馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

考える、について (`ω´)キリッ 4/4


考えて書いているのに、
何も言っていない文章に、
なってしまうときがある。
例えば ――、
考える、ことは、自分を、そして他人をも、

解らなくさせることである。

などと、書き出される文章なら、
僕は、少なからず期待する。
自分で思いついて、書き出して、
自分に期待するというのも、
馬鹿っぽい話ではあるけれど。

逆説的だが、わざとらしくなく、
無理なく展開できそうな気がする。
回りくどい説明はいらない。
しかし、それゆえに、結局は、
何も言っていないことになる予感がある。

この何も言ってなさは、
前の3つの言ってなさとは違う。
小さくスパークした思いつきを、
説明しようとして、失敗しそうな、
僕の、何も言えなさ、である。

考える人に対してなら、
たいした説明はいらない。
むしろ、凡庸な記述であり、
共有しているインデックスを指示すれば、
容易に共感が得られると思う。

何も言えなさ、とは、
考えることと、理解することを、
等号で結ぶ人への説明の困難さである。
宛先を、考えない人にしたときの、
僕の技量のなさである。

もちろん、非常識なことを、
言い出しているのは、僕のほうで、
考えることで、解らなくなるのなら、
むしろ、考えないほうがいい。
僕の試みは、問題でさえないことへの答を、

説明しようとすることである。
僕に何が言えるのだろう。



        ―― 参考文献
        ―― 神秘主義哲学の立場から
        ―― 『思想・言論における四つの類型』
        ―― http://mysticisme.blog.fc2.com/blog-entry-150.html
        ―― 2016/12/11



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  1. 2016年12月16日 12:54 |
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考える、について (`ω´)キリッ 3/x


考えて書いているのに、
何も言っていない文章に、
なってしまうときがある。
例えば ――、
考える、ためには、

知ること、学ぶことが必要である。

などと、書き出される文章には、
僕は、少なからず落胆を感じてしまう。
たぶん、考えることではなく、
考えるために必要なことを考えて、
考えることには戻ってこない。

考えることが得意な、
頭のいい人たち、
つまり、学業に優れた人たちは、
当然のことながら、
総じて、よく知り、よく学んでいる。

しかし、考えることが得意なことと、
頭がいいことは、同義ではない。
考えることが得意なことと、
学業に優れていることも、
決して、地続きではない。

そして、よく知り、よく学ぶことは、
却って、考えることを阻害する。
誰かが考えた、考える、についての考察を、
正解として取り込めば、
考える、ということが始まらない。

考える、について考えることは、
何のために考えるのかが明確でなく、
いわば、無益な問いである。
機会費用でいえば、考えるだけ損であり、
もっと有益なことを考えたほうがいい。

考えること自体を、考える必要はなく、
ふつうは、一生に一度も考えない。
考える必要がないことに対して、
知ること、学ぶことが必要であるとは、
どういう矛盾だろうか。

知ること、学ぶことは、
頭がよくなければできない。
しかし、その頭のよさは、
理解する頭のよさであり、
自分で考える頭のよさではない。

考える、について考える人は、
その無益な問いに対して、
自分の頭がよくても、悪くても、
自分で考え、自分で答えるしかないことを、
了解しているから問いが立つ。

誰かにとっての、考える、ではなく、
自分にとっての、考える、である。
頭のいい誰か、ではなく、
たいして頭のよくない自分にとっての、
考える、ということである。

考える、ことは、
考えろ、と命じられても始まらないし、
考えるな、と禁じられても止まらない。
いくら考えようとしても、
できることではなく、

考えようとしなくても、
してしまうことである。



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  1. 2016年12月15日 12:51 |
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考える、について (`ω´)キリッ 2/x


考えて書いているのに、
何も言っていない文章に、
なってしまうときがある。
例えば ――、
考える、ということよりも、

愛が大切です。

いきなりで、びっくりするから、
です、ます、で衝撃を和らげよう。
愛、なんて概念がどこから来るのか、
とにかく、考える、ということが、
主題から転落しかかっている。

愛が大切、と書けば、
理屈抜きに支持される。
誰からの反論も許さない。
無心に遊ぶ子供と、
それを見守る母親を描写して、

感情に押し流されたまま、
短い文章の結びにしよう。



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  1. 2016年12月13日 12:34 |
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考える、について (`ω´)キリッ 1/x


