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鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい、の感想文 7/7


ところで、「みんなちがって、みんないい」なんて標語は、
この国の国語教育においては、まるで通用しない。

テストでは、「みんなちがって、みんないい」の意味を、
次の4つのうちから選びなさい、なんて出題されるから。

この詩の感想文を書かせて、
点数をつけて、いいから悪いまで順番に並べるから。

論理的に解ける問題は、すべて、
問いの中に答が隠されているけれど、

出題者は、自分が何を言っているのかが、
まるで分かっていないように思われる。

小学生なら、答を選んでも構わない。
でも、僕たちは、いつまで、

先生と、答合わせをするつもりなのか。



    

    ―― 私と小鳥と鈴と/KONISHIKI
    ―― 金子みすゞ 作詞、BANANA ICE 作曲、2006、Warner Music Japan



    

    ―― 金木犀の夜/きのこ帝国
    ―― 佐藤千亜妃 作詞作曲、2018、Universal Music Japan

ところで、選曲は、
きのこつながり、だったりする。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2018年09月24日 00:14 |
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鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい、の感想文 6/7


詩のタイトルは、
「私と小鳥と鈴と」である。
鈴に接尾された「と」は、
読み手が、さらに任意の何かを、
つけ加えることを許容する。
テクストは、そんなふうに、
わずかに意味を変えてくる。

私と小鳥と鈴と、ってのは、
人と、人を除く生きものと、無生物であり、
形あるものすべてといってもいい。
では、それらに何をつけ加えても、
私か小鳥か鈴のいずれかと、
同じ要素で括られる。
違い、ではなく、同じ、を作る。

鈴と、小鳥と、それから私を、
「みんなちがって、みんないい」と結ぶが、
ここでの「いい」は、おそらく、
積極的な価値判断ではない。
みんな違っていいし、同じでもいい。
金子みすゞは、違うこと対して「いい」と、
肯定しているわけではないだろう。

僕には、みんな違う、ってのと、
みんないい、ってのは、
並列に対置しているように読める。
「みんなちがうから、みんないい」ではない。
「みんなちがって、みんないい」である。
テクストは、そんなふうに、
わずかに意味を変えてくる。

「みんなちがって、みんないい」を、
個性とか、only one とか、
さらには、差別とか、いじめとか、
そんな文脈での標語にするのなら、
それは、違いを違いとして肯定して、
その違いに価値の上下を、
つけられない意味になる。

「みんなちがって、みんないい」を、
テクストから切り取って、
詩から離れたところで、
みんなの手垢にまみれさせて、
また戻して、縫い合わせようとしても、
もう、金子みすゞの織り方で、
織られたテクストには戻らない。

テクストは、そんなふうに、
わずかに意味を変えてくる。



    

    だいたい夜はちょっと感傷的になって
    金木犀の香りを辿る

    ―― 金木犀の夜/きのこ帝国
    ―― 佐藤千亜妃 作詞作曲、2018、Universal Music Japan



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  1. 2018年09月22日 00:04 |
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鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい、の感想文 5/7


金子みすゞの詩は、
飾らないけれど、思いやりのある言葉で、
僕たちに語りかけてくる。
―― なんてことを書こうと思えば、
たぶん、僕にだって書ける。

ついつい見過ごされてしまう小さなもの、
例えば、鈴や、小鳥に対しても、
優しいまなざしを向けて、真実を見つめる。
そして、誰かの悲しみを自分の悲しみとして、
―― なんてことなら、いくらでも。

金子みすゞに思いやりとか、
優しさを見つけることで、
それを表向きの理由にして、
自分の思いやりや、
優しさを見せつけることくらい、

金子みすゞの悲しみを踏みつけにして、
自分の心の豊かさをひけらかすことくらい、
鈍感で、心のない僕にだって、いくらでも。



    

    だいたい夜はちょっと感傷的になって
    金木犀の香りを辿る

    ―― 金木犀の夜/きのこ帝国
    ―― 佐藤千亜妃 作詞作曲、2018、Universal Music Japan



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  1. 2018年09月21日 00:02 |
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鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい、の感想文 4/x


