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僕の毎日は、事実に基づいたフィクションであり、 4/x


一夜落下雨/道元、うん/槇原、
目立たない真理の尊重/ニーチェ、
盗まれた手紙/ラカンとポー、
なるほど、真実はどこにでも転がっている。

でも、どうすればいいのかな。
いちばん大切なことは、目に見えない、
そんなサン=テグジュペリのフレーズも、
僕には、きっと、知ったかぶりで嘘っぽい。

幸せとは何か、なんてことも考えないままに、
僕は、大人になって、ずいぶん経つけれど、
何が解っていて、何が解っていないのか、
僕には、それさえも解っていないみたいだ。

解っていないのに、解ったふりをしない、
僕には、きっと、それさえも難しい。



    

    真実は一つなのか 何処にでも転がっているのかい
    一体そんなものが あるんだろうか 何も解らないで 僕はいる

    ―― てんびんばかり/河島英五
    ―― 河島英五 作詞作曲、1975、京都レコード



暑苦しい、キレる、圧がすごい。
歌詞も、声も、顔も、身体も。

気違い、なんて歌っているから、
政治的にコレクトではないけれど。



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2019年04月26日 00:06 |
  2. 物語論
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僕の毎日は、事実に基づいたフィクションであり、 3/x


>ぶっちゃけ、僕は、僕に幸せに生きてほしい。
なんだか他人事みたいな書きようで、
どうやら、僕は、何が幸せに生きることなのかを、
知らずに書いているらしい。

何らかの条件を満たすことで、
人が幸せになれるのなら、
幸せは、客観的な指標を備えるが、
哲学には、外的な条件は挙げられない。

哲学は、幸せ、について考えるけれど、
幸せになる方法は教えてくれない。
幸せになる方法を探し求めるのなら、
スピリチュアルか、宗教に訊けばいい。

哲学には、幸せになる条件は見つからない。
哲学には、幸せになることの指標がない。
哲学には、幸せになる方法は探せない。
哲学には、幸せになることは手に余る。

哲学は、幸せに生きよ、とは言うけれど、
それ以上は、何も言ってくれない。
対して、哲学が黙り込む地点から、
スピリチュアルや宗教がしゃべり始める。

幸福に生きよ!、
ということより以上は語りえないと思われる。
―― 草稿 1914-1916/ウィトゲンシュタイン 著
―― ウィトゲンシュタイン全集1、奥雅博 訳、1975、大修館書店

何が幸せかはさて置いて、
僕は、僕に幸せに生きてほしい。
何が幸せかは知らないけれど、
僕には、確かに、幸福と不幸がある。

幸福に生きろ、生きる、生きられる。



    

    くじるら くじる えろらる らなる らな なや

    ―― 空飛ぶくじら/大瀧詠一
    ―― 江戸門弾鉄(松本隆) 作詞、多羅尾伴内(大瀧詠一) 作曲、1972、Bellwood



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  1. 2019年04月25日 00:18 |
  2. 物語論
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僕の毎日は、事実に基づいたフィクションであり、 2/x


>しかし、幸せな結末を迎える、ってのは逆説的で、
>幸せな結末を迎えるまでは、
>僕は幸せであってはならないことになる。

自分で書いていて、自分でびっくりする。
なんてことだ、ハッピーエンドのハッピーはエンドだけで、
始まりはアンハッピーで、途中もアンハッピーのリフレインだ。

そして、なんてことだ、ハッピーエンドの後も人生は続く。
時間は、ハッピーエンドを置き去りにして流れ続ける。
つまり、エンドはエンドではなく、ハッピーで終わらない。

ハッピーエンドってのは、いわば、
アンハッピースタートの言い換えで、
そのリアルは、ひたすら、アンハッピーコンティニューであり、

なんてことだ、ハッピーエンドなんて、トリックみたいなものだ。



    190420.jpg



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2019年04月24日 00:03 |
  2. 物語論
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  4. | コメント:2

僕の毎日は、事実に基づいたフィクションであり、 1/x


ぶっちゃけ、僕は、僕に幸せに生きてほしい。
いわゆる、ハッピーエンドを生きてほしい。
ハッピーエンドってのは、主人公の僕をはじめ、
キャストのみんなが幸せな結末を迎えることをいう。
誰かの不幸の上に成り立つような、
ビターなエンディングは避けたいと思う。

しかし、幸せな結末を迎える、ってのは逆説的で、
幸せな結末を迎えるまでは、
僕は幸せであってはならないことになる。
困難を乗り越えて、逆境に打ち克って、
幸せな未来が待ち受ける地点に到達して、
その到達点をハッピーエンドと呼んでいる。

ドラマツルギーっぽく言えば、
世界は劇場で、すべての男女は演技者であり、
人は一生のうちに多くの役割を演じるが、
ハッピーエンドは、不幸せのときが出番であり、
幸せになれば、それは退場のときである。
例えば、シンデレラがハッピーエンドの物語なら、

