpg
    https://jp.pinterest.com/hugogiralt/mini/

僕の言葉が通じていない、とは、
相手の中には、
僕のような他人がいない、
ということになる。

僕は、相手に通じる言葉を、
選ばなければならない。
よくある、とか、ふつう、とかの、
僕でなくてもいいような言葉を。

相手の中に僕を探せずに、
誰でもいいような会話をする。
よくある答を返して、
笑うところでふつうに笑う。

できないことはないけれど、
早く独りになりたいと思う。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年11月01日 21:51 |
  2. 好き嫌い
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

好き嫌いと、善悪、幸不幸、について 2/x


好き嫌いは、好き嫌い。
善悪にも、幸不幸にも、
どこにも着地させないで、
宙に浮かべるもの。

考えるくせのある人は、
それらを結ばない。
考えることは、もつれさせないこと。
考えることは、解(ほど)くこと。

感情は、自分のものとしか、
言いようがないけれど、
考えずにはいられないのは、
きっと他人の仕業だと思う。

多くの視点を持つことは、
どれだけたくさんの他人を、
自分の中に棲まわせているか、
それにかかっている。

他人が棲んでいなければ、
思考はできないし、おそらく、
考える必要性も感じない。
きっと、考えることの、

意味さえ違ってくるだろう。



    161030c.jpg
    https://jp.pinterest.com/hugogiralt/mini/

自由に考えるなんて、
考えない人の台詞だと思う。
自由なんて枕詞がつけられる思考は、
すべて思考停止だと思っている。

思考は、自分の中の他人に対する、
ぎりぎりの説得である。
そこに、自由を感じるのなら、
それは、自由な思考ではなく、

思考の不自由である。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年10月31日 22:40 |
  2. 好き嫌い
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8

好き嫌いと、善悪、幸不幸、について 1/x


好き嫌いと、
善悪や、幸せ不幸せは、
関係が切れている。



    161030a.jpg
    http://luiscezar.blogspot.jp/2011/11/mini-cooper-s-dnarally.html

自分の好きなものごとを善、
嫌いなものごとを悪として、
あるいは、幸せ不幸せとして、

善悪や幸不幸と共に考えることを、
僕は、自由な思考とは呼ばない。
感情が、判断に結びつくような、

そんな短絡を、
逆に、不自由と呼ぶ。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年10月30日 20:40 |
  2. 好き嫌い
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

無関心、について 8/8


無関心を、考えられないこと、
考えたくないこと、
        考え続けていられないこととすれば、
        好きの反対は無関心になる。
好き嫌い、とは、
考え続けていられないものごとにも、
        関心を持たせることである。
        無関心にさせないことである。
考え続けることができるものごとなら、
もとより関心を持っている。
        だから、好きの反対は無関心、でいい。
        ずいぶん遠回りをしたけれど、

        どうやら、それで、合っているらしい。



    131019.jpg
    http://forums.kilometermagazine.com/

余計なことを、
つけ加えるなら、
        僕は、美しいものごとが好きで、
        醜いものごとが嫌いで、
それは、僕に限ったことではなく、
誰だってそうだと思うけれど。
        美しいとか、醜いとかも、
        うまく説明ができないことだが、
もしかしたら、好き嫌い、が先に来て、
後に、美醜が来るのかもしれない。

        好きなものごとについての、
        僕の言葉の行き止まりを、
おそらく、僕は、
美しい、と呼んでいる。
        そして、反対に、
        嫌いなものごとについてのそれを、
おそらく、僕は、
醜い、と呼んでいる。
        美しい、とか、醜い、とかは、
        問いが解けず、答を探せないこと。

        言葉を手放すことへの同意である。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年10月28日 22:34 |
  2. 好き嫌い
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:16

無関心、について 7/8


好きの反対は無関心、
のときもある。
        好き、でなければ、嫌い、とか、
        関心、がなければ、無関心、とか、
ふつうに考えて、僕たちには、
そんな極端な二分法に、
        振り分けられないものが多すぎる。
        どちらでもないことが多すぎる。



    161028a.jpg
    https://jp.pinterest.com/hugogiralt/mini/

知っているけれど、
考えられない、
        考えたくない、
        考え続けていられない。
それは、嫌いなものごとだけではなく、
好きなものごとについても当てはまる。

        例えば、音楽について語るとき、
        僕が心に思う音楽と、
僕の言葉による表現は、
どうしても一致する気がしなくなる。

        世の中には、言い表せないものが、
        いくらでもあって、
僕の中にも、言葉にならないものが、
いくらでもあるのだろう。
        音楽は、言葉を要しないから、
        音楽は、言葉の不自由さを跳び越えて、
身体に働きかけ、引き換えに、
言葉を不自由にさせるもの。
        言葉は、音楽に無関心を装わなければならないが、
        それでも、音楽は、語らずにはいられないもの。
考えることができないのに、
また続きを考えてしまうもの。


        好き、とは、
        想い起こさせることである。
考え続けていられないものごとにも、
関心を持たせることである。
        思わず関心を持ってしまうような、
        無関心でいられないものごとを、

        無関心にさせないことである。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年10月28日 12:06 |
  2. 好き嫌い
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

無関心、について 6/8


好きの反対は無関心、
のときもある。
        ただし、好き、の反対は、
        好きではないあれこれのすべてであり、
無関心は、好きではないありようの一つで、
その全部ではない。



    161025.jpg
    http://arban-mag.com/artist_detail/331

例えば、醜悪な、凄惨な、
下劣な、加虐的なものごとは、
        想像しただけで気分が悪くなる、
        身体が受けつけない。
知っているけれど、
考えられない、
        考えたくない、
        考え続けていられない。
自分との関わりが、
見い出せなければ、
        問題にはしたくない、
        意識に上らせたくはない。
無関心でいられるものなら、
無関心でいたい。

        例えば、狭量で、下品で、
        横柄で、薄っぺらな人のことなど、
考えても仕方がない、
考えても、悪口しか浮かばない。



        嫌い、とは、
        想い起こさせることである。
考え続けていられないものごとにも、
関心を持たせることである。
        関心など持ちたくもないような、
        無関心でいたいものごとを、

        無関心にさせないことである。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年10月27日 12:05 |
  2. 好き嫌い
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

無関心、について 5/x


好きの反対は無関心。

        バガボンのパパみたく、
        両辺に「反対」を掛けると、
        「好きの反対」の反対は「無関心の反対」になる。

        「好きの反対」は、「無関心」だったから、
        左辺に代入すると、
        「無関心」の反対は「無関心の反対」になる。

        「無関心の反対」を「関心」として、
        右辺に代入すると、
        「無関心」の反対は「関心」になる。

これでいいのだ。



    161023b.jpg
    https://fanart.tv/artist/8defddcb-85ab-4283-a1a8-68405fa98b6b/kojima-mayumi/

好きの反対は無関心。

        両辺に「反対」を掛けると、
        「好きの反対」の反対は「無関心の反対」になる。
        ここまでは同じ。

        「好きの反対」を、「嫌い」として、
        左辺に代入すると、
        「嫌い」の反対は「無関心の反対」になる。

        「無関心の反対」は「関心」だったから、
        右辺に代入すると、
        「嫌い」の反対は「関心」になる。

好きの反対は無関心で、
嫌いの反対は関心か。
それとも、好き、の反対を、

嫌い、としたのが間違いか。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年10月24日 19:14 |
  2. 好き嫌い
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2