    私が両手をひろげても、
    お空はちつとも飛べないが、
    飛べる小鳥は私のやうに、
    地面を速くは走れない。

    私がからだをゆすつても、
    きれいな音は出ないけど、
    あの鳴る鈴は私のやうに、
    たくさんな唄は知らないよ。

    鈴と、小鳥と、それから私、
    みんなちがつて、みんないい。

    ―― 私と小鳥と鈴と/金子みすゞ



個性とか、only one とか、
さらには、差別とか、いじめとか、
どうすれば、この詩を起点に、
そんなに遠くまで行けるのだろう。

「みんなちがって、みんないい」が、
一人歩きをしていないか。
「みんなちがって、みんないい」の、
ゲシュタルト崩壊ではないのか。

小鳥は、ふつうは空を飛ぶし、
鈴は、ふつうは揺すれば音を出す。
私が、走れるのも、唄を知っているのも、
そんなのは、没個性ではないのか。

個性なら、速く走れる鳥や、
たくさんの唄を知っている鈴にある。
あるいは、個性は、飛ぶことも、
走ることもできない鳥にある。

唄も知らないし、
音も出さない鈴にある。



    

    だいたい夜はちょっと感傷的になって
    金木犀の香りを辿る

    ―― 金木犀の夜/きのこ帝国
    ―― 佐藤千亜妃 作詞作曲、2018、Universal Music Japan



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  1. 2018年09月20日 12:21 |
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鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい、の感想文 3/x


鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
―― 私と小鳥と鈴と/金子みすゞ

タイトルは「私と小鳥と鈴と」だから、
接尾された「と」を受けて、
さらに任意の何かを加えてもいいけれど、

とりあえず、この詩では、
鈴と、小鳥と、それから私、
その3つを括って、「みんな」と呼んでいる。

だから、結びの「みんなちがって、みんないい」、
そこだけを切り取ると、
この詩を台なしにしてしまう。

比べられないものを比較する、
僕たちには、そんなことができないから、
比べられるものを比較してしまう。

詩は、できないことを擁護する。
できないことでも、そのまま書くことを許容する。
できることなら、詩の形を借りなくてもいいんだ。

「みんな」なんて言い方は、
ふつうは、人と人と人と、を思わせる。
私と誰かと誰かと、の意味になる。

せっかく、比較から離れたのに、
最後になって、僕たちは引き戻される。
人と人と人と、を比べずにいられない。

「みんなちがって、みんないい」、
詩から切り離して、そこだけを一人歩きさせて、
たいていは、道徳くさい話が添えられるけれど、

この詩についての感想を書くのなら、
誰かの説教じみた詩論をコピペするよりも、
詩に戻って、詩を読んだほうがいい。

この詩は、ずいぶん遠くまで来てしまっている。



    

    だいたい夜はちょっと感傷的になって
    金木犀の香りを辿る

    ―― 金木犀の夜/きのこ帝国
    ―― 佐藤千亜妃 作詞作曲、2018、Universal Music Japan



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  1. 2018年09月19日 00:37 |
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鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい、の感想文 2/x


なんてつまらない感想だろう。
感情的な余剰性がない。
つまり、心がない。

僕に心がないことの言い訳をすれば ――、
自分の経験に基づいた心の内は、
まだ言葉が与えられていない。

心の内の言語化は、
簡単に見つかるような言葉に、
変換されるものではない。

でも、よく知られた詩は、
その感想までよく知られている。
感動の作法まで決められている。

ありふれた知識を、
先に仕入れると、経験は、
ありふれた経験になってしまう。

効率よく感動して、
分別くさく感性を磨いて、
教養のような感想を抱く。

だから、みんな違って、
みんないいはずなのに、
誰もが同じような感想を持つ。

すでに知っている感想なら、
もう自分で考える必要がなく、
あらかじめ分かっている感想なら、

もはや、僕には、書くに及ばない。



    