その後日談は、必ず、再び、
不幸なシンデレラから始まるだろう。



    全世界が一つの舞台、そこでは男女を問わぬ、人間はすべて役者に過ぎない。
    それぞれ出があり、引込みあり、しかも一人一人が生涯に色々役を演じ分けるのだ。
    ―― お気に召すまま/シェイクスピア 著
    ―― 福田恒存 訳、1981、新潮文庫



    

    ―― 素晴らしき哉、人生!、予告編/フランク・キャプラ 監督
    ―― ジェームズ・ステュアート、ドナ・リード 出演、1946、Liberty Films



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  1. 2019年04月23日 00:03 |
  2. 物語論
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一夜落下雨 ―― でも、それを言われると、ちょっと困るんだ (。-`ω´-)ンー 4/4


エドガー・アラン・ポーの「盗まれた手紙」、というよりも、
それを論じたラカンの「盗まれた手紙のセミネール」というべきか。



    190414d.jpg

政敵の大臣に盗まれた手紙を、警察が極秘に捜査したが、
くまなく探しても、見つけることができない。

警視総監は、探偵のデュパンに捜索を依頼する。
デュパンは大臣に会いに官邸に行き、

居間の紙挿しに、無造作に差してあった紙片が、
その手紙であることを見抜く。

手紙は重要な秘密であり、
容易に見つからないように隠されているはずで、

誰もが隠されていることを疑わなかったから、
大臣は、あえて、紙挿しに当たりまえに差していた。



    190414b.jpg

大切なものは、隠されているわけではない。
それは、すぐそこにも見つかるもので、

こんなところにはあるはずもないような平凡な場所に、
小さくて、目立たなくて、つつましくて、

がっかりさせるくらいの素朴さで、
僕らに気づかれるのを、じっと待っている。

探し求めなくても、真実は現れているが、
でも、それを言われると、ちょっと困るんだ。

そんなのはよく言われるし、もう、使い古されていて、
もはや、そっちのほうがスタンダードになっているけれど、

そっちが正しい、そう思ってしまうことが、
逆に、正しくない可能性を示唆する、

僕なら、そんな心理の力学も働いて、
もはや、どうすればいいのかな、ラカン。

もはや、どうすればいいのかな、ポー。



    190414.jpg



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  1. 2019年04月22日 00:03 |
  2. 馬鹿
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一夜落下雨 ―― でも、それを言われると、ちょっと困るんだ (。-`ω´-)ンー 3/4


目立たない真理の尊重。
―― 厳密な方法でみいだされた小さい目立たない真理を、
形而上学的・芸術的な時代や人間に由来するような、
たのしげなまばゆい誤謬よりも高く評価するということは、
高級文化の目じるしである。
さしあたり人は、前者のような真理に対して、
こんなところには同権のものなど対抗しているはずがないとでもいうように、
唇に嘲笑をうかべる、
それほどこの真理はつつましく、素朴で、ひややかで、
それどころかちょっとみると
がっかりさせるようなぐあいに立っているっているし、
あの誤謬はうるわしく、はでやかに、酔わせるように、
それどころかおそらくは
うっとりさせるようなぐあいに立っている。
―― 人間的、あまりに人間的/ニーチェ



    171218.jpg



小さい目立たない真理は、厳密な方法で見出される。
「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。
いちばんたいせつなことは、目に見えない」
―― 星の王子さま/サン=テグジュペリ



でも、それを言われると、ちょっと困るんだ。
そんなのはよく言われるし、もう、使い古されていて、
もはや、そっちのほうがスタンダードになっているけれど、
僕には、どうしたらいいのか分からない。

どうすればいいのかな、ニーチェ。



    170826.png



    ―― 人間的、あまりに人間的/フリードリッヒ・ニーチェ 著
    ―― 池尾健一 訳、1994、ちくま学芸文庫
    ―― 星の王子さま/サン=テグジュペリ 著
    ―― 河野万里子 訳、2006、新潮文庫



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  1. 2019年04月20日 12:08 |
  2. 馬鹿
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一夜落下雨 ―― でも、それを言われると、ちょっと困るんだ (。-`ω´-)ンー 2/4


本質的には、価値に差はないが、
それらに差を見出すとしたなら、

僕たちは、難解な道元をありがたく拝読して、
平易な槇原敬之は、嘲笑を浮かべて聞き流す。

流行りの歌なんかに、道元と、
同権のものなど対抗しているはずがない。

    190414e.jpg



    

