tetsugaku poet

qinggengcai

哲学は、趣味


スピは、宗教、
哲学は、趣味。
どちらも、必要ではない。
なくても生きて行ける。
        役に立つとか、
        立たないとか、
        そんなのは知らないし、
        どっちでもいいし、
やれと言われても、
やらない人はやらないし、
するなと言われても、
する人はしてしまうし、
        やり方を習っても、
        やらなきゃできないし、
        やり方を知らなければ、
        いくらやってもできないし、
僕の代わりには、
誰もやってくれないし、
代わりに誰かがしていても、
僕には何の意味もないし、
        何のためにもならなくても、
        誰のためにもならなくても、
        やめられないうちは、
        続けるしかないような、

        哲学は、自分と世の中について、
        考える趣味である。



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  1. 2017年07月09日 17:21 |
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哲学は、善悪


「善」とは、共同体の利益となる行為、
対して、「悪」とは、
共同体の不利益となる行為をいう。
昔からある「善」の定義だ。

そんなのは、当たりまえすぎて、
誰が定義したのかは誰も知らない。
発見したのか、発明したのか、
そんなのも、どっちでもいい。

「義」といってもいい。
「正しさ」でも、「正義」でもいい。
それらの小さな違いが、
気になる人なんて珍しい。

「善」が相対的なのは、
それぞれの共同体によって、
利害が異なるからである。
なんて簡単な理屈だろう。

「善」は、部分集合や補集合、
和集合や積集合で括られて、
「善悪」なんて、僕の身の周りにも、
いつでも、どこでも、いくらでもある。

そして、哲学は、「善悪」を考える。
複雑な、共同体の利益を逡巡している。


解決策は、両極端な2通り。
個に向かうか、全に行くか。
自分に閉じこもるか、
それとも、宇宙の果てまで跳ぶか。

どちらも現実を見なくていいから、
悟った気分が得られるに違いない。
自己閉塞に落ち込んでいても、
宇宙を夢見ることはできる。

スピは、宇宙の利益を考えているのか。
最小の真部分集合の個人なのに、
遥かに外側の宇宙の「善」など、
考えることができるのか。

もしも、スピが、個人の「善」なら、
単純に、個人の利益に埋没している。



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  1. 2017年07月07日 23:03 |
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哲学は、抽象


        知識や情報を取り込んで、
        もの知りになることで、
        人は考えなくなる。
考えなくても知っているし、
知っていることなら、
考えるには及ばない。

        そして、考えることは、
        知っているかどうか、
        には係っていない。
正確を期すのなら、
知っていると思えるかどうか、
に係っている。

        知識を頭の中に入れて、
        もの知りになっていくことに、
        どれほどの価値があるのだろう、
などと、学識のない僕なら、
負け惜しみを言ってみる。
僕は、ウィキになりたいわけではない。

        何かを考えるときには、
        知識や情報が少ないほうが、
        抽象性が保たれる。
そして、逆説めいてくるが、
抽象性が高いほうが、
知識や情報の量は多い。

        具体的な知識は、
        抽象的な知識を、
        損なわせてしまう。
顕在的な知識は、
潜在的な知識を、
埋もれさせてしまう。

        抽象性は、輪郭を持たない。
        だから、考えて縁取りたくなる。
        抽象性は、空白をもたらす。
だから、考えて埋めてみたくなる。
しかし、知識や情報は、
たいていは、具体的なものだ。

        具体的に説明されると、
        僕は、何も考えられなくなる。
        願わくば、もっと、

        抽象的に言ってくれ。



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  1. 2017年07月04日 23:24 |
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哲学は、正直


僕が、今まで生きてきた、
あらゆる経験を捨象しても、
自分、というものが、
どこかに存在すると思えることは、
どういう間違いだろう。

今の僕が、このように在るのは、
そして、このようにしか在り得ないのは、
偶然の積み重ねであり、
別の偶然が積み重なっていても、
それはそれで、別の僕が在り得たと思う。

なぜ僕は、こんな僕であり、
ほかの誰かのような僕ではないのか、
そんな問いが意味を持たないのは、
さまざまな経験をした、
なれの果ての僕が問うからである。

そのように問う僕になったから、
僕はそのように問うのであり、
そのような問いを無化する僕になったから、
もう僕はそのように問うことはない。
もしも、僕が、スピが与えてくれる答を信じるのなら、

スピを信じる僕になり果てただけのこと。



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僕は、例えば、人が生まれてきた理由、
なんてのは、問いも答も理解できないけれど、
僕が、理解できないのなら、
僕は、理解できないことを大切にする。
不正直に、理解しているかのように扱わず、

正直に、理解できない僕でいい。



私はかつて正しかったし、今もなお正しい。
いつも、私は正しいのだ。
私はこのように生きたが、また別の風にも生きられるだろう。
私はこれをして、あれをしなかった。
こんなことはしなかったが、別なことはした。

そして、その後は?
私はまるで、あの瞬間、自分の正当さを証明されるあの夜明けを、
ずうっと待ち続けていたようだった。
―― 『異邦人』/アルベール・カミュ 著、窪田啓作 訳、
―― 1954、新潮文庫



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  1. 2017年06月29日 22:34 |
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哲学は、不快


反対に、なにより気分が悪いのは、
問いがあって、答がないこと。
答がない問いの答を考えること。
自分で考える気がない人にとっては、
これほど不快なことはない。
答を教わることができないから。

