tetsugaku poet

qinggengcai

言えなかった言葉 3/3


どんな経験をするにしても、
僕たちは、その経験を言葉にしなければ、
自分の経験にはできない。

他人には、取るに足らない出来事でも、
自分が言葉を与えることによって、
その出来事は、自分の経験になったりする。

しかし、自分が感じたこと、思ったことは、
自分でもつかみどころがなくて、
とても、他人に伝えられるようなものではない。

だから、どこかで聞いたような、
よくある言葉で述べないと、
誰にでも分かるようには書けない。

書き手が忘れてはならないのは、
自分が書いたありふれたテクストを、
自分の経験にしないこと。

でないと、まだ言葉が与えられていないはずの、
書き手の心の内が、
ありふれた経験に置き換えられてしまう。

僕たちには、いつも、必ず、
言えなかった言葉がある。
いつだって、自分の言葉を捨てている。

書き手は、よくあるテクストを書き、
読み手は、それを了解する。
例えば、共感とか、相互理解とか、

分かり合える、なんて言いながら。



    

    ―― Eyes Were Young/Little Barrie
    ―― 2013、Hostess Entertainment



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2018年05月19日 12:21 |
  2. テクスト
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

言えなかった言葉 2/x


僕も含めて、ごく普通の人が、
かつての普通の人たちと違っているのは、
テクストを他人に宛てること。
つまり、他人に分かるように書く、
ということだ。

そして、何の関わりもない、
お互いにまるで知らないような、
宛名のない他人に宛てること。
つまり、誰にでも分かるように書く、
ということだ。

宛名がない他人に向けて、
何かしら書きたいことがあるんだ。
そして、望んでいるのは、おそらく、
例えば、共感とか、相互理解とか、
分かり合える、なんて言われることで、

いきおい、テクストは、
平均的な他人の理解が可能になるまで、
平均的なパターンに置き換えられる。
いつか、どこかで読んだような、
借りものの言葉に置き換えられる。

しかし、誰にでも分かるような、
ありていなテクストなら、
僕たちが書く動機は何だろう。
よくあるパターンのコピペに、
僕たちは何を感じるのだろう。

もしも、ありがちな意味に、
収まりきれないことが、
感動の要素だとすれば、
ありがちな感動なんてのは、
その要素を欠く語義矛盾になる。

それとも、誰もが、
感情が動かされるパターンに沿って、
予定通りの感動を受け取ることを、
望んでいるのだろうか。
例えば、共感とか、相互理解とか、

分かり合える、なんて言いながら。



    

    ―― Why Don't You Do It/Little Barrie
    ―― 2006、Hostess Entertainment



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2018年05月15日 21:01 |
  2. テクスト
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

言えなかった言葉 1/x


僕も含めて、ごく普通の人が、
ごく普通の日常のできごとについて、
ごく普通の文章を書き、
それが続けば、普通は日記と呼ばれて、

でも、ただひとつ、僕たちが、
かつての普通の人たちと違っているのは、
それを得体の知れないプラットホームに載せて、
公開してしまうことだ。

そんな平凡で、とりとめのない、
生活感、現実感にあふれた、
思考の断片を扱うメディアはなかったし、
そんなものに価値があるとは思えなかった。

そんなものは誰も求めていなかったのに、
僕たちは何をしているのだろう。
それは、有史以来、初めての事象であり、
何が起きているのかは、誰も知らない。

もちろん、僕も含めて。



    

    ―― I.5.C.A./Little Barrie
    ―― 2017、Hostess Entertainment



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2018年05月14日 12:54 |
  2. テクスト
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

考える、について (`ω´)キリッ 4/4


考えて書いているのに、
何も言っていない文章に、
なってしまうときがある。
例えば ――、
考える、ことは、自分を、そして他人をも、

解らなくさせることである。

などと、書き出される文章なら、
僕は、少なからず期待する。
自分で思いついて、書き出して、
自分に期待するというのも、
馬鹿っぽい話ではあるけれど。

逆説的だが、わざとらしくなく、
無理なく展開できそうな気がする。
回りくどい説明はいらない。
しかし、それゆえに、結局は、
何も言っていないことになる予感がある。

