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加藤諦三、下重暁子、終身刑


誰かを裁くことは、
思考できるが、
誰かを許し、忘れることは、
思考できない。
        思考は、被告を召喚して、
        断罪する役に立つ。
        しかし、感情を片づけるときには、
        僕には、ほとんど役に立たない。

加藤諦三も、下重暁子も、
被告に長い長い刑罰を与えた。
被告が死んでも、
刑期を終わらせなかった。
        たぶん、原告が死ぬまで、
        刑期が延ばされる。
        では、終身刑に処せられているのは、
        被告だろうか、

        原告だろうか。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年04月16日 22:17 |
  2. 反加藤諦三
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

コメント

青梗菜さん、おはようございます!!^^

>誰かを裁くことは、
>思考できるが、
>誰かを許し、忘れることは、
>思考できない
そうっすねえ。ニュースの、裁判の判決文?で、「許す」はたぶん聞いたことが無いっす(私は、ね)。それから、職場の同僚にミス?を責められて、頭では自分が悪いとわかっていても、言い方が腹立つ!(唾)とかあるのでございますだからです。m(__;m
  1. 2017/04/17(月) 10:16:14 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

裁判って、自分に過失があっても、
相手の、自分と同様の過失を問うことができるの。
自分を棚に上げることが前提なのよ。
裁く、ってのは、自分にミスがあっても、
相手の同様のミスを問うことができる。
臆面もなく、相手の悪口を並べていい。
遠慮している人は、弱くて愚かなんだ、
ってことになるけど、
人には、その人の内面の法廷があるよね。

内面の法廷で自分を裁く人は、
弱くて愚かで、強くて賢いの。
馬鹿だけどw。
  1. 2017/04/17(月) 11:12:20 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

良心という言葉がありますね〜〜。
「良心について、過去の倫理学者の説を交えながら、自分の見解を述べよ」って、大学院入試に出たけど、青梗菜さんなら何と書く?
良心、とは、consciosnessつまり、「共に=知る」だから、誰と「共に」知るのかと、論ずるべきだったけど、当時の僕は、語源を知らずに、カントの「内面の法廷」論をやっちゃったなあ。
カントは、「単なる理性の限界内における宗教」って、言った訳で、奇跡とか、カントがどう解釈しているのか調べると面白い🤣。
  1. 2017/04/19(水) 00:04:28 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>「良心について、過去の倫理学者の説を交えながら、自分の見解を述べよ」
そんなこと、考えたこともないよ~w。

>誰と「共に」知るのかと、
神と共に、みんなと共に、自分と共に。
でも、僕には知識がない、無理だw。

なので、高校で習ったベンサム、ミル、カントを交えます。
まず、ベンサムの功利主義、
最大多数の最大幸福、ってやつ、懐かしい♪
次に、ミルによるその修正、量的な功利より質的な功利、
満足した豚よりも、不満足なソクラテス、でしたっけ。
そして、カントの定言命法、
とにかく正しいことをやりましょう。

自分の見解としては、アリストテレスに遡る。
あるいは、ハンナ・アーレントに飛ばす。
アーレントは、ナチスのアイヒマンを「凡庸な悪」としたけど、
では、「非凡な善」というものがあるとしたなら、
アリストテレスの「徳倫理」に戻される。
そんなことは、誰も結びつけないから、自分の見解。
もちろん、高校では習わない。
  1. 2017/04/19(水) 12:26:47 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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