考えて書いているのに、
何も言っていない文章に、
なってしまうときがある。
例えば ――、
考える、にあたっては、まずは、

正しい心の持ち方を学ばなければならない。

などと、書き出される文章には、
僕は、少なからず落胆を感じてしまう。
ほとんど、読む気が失せてしまうけれど、
それは、失せた読む気でも読める文章と、
僕に見限られたことによる。

正しい、心の、持ち方を、学ぶ、
という、それぞれの言葉が持っている、
それぞれの抽象度の高さを忘れてもいい、
そんなメッセージが含まれた文章を、
僕がそのメッセージ通りに読むことによる。

なければならない、
という、根拠を示さない義務が課せられて、
僕は、説教が始まることを予期している。
新しい発想が得られることへの期待は、
早々に捨てたほうがいい。

1つか2つ、体験談が語られた後で、
正しい心を持たなければ、
正しい考えには至らない、
そんな同語反復が待ち受けている気がする。
誰からも、反論されることはないが、

反論されないからといって、
正しいわけではない。
正しさも、そんな心も、その持ち方も、
それを学ぶということも、
おそらくは、最後まで、

一切、語られないからである。



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  1. 2016年12月12日 20:38 |
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テクスト 6/6


世の中に通じない言葉は、
科学や知識や常識から離れて、
自分のつたない経験から、
自分の出来の悪い脳みそで考える、
未開社会の呪術のような思考様式だと思う。

だから、言葉は、ぎこちなく、
恐る恐る差し出される。
心の内の言語化は、
簡単に見つかるような言葉に、
置き換えられるものではない。

出来合いのフレーズで間に合うのなら、
考える必要はなく、
その多くは、世の中的な正しさが保証されている。
世の中の枠に収まり切れないから、
考える必要があり、

言葉は世の中に通じない。


一方で、文章は、
本来、出来合いのフレーズであり、
僕の文章は、多くのありていなフレーズの中から、
僕が選んで、加工したものに過ぎない。
僕のすべての文章は、他人の文章である。

僕の知らないフレーズが、
僕に思い浮かぶわけがない。
よくあるフレーズによらなければ、
文章は、僕にも、他人にも、
誰にも読めたものではない。

そして、書き始めれば、
書かれた文章に規定されて、
紡ぎ出されるのが文章である。
ア・プリオリに ―― 書かれた文章に先立って、
書きたいことが揃っていたわけではない。

ア・ポステリオリに ―― 書かれた文章を読むことで、
書きたかったことにアクセスが可能になる。
文章は、そんな在り方しかできない。
それは、他の誰かによって書かれて、
僕に宛てられたメッセージである。

その時、僕は、
誰に出会っているのだろうか。
世の中の枠に収まり切れないから、
書き始めた文章なのに、
僕に宛てて文章が届けられる。

世の中に通じる言葉によって。



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  1. 2016年06月06日 10:44 |
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テクスト 5/6


レヴィ=ストロースは、
呪術をひとつの思考様式とみなした。
科学的に対象を分析する思考に対して、
そのような条件が揃っていない未開の環境では、
思考する者は、あり合わせの、
知っている材料で思考を組み立てながら理解を探る。

あり合わせの材料でする工作(ブリコラージュ)は、
未開社会に限ったことではない。
あり合わせの材料なら、
僕たちのほうが、たくさん持ち合わせている。
僕たちの日常も、インスタントの思考を、
手間をかけずに組み立てる。

ブリコラージュは、
心理的な接点を持ちたくないときの、
致し方ない所作になる。
同じ出来事を、同じように感じているかもしれないのに、
よくある言葉に置き換えて、
同じ時空にいることを避けている。

よくあるフレーズは、周囲のものごと、
人との関係、それら一切の忌避である。
つまり、関わりたくない、ということだ。
上滑りの会話、いつか誰かとしたようなやりとり、
自分でなくても成り立つ会話は、
自分が他人のようによそよそしい。

僕たちの世の中では、
出来合いのフレーズをファティックに交換し合うことを、
円滑なコミュニケーションと呼ぶらしい。
つまり、心はいらない、ということだ。
心がなくても成り立つ会話は、
世の中すべて、一切の忌避である。

自分も含めて、世の中まるごとの。



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  1. 2016年06月05日 12:46 |
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テクスト 4/x


関心がないものは、
目に映っていても、見えていない。
    物理空間としては見えていても、
    言語空間としては見えていない。
    目に映るものが、意味を連れてこない。

多くの人たちが見過ごすものに、
僕が立ち尽くしてしまうとき。
    僕にはきっと何かが見えていて、
    同じように動けない人がいるのなら、
    きっと同じ何かを見ているのだろう。

同じものを見ている、の意味は、
世の中に映らないものを、
見ていることにほかならない。
    目に映らないもの以外に、
    何か見るものがあるのか?