この何も言ってなさは、
前の3つの言ってなさとは違う。
小さくスパークした思いつきを、
説明しようとして、失敗しそうな、
僕の、何も言えなさ、である。

考える人に対してなら、
たいした説明はいらない。
むしろ、凡庸な記述であり、
共有しているインデックスを指示すれば、
容易に共感が得られると思う。

何も言えなさ、とは、
考えることと、理解することを、
等号で結ぶ人への説明の困難さである。
宛先を、考えない人にしたときの、
僕の技量のなさである。

もちろん、非常識なことを、
言い出しているのは、僕のほうで、
考えることで、解らなくなるのなら、
むしろ、考えないほうがいい。
僕の試みは、問題でさえないことへの答を、

説明しようとすることである。
僕に何が言えるのだろう。



        ―― 参考文献
        ―― 神秘主義哲学の立場から
        ―― 『思想・言論における四つの類型』
        ―― http://mysticisme.blog.fc2.com/blog-entry-150.html
        ―― 2016/12/11



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年12月16日 12:54 |
  2. テクスト
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:10

考える、について (`ω´)キリッ 3/x


考えて書いているのに、
何も言っていない文章に、
なってしまうときがある。
例えば ――、
考える、ためには、

知ること、学ぶことが必要である。

などと、書き出される文章には、
僕は、少なからず落胆を感じてしまう。
たぶん、考えることではなく、
考えるために必要なことを考えて、
考えることには戻ってこない。

考えることが得意な、
頭のいい人たち、
つまり、学業に優れた人たちは、
当然のことながら、
総じて、よく知り、よく学んでいる。

しかし、考えることが得意なことと、
頭がいいことは、同義ではない。
考えることが得意なことと、
学業に優れていることも、
決して、地続きではない。

そして、よく知り、よく学ぶことは、
却って、考えることを阻害する。
誰かが考えた、考える、についての考察を、
正解として取り込めば、
考える、ということが始まらない。

考える、について考えることは、
何のために考えるのかが明確でなく、
いわば、無益な問いである。
機会費用でいえば、考えるだけ損であり、
もっと有益なことを考えたほうがいい。

考えること自体を、考える必要はなく、
ふつうは、一生に一度も考えない。
考える必要がないことに対して、
知ること、学ぶことが必要であるとは、
どういう矛盾だろうか。

知ること、学ぶことは、
頭がよくなければできない。
しかし、その頭のよさは、
理解する頭のよさであり、
自分で考える頭のよさではない。

考える、について考える人は、
その無益な問いに対して、
自分の頭がよくても、悪くても、
自分で考え、自分で答えるしかないことを、
了解しているから問いが立つ。

誰かにとっての、考える、ではなく、
自分にとっての、考える、である。
頭のいい誰か、ではなく、
たいして頭のよくない自分にとっての、
考える、ということである。

考える、ことは、
考えろ、と命じられても始まらないし、
考えるな、と禁じられても止まらない。
いくら考えようとしても、
できることではなく、

考えようとしなくても、
してしまうことである。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年12月15日 12:51 |
  2. テクスト
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

考える、について (`ω´)キリッ 2/x


考えて書いているのに、
何も言っていない文章に、
なってしまうときがある。
例えば ――、
考える、ということよりも、

愛が大切です。

いきなりで、びっくりするから、
です、ます、で衝撃を和らげよう。
愛、なんて概念がどこから来るのか、
とにかく、考える、ということが、
主題から転落しかかっている。

愛が大切、と書けば、
理屈抜きに支持される。
誰からの反論も許さない。
無心に遊ぶ子供と、
それを見守る母親を描写して、

感情に押し流されたまま、
短い文章の結びにしよう。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年12月13日 12:34 |
  2. テクスト
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:12

考える、について (`ω´)キリッ 1/x


考えて書いているのに、
何も言っていない文章に、
なってしまうときがある。
例えば ――、
考える、にあたっては、まずは、

正しい心の持ち方を学ばなければならない。

などと、書き出される文章には、
僕は、少なからず落胆を感じてしまう。
ほとんど、読む気が失せてしまうけれど、
それは、失せた読む気でも読める文章と、
僕に見限られたことによる。

正しい、心の、持ち方を、学ぶ、
という、それぞれの言葉が持っている、
それぞれの抽象度の高さを忘れてもいい、
そんなメッセージが含まれた文章を、
僕がそのメッセージ通りに読むことによる。

なければならない、
という、根拠を示さない義務が課せられて、
僕は、説教が始まることを予期している。
新しい発想が得られることへの期待は、
早々に捨てたほうがいい。

1つか2つ、体験談が語られた後で、
正しい心を持たなければ、
正しい考えには至らない、
そんな同語反復が待ち受けている気がする。
誰からも、反論されることはないが、

