馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

愛をしようぜ。


「愛する」は、サ行変格活用だが、
実は、五段活用っぽく活用する。

    170128.jpg

    ―― 2015/12/03、『ラカン 9/xx ―― 愛とは、持っていないものを与えることである』



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  1. 2017年01月28日 12:01 |
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ラカン 14/14 ―― 愛とは、持っていないものを与えることである


何につけても、
始まりは、そんなものだ。


    例えば、建物を作るときに、
    設計図がなければ、全体が分からない。

    それでも、キッチンに作りつけの収納の、
    引き戸の取っ手のデザインが気に入れば、
    建物全体を好きになる、
    そんな契機としては、じゅうぶん過ぎる。


恋は、細部から始まる。
他人の全体なんて分からない。
細部からは、見通せるはずのない、
その全体を見越して好きになる。

その細部を延長しても、拡大しても、
きっと、その人にはならないのに。


        愛とは、持っていないものを与えることである。
        ―― ジャック・ラカン

        私は、私があなたに贈るものを拒絶してくれるようあなたに頼む。
        なぜならそれではないのだから。
        ―― ジャック・ラカン


    恋は、演劇性を求められる。
    見よう見まねの模倣で、
    演じる場面から現れる、
    演劇的な効果を恋と呼ぶ。

    演劇のくせに、全体のプロットを持たないままに、
    小さな場面が積み上げられる。


即興のライブだから、
細部は、小さな場面の、役者たちの中にある。

細部から全体に向かうときは、
その全体は、誰にも分からない。
全体から細部に向かうときには、
多くの意味づけが行き渡っているのに対して。


    神は細部に宿る。
    ―― ミース・ファン・デル・ローエ
    建物は、細部の収まりがよくないと、
    全体の価値が損なわれる。

    細部は、現場で決められる。
    当初の設計では、詰められない。


なにを作っているのかさえ、
分かっていなかったのに、
気がつけば全体に行き着いて、
なにやら、でき上がったものがある。

でも、僕たちは、いつだってうまくいかない。
どうやったらこんなものができるのだろう、
苦笑しながら、細部の集積を、
懐かしく眺めてみる。


そして、喩えようもないそれを、
例えば、愛と呼んでみる。



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  1. 2015年12月12日 20:43 |
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ラカン 13/14 ―― 愛とは、持っていないものを与えることである


意地悪をしてしまうこと、
そっ気なさを装うこと。

持っていない「嫌い」や、
「無関心」を与えてしまうこと。
持っているのは、それらではなく、
「好き」や「関心」なのに。

        愛とは、持っていないものを与えることである。
        ―― ジャック・ラカン


僕の「好き」は、
彼女の理解が可能になるまで歪曲されて、
おそらく「嫌い」に書き換えられる。

その実質は、彼女による、
僕の感情の創造であり、
僕の「好き」は変わらない。

        私は、私があなたに贈るものを拒絶してくれるようあなたに頼む。
        なぜならそれではないのだから。
        ―― ジャック・ラカン


どうして、僕は、
僕の邪魔ばかりするのだろう。



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  1. 2015年12月11日 21:01 |
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ラカン 12/14 ―― 愛とは、持っていないものを与えることである


他人のことは、行為で判断する。
自分のことは、気持ちで判断できるのに。

行為は、必ず演劇性を備える。
例えば、優しさは、
相手が優しくされていることを理解することで、
優しさになるから。


他人に通じる可能性がないような、
私的な言葉や所作は、意味をなさない。

優しくしたい相手には、
優しい人を演じることになる。
そうしないと、優しくしたことにも、
優しくされたことにもならない。


僕は、彼女に優しくしたかったから、
優しい言葉を選んだけれど、
それは、僕が優しい人に思われるために、
選んだ言葉ではない。

自分のためにかけた言葉ではなく、
彼女のためにかけた言葉だ。


彼女には、優しさだけが届けばいい。
僕は、彼女に、
優しい人だと思われても困らないほどの、
優しさは備えていないから。

それほど多くの、
優しさは持ち合せていないから。

        愛とは、持っていないものを与えることである。
        ―― ジャック・ラカン


優しい人に思われることなしに、
彼女に優しさを与えたいのなら、
気づかれないように、
優しさは、控えめに隠される。

隠された優しさは教えてくれる。
きっと、僕に対しても、
僕には知ることができなかった隠された優しさが、
数限りなく、向けられていたことを。

        私は、私があなたに贈るものを拒絶してくれるようあなたに頼む。
        なぜならそれではないのだから。
        ―― ジャック・ラカン



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  1. 2015年12月10日 20:58 |
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ラカン 11/xx ―― 愛とは、持っていないものを与えることである