どこかに答があって、
自分はそれを見つけてきて、
理解すればいい、
そんな作法を、考える、
と呼んでいる人にとっては、
答は、教えてもらうものである。

スピは、答のない問いにも、
正解を用意してくれている。
答があるということは、
とても楽ちんなことだ。
本に書かれているにしても、
ネットに載っているにしても。

書かれたことがでたらめでも、
本に騙された、ネットに乗せられた、
などと、被害者になればいい。
誰かの答を信じて、
誰かの真似をしていれば、
誰かのせいにして生きられる。

たとえ、それが、
どんなに信じ難い答であっても。



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  1. 2017年06月25日 00:58 |
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哲学は、現実


気分がいい考えごとは、気分がいい。
同語反復だから当然だ。
        自分にとって気分がいいことを信じると、
        信じる自分は気分がよくなる。
何も言っていないくらいに、
当たりまえなことだ。

        スピを信じれば、ご機嫌になれる。
        それだけでスピは、信じるに値する。
みんな、ご機嫌に暮らしたいから、
気分が悪いことなど、
        誰だって、信じたくはない。
        できれば、嘘にしてしまいたいくらいに。

スピは、ご機嫌な娯楽で、
愉快なエンタメだ。
        娯楽で、エンタメなのに、
        スピは、現実の世界に娯楽を持ち込む。
現実の判断基準にエンタメを用いる。
それが真実の世界の、
        尺度なのかもしれないが、
        そんな物差しで測っても、

        現実の世界は、嘘にはならない。



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  1. 2017年06月24日 18:12 |
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哲学は、自分


その判断基準の、
不合理性はさておく。
スピが輪廻を信じたいのなら、
信じればいい。
        問題は、その当否を、
        主体的に捉えようとしない、
        自分のなさにある。

オウムの実行犯は、
生まれ変わりを信じて、
他人の生命を、
軽く扱うことができた。
        しかし、自分の生命に、
        危険が及ぶと、
        逮捕を恐れて逃亡する。

つまり、輪廻は他人事で、
自分の生命は、
輪廻によっても、
少しも軽くならない。
        輪廻が自分の問題になって、
        やっと不合理に気づく。
        そんな無自覚な主体性のなさは、

        差別や、いじめや、
        あらゆる不合理を支える意識と、
        等質なものである。



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  1. 2017年06月23日 12:36 |
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哲学は、主体


本当の自分なんて、
どこかに在るほうが困る。
僕は、嘘の客体を、
生きているつもりはない。

本当の自分に、
考えてもらえば、
嘘の自分は楽ちんだろう。
何も考えなくても生きられる。


人は死んでも、
何度でも生まれ変わる、
そう思っている人とは、
一緒に何かを考えられない。

最初から、そんな言い訳だか、
なぐさめだかを、
隠し持っている人とは、
一緒に生きて行けない。

そんな人には、恋愛も、
子育てもしてもらいたくない。
クルマの運転もしてほしくない。
他人と関わらないほうがいい。

他人との接し方も、
毎日の小さな判断も、
生命の重さも、
たぶん、僕とは違っている。


現実を嘘にして、
生まれ変わりを信じる。
そんな夢物語を許す理由は、
その当否を考える、

主体がないからである。



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  1. 2017年06月22日 20:23 |
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哲学は、黙る


僕たちが理解している世界など、
幻想にすぎない。
真実の世界は別にある。

その通りだと思う。
僕だって、そう思っている。
僕の世界は、僕の誤謬の投影である。

僕は、そこで、黙る。
真実の世界があったとして、
そんなものは、僕には語れない。

誰かが真実の世界を語るのなら、
真実で語られたその世界も、
誰かの誤謬の投影に過ぎない。


科学は、世界の解釈の一例で、
世界の解釈は、いくつもある。
僕だって、そう思っている。

僕は、そこで、黙る。
正当な解釈があったとして、
そんなものは、僕には語れない。

誰かが、正当な解釈をするのなら、
正当に解釈されたその世界も、
世界の解釈の一例に過ぎない。


僕は、何も言わないから、
真実の世界や、正当な解釈を語ればいい。
哲学が黙り込む地点から、

スピは急におしゃべりになる。



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  1. 2017年06月20日 23:03 |
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哲学は、遅い


哲学は、もの分かりが悪い。
スピがふつうに使っている、
愛とか、真理とか、神とか、
そんな言葉が解らない。

だから、スピにとっては、
心地よいフレーズが、
哲学には、とらえどころがなくて、
なんだか不快に思えてくる。

それらは、哲学が、
好んで取り上げる主題だが、
哲学は、考えて考えて、
恐る恐る定義する。

自分の経験に基づいた心の内は、
まだ言葉を与えられていない。
だから、言葉は、
ぎこちなく差し出される。

心の内の言語化は、
どこかに書いていたことや、
誰かの言葉の繰り返しに、
置き換えられるものではない。

ありきたりな言葉に、
落とし込むことはできないし、
誰とでも分かり合えるような、
ストーリーにはなり得ない。

それは、哲学にとっては、
何より大切なことで、
哲学に言わせれば、
スピは、大切なものを失っている。

スピに言わせれば、
哲学は、感性が鈍いのだろう。
ぐるぐる悩んでいるだけで、
低い次元から抜け出せない。

哲学は、まどろっこしくて、
じれったくて、とにかく、遅い。



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  1. 2017年06月15日 22:31 |
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