当りまえのこと、
考えなくてもいいこと、
それ以外に何か考えることがあるのか?
    当りまえの景色に、
    僕と並んで呆然としている。

    僕は、そんな誰かを必要とする。
    問いよりも、答よりも。



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  1. 2016年06月03日 20:07 |
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テクスト 3/x


言葉が通じる、とはどういうことか。
世の中に沿う言葉なら、通じて当然だから、
そんなものはどうでもいい。
では、言葉が通じる、の意味は、
世の中に通じない言葉が通じることにほかならない。

そのためには、まず、自らが、
世の中に通じない言葉を持っていることが前提になる。
世の中的には、役に立たない言葉だから、
それは、隠されたフォルダに格納され、
容易にアクセスを許容しない。

例えば、知識を並べて、
常識に支えられた妥当な結論を示されたときは、
そのフォルダは深い階層に沈み込み、
自分でも行方を見失う。
上滑りのやり取りをするために。


目に映るものは、見えて当然だろう。
では、目に映らないもの以外に、
何か見るものがあるのか?
そして、同じものを見ている、の意味は、
世の中に映らないものを見ることにほかならない。

当りまえのこと、
考えなくてもいいこと、
それ以外に何か考えることがあるのか?
説明しなくてもいいこと、
それ以外に何か説明がいるのか?

言葉が通じる、同じものを見ている、
異なる水準の意味を形成させるフレーズは、
書き手と読み手が取り結ぶ、
レトリカルな関係抜きでは語れない。
テクストは、意味形成を派生させる出来事であり、

信頼関係を結ぼうとする実践である。



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  1. 2016年05月31日 12:08 |
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テクスト 2/x


いつだって、そうなのかもしれないけれど。
僕たちは、価値観が移り変わる途中にいて、
例えば、働き方や、結婚や、
子供を産むことや、育てることや、
それらは、どうすればいいのかなんて、
僕には、ぜんぜん分からない。
考えることさえ億劫になる。

古い価値観では、働き方は決まっていたし、
結婚は当然するもので、
結婚すれば子供ができるのが当然で、
子供は学歴で評価されるのが当然で、
当然だから、それらを疑うことができた。
今は、当然とも言えるし、当然でもないし、
疑うことさえ、うまくできない。

僕は、世の中、って枠組みが嫌いなのに、
嫌うべき枠組みが、もう壊れかけで、
まだ作りかけで、うまく嫌えない。
疑ってかかりたいのに、
壊れかけの古い枠組みも、
作りかけの新しい枠組みも、
どちらも疑う前から疑わしい。

自分の価値観なんてものは、
確立できるものではない。
きっと、正規分布の、
どのあたりにいるかで測るものだ。
少なくとも、世の中に収まりたくない僕には、
相対的なものでしかない。
でも、どこに向かえばいいのだろう。

自分の立ち位置も確認できないのに。



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  1. 2016年05月30日 21:31 |
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テクスト 1/x


個人の考えることなんて、
正しいわけがないもの。
考えれば、世の中と違ってくるから。
世の中と違わないなら、
考えることもないから。

世の中が当りまえだと思っていること、
世の中がどうでもいいと思っていること、
個人は、そこを考えるけれど、
世の中の側からしてみれば、
もとより問いにもなりようがないこと。

当りまえで、どうでもいいことについて、
とても敵いそうにない世の中を相手に、
けんかを仕掛けようとする。
出来の悪い脳みそで、何の知識もなく、
静かなくやしさを抱えて。

反故にされたエントリは、
きっと、公開されたそれの何倍も多くて、
誰にも伝えられなかった言葉は、
伝わる人を探し始める。
問いが共有されればそれでいい。

答が欲しいわけではないもの。



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  1. 2016年05月29日 12:37 |
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