恋の始まりにおいては、ことさらに、
恋は、演劇性を求められる。
つまり、デートをして、手をつないで、
キスをして、エッチをする。

それらが演劇でないとしたら、
誰もが、おおよそ順番を守り、
誰もが、おおよそ同じ行為をする、
その理由が見つからない。


テレビや、映画や、漫画や、小説や、
誰かから聞いた話や、流行りの歌や。
僕たちは、よくある台詞と、よくある所作で、
よくある演劇を再現する。

誰もが同じ行為をするから、
役者がなにを演じているかが分かる。
役者は、観客を模倣し、
観客は、役者を模倣する。



例えば、自転車に乗る、駅までの道を歩く、
日常の自然な行為においては、
行為の目的を意識すれば、
行為する身体は、意識しなくてもいい。

例えば、箸を使う、キーボードを打つ、
自分の身体を意識しなくても、
そんな高度なことができるのに、
彼女と、簡単に手をつなげない。

自分の身体の動静を、
意識することが非日常である。
僕は、自然に手をつなぐような、
身体性を持っていないことに気づく。

        愛とは、持っていないものを与えることである。
        ―― ジャック・ラカン


箸を使うことも、
キーボードを打つことも、
模倣から始まったが、
もう誰の真似もしなくていい。

日常の秩序を逸脱した、
ぎこちなかった身体も、
自然に手をつなげるようになると、
もう演技はいらなくなる。

        私は、私があなたに贈るものを拒絶してくれるようあなたに頼む。
        なぜならそれではないのだから。
        ―― ジャック・ラカン

もう誰の真似もしなくていい。
彼女と手をつなぐことは、
僕の日常の中に、
秩序化されている。



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  1. 2015年12月08日 12:51 |
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ラカン 10/xx ―― 愛とは、持っていないものを与えることである


欲求が欠乏の函数なら、
愛を求める人は、愛を欠いている。
満ち足りている人なら、
愛を欲しがることはない。

欠乏したままで、愛を与える。
欲しいものは、
まず自分から与えないと、
得ることができないから。

        愛とは、持っていないものを与えることである。
        ―― ジャック・ラカン


得られてしまうと、
満ち足りてしまうと、
求める必要も、
与える必要もなくなってしまう。

僕は、そんなことを、
望んでいたわけではない。

        私は、私があなたに贈るものを拒絶してくれるようあなたに頼む。
        なぜならそれではないのだから。
        ―― ジャック・ラカン


それでも、僕は、
与えよう、贈り続けよう。
贈る、ということは、同時に、
拒絶の契機を贈っているのだから。

贈る、ということは、
あらかじめ、または、同時に、
相手が受け取りを拒絶する可能性を、
前提とし、または、発生させる。

贈る、とは、愛が壊される可能性を、
与えることである。



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  1. 2015年12月06日 12:41 |
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ラカン 9/xx ―― 愛とは、持っていないものを与えることである


        愛とは、持っていないものを与えることである。
        ―― ジャック・ラカン

        私は、私があなたに贈るものを拒絶してくれるようあなたに頼む。
        なぜならそれではないのだから。
        ―― ジャック・ラカン



「お~い磯野、野球しようぜ」

中島は、名詞「野球」に、
「する」をくっつけて、動詞を作った。
サ変動詞の多くは、
名詞に「する」がついた複合語である。
もともと、この国になかったことを、
無理に動詞にするときは、どうしてもこうなる。


        語幹の「野球」に、
        「メール」と「恋」と「愛」を代入してみよう。

        野球しようぜ、
        メールしようぜ、
        恋しようぜ、
        愛しようぜ ―― とは言わない。
        なにをしていいのか分からない。


野球をしている、
メールをしている、
恋をしている、
愛をしている ―― とは言わない。
なにをしているのか分からない。

きっと、僕だけではなく、
みんなも分かっていないのだろう。


        「愛をする」ときに、
        僕たちは、端的な表現を持っていない。

        持っていないものを与える口語表現は、
        「愛してる」の一択になる。
        少しも変えてはいけない。
        「愛をしてる」では成り立たないし、
        「愛している」でも微妙に逸れる危うさがある。


僕たちは、「愛してる」、
そんな端折り気味の、定型表現を模倣する。
しかし、伝えたい言葉は、
きっとこんな言葉ではない。

「愛してる」、この言葉に嘘はない。
しかし、なんて平板な台詞だろう。
なんて嘘くさいのだろう。


        失笑を買うことを覚悟しないのなら、
        僕たちは正直ではいられない。
        言葉は虚構性を免れ得ない。
        虚構性を拒否すれば、
        言葉は信じてもらえない。

        僕たちは、互いに分かり合える世界の中にいて、
        それゆえに、分かり合えないことも知っている。


ほかに知らないから、
「愛してる」を贈る。

誰の心も、自分なりの論理を持っている。
それは翻訳が可能とは限らないが、
もしも、分かり合えたなら、
贈った言葉を拒絶してくれるように頼む。
この台詞に抵抗感がない人は、