    大事なことはいつも 平凡な場所にうずくまって
    僕らに気づかれるのを じっと待ってる

    ―― うん/槇原敬之
    ―― 槇原敬之 作詞作曲、1996、Warner Music Japan



でも、それを言われると、ちょっと困るんだ。
そんなのはよく言われるし、もう、使い古されていて、

もはや、そっちのほうがスタンダードになっているけれど、
僕には、どうしたらいいのか分からない。

どうすればいいのかな、槇原。



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  1. 2019年04月19日 00:02 |
  2. 馬鹿
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一夜落下雨 ―― でも、それを言われると、ちょっと困るんだ (。-`ω´-)ンー 1/4


雪竇師翁(せつてうすおう)示衆(じしゆうに)曰(いはく)、
世尊有密語、迦葉不覆蔵。一夜落下雨、満城流水香。
<世尊密語有り、迦葉不覆蔵。一夜落下の雨、満城流水香(かん)ばし>
―― 正法眼蔵/密語

世尊有密語、迦葉不覆蔵。一夜落下雨、満城流水香。
密(ひそ)かな言葉があるが、それは隠されていない。
一夜に雨が降り、いたるところに香(かぐわ)しい流水。
なんて、下手に訳してみたりする。

天上に咲く言葉は、夜の間に密かに降る雨。
それは人知れず静かに降るが、隠されているわけではない。
朝になり、いたるところに流れる水は、花の香りに満ちている。
なんて、下手な詩にしてみたりする。



    190414c.jpg

でも、それを言われると、ちょっと困るんだ。
そんなのはよく言われるし、もう、使い古されていて、
もはや、そっちのほうがスタンダードになっているけれど、
僕には、どうしたらいいのか分からない。

どうすればいいのかな、道元。



―― 正法眼蔵 三/道元 著
―― 水野弥穂子 校注、1991、岩波文庫



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  1. 2019年04月18日 00:34 |
  2. 馬鹿
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現実を生きることは、目的を生きることである、なんてことはない


僕たちは、のっけから意味を探そうとする。
例えば、「現実」とか、「愛」とか、「幸せ」とか、「善」とか、「自分」とか、
それらの持つ意味を、闇雲に探し始める。

しかし、何が「現実」か、何が「愛」か、何が「幸せ」か、
何が「善」か、何が「自分」か、なんてのは、
「現実」や、「愛」や、「幸せ」や、「善」や、「自分」という概念を使って、

論理を展開した帰結として、何を求めているのか、
それによって答が異なってくる。
つまり、目的が先であり、意味は後づけだ。



    140821d.jpg



必要というのは、何らかの目的があるから必要になる。
必要とは、その目的の求めに応じた必要であり、
目的を外れた意味は、さしあたり必要ではない。

目的があるから、意味が決まってくる。
「現実」は単に、現に、実際に、って意味であり、
意味によって、目的が決められるわけではない。

本当の「自分」なんて言うけれど、
「自分」が嘘くさく思えるのは、本当に言いたいことが、
言葉にできず、「自分」に伝わっていないからである。

「自分」に目的を伝えていないからである。



    

    言葉にできず凍えたままで 人前ではやさしく生きていた
    しわよせで こんなふうに雑に 雨の夜にきみを抱きしめてた

    ―― Rain/秦基博
    ―― 大江千里 作詞作曲、1988、2017、EPIC/SONY、Universal Music Japan



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  1. 2019年04月16日 00:13 |
  2. 馬鹿
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現実を生きることは、利口に生きることである、なんてことはない


現実を生きることは、
なんてことに照準しようとして、
少しも焦点が合わないけれど。
        焦点が合っていないままで、
        何かを書き連ねるのも、それはそれで、
        僕は、嫌いではないけれど。

現実を生きる、それ自体は、
それ自体を問う人たちにおいて、
必要とされる問いであり、
        しかし、それ自体を問える人なんて、
        おそらく、ごく稀にしかいないと思う。
        少なくとも、それは、僕の問いではない。



    160425.jpg



現実を生きることは、なんて言いながら、
目の前に、差し迫った問題がないと、
僕は、焦点を合わせられないわけで。
        所詮は、現れてきた問題に照準することを、
        現実を見る、なんて呼んでいるわけで、
        現実を生きる、なんて呼んでいるわけで。

現実を生きる、なんてこと、
それ自体に照準しようとしても、
まだ焦点を合わせるものごとがなくて、
        まだ焦点を合わせる必要がなくて、
        そんなの、焦点が合うわけがなくて、
        だから、照準できないでいる。

現実を生きることは、なんて、
考えるほうがどうかしている。
何が、現実を生きることなのかは、
        現実を生きて、何を求めるかに依ってくる。
        ふつうは、一生に一度も考えない。
        どうしてみんなは利口に生きているのだろう。

        どうして僕は馬鹿なのだろう。



    

    ―― Love Strictly/Boys Mature Slow/大江千里
    ―― 大江千里 作曲、2013、2012、PND Records



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2019年04月14日 00:02 |
  2. 馬鹿
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