反論されないからといって、
正しいわけではない。
正しさも、そんな心も、その持ち方も、
それを学ぶということも、
おそらくは、最後まで、

一切、語られないからである。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2016年12月12日 20:38 |
  2. テクスト
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:10

テクスト 6/6


世の中に通じない言葉は、
科学や知識や常識から離れて、
自分のつたない経験から、
自分の出来の悪い脳みそで考える、
未開社会の呪術のような思考様式だと思う。

だから、言葉は、ぎこちなく、
恐る恐る差し出される。
心の内の言語化は、
簡単に見つかるような言葉に、
置き換えられるものではない。

出来合いのフレーズで間に合うのなら、
考える必要はなく、
その多くは、世の中的な正しさが保証されている。
世の中の枠に収まり切れないから、
考える必要があり、

言葉は世の中に通じない。


一方で、文章は、
本来、出来合いのフレーズであり、
僕の文章は、多くのありていなフレーズの中から、
僕が選んで、加工したものに過ぎない。
僕のすべての文章は、他人の文章である。

僕の知らないフレーズが、
僕に思い浮かぶわけがない。
よくあるフレーズによらなければ、
文章は、僕にも、他人にも、
誰にも読めたものではない。

そして、書き始めれば、
書かれた文章に規定されて、
紡ぎ出されるのが文章である。
ア・プリオリに ―― 書かれた文章に先立って、
書きたいことが揃っていたわけではない。

ア・ポステリオリに ―― 書かれた文章を読むことで、
書きたかったことにアクセスが可能になる。
文章は、そんな在り方しかできない。
それは、他の誰かによって書かれて、
僕に宛てられたメッセージである。

その時、僕は、
誰に出会っているのだろうか。
世の中の枠に収まり切れないから、
書き始めた文章なのに、
僕に宛てて文章が届けられる。

世の中に通じる言葉によって。



テーマ:自作詩 - ジャンル:小説・文学

  1. 2016年06月06日 10:44 |
  2. テクスト
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

テクスト 5/6


レヴィ=ストロースは、
呪術をひとつの思考様式とみなした。
科学的に対象を分析する思考に対して、
そのような条件が揃っていない未開の環境では、
思考する者は、あり合わせの、
知っている材料で思考を組み立てながら理解を探る。

あり合わせの材料でする工作(ブリコラージュ)は、
未開社会に限ったことではない。
あり合わせの材料なら、
僕たちのほうが、たくさん持ち合わせている。
僕たちの日常も、インスタントの思考を、
手間をかけずに組み立てる。

ブリコラージュは、
心理的な接点を持ちたくないときの、
致し方ない所作になる。
同じ出来事を、同じように感じているかもしれないのに、
よくある言葉に置き換えて、
同じ時空にいることを避けている。

よくあるフレーズは、周囲のものごと、
人との関係、それら一切の忌避である。
つまり、関わりたくない、ということだ。
上滑りの会話、いつか誰かとしたようなやりとり、
自分でなくても成り立つ会話は、
自分が他人のようによそよそしい。

僕たちの世の中では、
出来合いのフレーズをファティックに交換し合うことを、
円滑なコミュニケーションと呼ぶらしい。
つまり、心はいらない、ということだ。
心がなくても成り立つ会話は、
世の中すべて、一切の忌避である。

自分も含めて、世の中まるごとの。



テーマ:自作詩 - ジャンル:小説・文学

  1. 2016年06月05日 12:46 |
  2. テクスト
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:12

テクスト 4/x


関心がないものは、
目に映っていても、見えていない。
    物理空間としては見えていても、
    言語空間としては見えていない。
    目に映るものが、意味を連れてこない。

多くの人たちが見過ごすものに、
僕が立ち尽くしてしまうとき。
    僕にはきっと何かが見えていて、
    同じように動けない人がいるのなら、
    きっと同じ何かを見ているのだろう。

同じものを見ている、の意味は、
世の中に映らないものを、
見ていることにほかならない。
    目に映らないもの以外に、
    何か見るものがあるのか?

当りまえのこと、
考えなくてもいいこと、
それ以外に何か考えることがあるのか?
    当りまえの景色に、
    僕と並んで呆然としている。

    僕は、そんな誰かを必要とする。
    問いよりも、答よりも。



テーマ:自作詩 - ジャンル:小説・文学

  1. 2016年06月03日 20:07 |
  2. テクスト
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:10