おそらく、誠実ではない。



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  1. 2015年12月03日 19:34 |
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ラカン 8/x ―― 私があなたに贈るものを拒絶してくれるように頼む


        私は、私があなたに贈るものを拒絶してくれるようあなたに頼む。
        なぜならそれではないのだから。
        ―― ジャック・ラカン



嫌いな隣人を、好きになることはできない。
好きになれないから、
その隣人を嫌いになっている。
できないことをしようとしても、仕方がない。
それでも、その隣人に愛を与えるなら、
自己犠牲を伴うことになるだろう。
―― 隣人を愛せよ。
マタイ、22、39


自己犠牲は、正義ではない。
自己犠牲は、自己に向ける不正にほかならない。
嫌いな隣人を愛せば、自分が壊れる。
それは、正義が解消できない対立を無効にするが、
僕たちの正義は、
自己犠牲に頼ることを許さない。
しかし、正義が許さない自己への不正を、
他者に向ける愛は許すだろう。


自己犠牲と愛が巡るのは苦しい。
もっと手放しの愛がいい。
でも、誰だって、
感受性や価値観が同じ人となら、
愛せよ、と命ぜられるまでもなく、
愛さずにはいられない。
愛が問題になるのは、いつも、
愛せない人に対してである。


好きになることはできない。
嫌いなままでいるしかない。
嫌いな人に、自己犠牲が混じった愛など、
贈りたくはないが、
それでも、僕たちは、嫌いな人とも、
共に生きていくしかない。
正義を歪めて、愛を贈るから、
どうか、自己犠牲に気づかずにいてほしい。


贈りたいものは、自己犠牲ではない。
自らを捨てて贈るが、
卑屈になるつもりはない。
分かり合えない者たちと、
共に生きていくために、愛を贈る。
くやしいけれど、
欲しいものは、まず自分から与えないと、
得ることはできないから。


愛は平和ではない。
愛は戦いである。
武器の代わりが誠実であるだけで、
それは地上における、
最も激しい、厳しい、
自らを捨ててかからねばならぬ戦いである。
わが子よ、このことを覚えておきなさい。
―― ジャワハルラール・ネルー


ただし、嫌ったままでいる。
感受性は、譲り渡さない。



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  1. 2015年12月03日 19:31 |
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ラカン 7/x ―― 愛とは、持っていないものを与えることである


        愛とは、持っていないものを与えることである。
        ―― ジャック・ラカン



ラブラブの二人なら、
分かり合える者の間でなら、
愛、なんて言葉は、わざわざ問いには上がらない。
言葉を選ぶより、笑い合うほうがいい。
僕たちは、分からなくなってから、
笑えなくなってから、その言葉の意味を問う。

感受性が同じなら、
感受性は、問題とはしない。
同じ感受性を備えている人には分かるが、
備えていない人には分からないような、
感受性を異にする者が互いに見過ごすものを、
捉える能力を感受性と呼んでみるのなら。

では、愛とは、分かり合えない者、
言葉が通じ合わない者、
感受性や、価値観を異にする者、
つまり、愛を欠く者に対する言葉ではないか。
―― 愛とは、持っていないものを与えることである。
分かり合えなさに抗って。


自分を殺す、とは、
感受性の自殺を意味する。
好き、嫌い、そんな感受性の回路を切って、
感度を下げる戦略になる。
嫌い、の感度が鈍くなれば、
しばらくは、平穏に過ごせるだろう。

しかし、残念なことに、
好き、のアンテナだけを尖らせることはできないから、
総量としての、愛の情報量が減ってしまう。
極端な二分法に振り分けるなら、
感性的なアクセスを断って自足するか、
好き、から得られた愛を、嫌い、に横流しで与えるか。

―― 敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
マタイ、5、44



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  1. 2015年11月30日 12:56 |
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ラカン 6/x


        愛とは、持っていないものを与えることである。
        ―― ジャック・ラカン

        私は、私があなたに贈るものを拒絶してくれるようあなたに頼む。
        なぜならそれではないのだから。
        ―― ジャック・ラカン



こんなテクストなら、
解釈だけがある。
正しさはいらない。
こんなテクストなら、
誤読は避けられないから。

誤読したくなければ、
自らの外側に、
正しさを求めればいい。
その誰かの解釈を、
正確にトレースすればいい。

考えることは、義務ではない。
権利だから、放棄してもいい。
自分で考えないのなら、
間違いは回避できる。
もとより、間違うことはない。

ただし、その正しさは、
宗教か、それに等しい正しさだ。
それでも、その正しさも、
僕は認めるから、その代わりに、
僕の間違いも認めてほしい。

僕は、懲りもせずに、
あと2、3回は、間違えるから。
もはや、哲学でも、
心理学でもなく、
謎かけの類(たぐい)になったとしても、

なにも考えないよりは、
余程いいと思うから。



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  1. 2015年11月24日 22:41 |
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