    だいたい夜はちょっと感傷的になって
    金木犀の香りを辿る

    ―― 金木犀の夜/きのこ帝国
    ―― 佐藤千亜妃 作詞作曲、2018、Universal Music Japan



    私が両手をひろげても、
    お空はちつとも飛べないが、
    飛べる小鳥は私のやうに、
    地面を速くは走れない。

    私がからだをゆすつても、
    きれいな音は出ないけど、
    あの鳴る鈴は私のやうに、
    たくさんな唄は知らないよ。

    鈴と、小鳥と、それから私、
    みんなちがつて、みんないい。

    ―― 私と小鳥と鈴と/金子みすゞ



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  1. 2018年09月18日 00:04 |
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鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい、の感想文 1/x


鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
―― 私と小鳥と鈴と/金子みすゞ

鈴と小鳥と私、
それらは相互に、
比較の対象にはならない。

比較が成り立つのは、
鈴と鈴と鈴、あるいは、
小鳥と小鳥と小鳥である。

比べられるのは、
私と誰かと誰か、あるいは、
こんな私とそんな私とあんな私。

あるいは、比べられるのは、
あの頃の私と、今の私と、
未来の私だ。

比較にならないものごとは、
それぞれ違っていても、
もとより、優劣はなくて、

みんないい、というよりも、
いいも悪いもなく、
そこには、違いだけがある。

鈴と小鳥と私は、
誰も比べたりしないんだ。



    

    だいたい夜はちょっと感傷的になって
    金木犀の香りを辿る

    ―― 金木犀の夜/きのこ帝国
    ―― 佐藤千亜妃 作詞作曲、2018、Universal Music Japan



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  1. 2018年09月17日 00:03 |
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流星ワゴン 3/3


家族について、
うまく考えられないのは、
疑いなく、揺るぎなく、
大切だから。

好きとか、嫌いとか、
そんなことではなくて、
当たりまえに、
大切だから。

選びようがないから。
考えても、考えなくても、
大切でないことを、
選べないから。

大切にできなくても、
大切に思えなくても、
家族が大切でないと、
思うことを自制するから。

考えることは、
当たりまえを疑うことで、
当たりまえなことに、
立ち止まることだけれど、

疑いなく、揺るぎなく、
立ち止まることも、
できないくらいの、
当たりまえさで、

大切にするより、
ほかにないから。



    170304.jpg

    流星ワゴン/重松清 著、
    2002、講談社



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  1. 2017年03月04日 19:41 |
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流星ワゴン 2/3


        家族は、よく分からないけれど。
        とりわけ、父と子については。
例えば、何でも言い合えるとか、
笑顔で、感謝し合えるとか。
        そんな人たちが集まって、
        家族をやっているのも、どうかと思う。
そんなに出来のいい人たちなら、
家族なんてしなくてもいいのに、
        などと、出来の悪い僕なら、
        やっかみながら思う。

        何も言えなくなったとき、
        笑えないし、感謝もしたくないとき。
現在進行形の時制で、
家族という集まりからの、
        要請を充たす行為を選ぶことで、
        それぞれの家族は説明される。
共有された、理想の家族のイメージから、
外れてしまったとき。
        そこから、それぞれの家族が始まる、
        などと、出来の悪い僕なら、

        負け惜しみを言う。



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  1. 2017年02月26日 20:04 |
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流星ワゴン 1/x


        怒っているときに、
        考えごとが捗(はかど)るのは、
きっと、途切れることなく、
誰かの悪口が浮かぶから。

        そのうち、本来の考えごとは、
        悪口に取って代わられて、
考えごとは、いつの間にか、
悪口を考えることになっている。

        考えごとは止まらない。
        もう、悪口しか浮かばないのに。
悪口が浮かばなくなったとき、
考えごとは止まるけれど、
        頭が悪口で埋め尽くされて、
        もはや、もう、何も、

        考えられなくなっている。



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  1. 2017年02月25日 18:02 |
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