馬鹿の世界の点景になりたい。

qinggengcai

ミニは走らなきゃ


        ジョン・レノンとタオなら、
        周知の事実で、
        検索すれば、
        いくらでもヒットする。
ジョン・レノンとミニも、
どちらのファンにも、
よく知られている。
すぐに画像が手に入る。
        タオとミニには、
        与件さえ見つからない。
        検索しても、
        何も引っかからない。

立ち止まって、
途方に暮れて、
でも、道があるのなら、
走らなきゃ。
        見つからなくても、
        走らなきゃ。
        テールライトが、
        地平に揺れて、

        馬鹿の世界の点景になる。



    171118f.jpg



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年11月18日 20:24 |
  2. ミニ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ミニでいいのだ


    171118a.gif

    ジョン・レノン、
    といえば、老荘。
    He who strikes with a sharp point、
    鋭いつっこみは、危険がいっぱい。



    171118b.jpg

    老子を読むジョン・レノンは、
    ちょっと恥ずかしい。
    どこか、この御仁に似ている。
    うまくは言い表せないけれど。

    171118c.gif

    そういえば、この御仁も言っていた。
    賛成の反対なのだ。
    I think, er No, I mean, er Yes but it's all wrong.
    これでいいのだ。



    171118d.jpg

    サイケなミニだ。
    僕とは違う。
    似ていることは、違うこと。
    相似は、差異を際立たせる。



    171118e.jpg

    No one I think is in my tree,
    I mean it must be high or low.
    That is you can't you know tune in but it's all right.
    That is I think it's not too bad.

    それは悪いことではない。
    違うことも、ひいては、似ていることも。



    ―― Strawberry Fields Forever/The Beatles
    ―― John Lennon 作詞、Paul McCartney 作曲、
    ―― 1967、Parlophone



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年11月18日 12:17 |
  2. ミニ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ミニは樸


老荘に、「樸(あらき)」って喩えがある。
「樸」は、人為が加わっていない、
切り出したばかりの木。

本来の素朴さを備えている「樸」には、
生来の力がある、と説明されるが、
そんなのは、同語反復のような気がする。

そうではなく、加工することで失われる何か。
意味が書き込まれることで、
見失ってしまう意味。

ミニが生産されたのは、1959年。
デザインは、設計者のアレック・イシゴニスが、
酒を飲みながら、紙ナプキンにスケッチした。

僕たちは、言葉をつかみ取るたびに、
ものごととの結びつきが解(ほど)けてしまう。
例えば、クルマが電化製品になるためには、

きっと、僕たちは、
何度もさよならを言わなければならない。



    171117.jpg



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年11月17日 12:17 |
  2. ミニ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ミニが好き


優劣とか、
勝ち負けを言えば、
        今どきの、どんなクルマと比べても、
        ミニが優れているところなんて何もない。

理由を明かせない、
根拠を示せない、それは、
        二項対立ではないような位相を入れて、
        言葉に表現することの困難さ。

理由がなくても、
好き、と言われるのなら、きっと、
        それが、愛されるクルマ。
        劣っていても、

        負けていても。



    171116.jpg



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年11月16日 21:04 |
  2. ミニ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

No one I think is in my tree, 3/3


往々にして、
そんなことを考えない人からは、
そんなことを考えて何になるのか、
と問われるようなことを、
僕は考えているらしい。

そんなことを考えても、
何にもならない、と考えるか、
そんなことを考えれば、
何かになるのかもしれない、と考えるかの、
違いだけかもしれない。

そんなことを考えて何になるのかは、
考えてみなければ分からない。
だから、そんなことを考える人も、
そんなことを考えない人も、
問いを同じくしている。

そんなことを考えて何になるのか。



そんなことを考えて何になるのか、
という問いには、
そんなことを考えても何にもならない、
という評価が潜在している。
ありていに言えば、

そんなことを考えて何の得があるのか。



そんなことを考える時間は、
無為に浪費された時間であり、
時間は、有為に使われなければならない。
そんな立派な意見を、逆に言えば、
有為とは、時間に制約された、

常に移り変わるもの。



では、無為とは、
時間から離れた、常なるもの。
一時の、損得や、勝ち負けや、善悪や、
二項対立ではないような位相を入れて、
言葉に表現する営為。

それが、自分の樹を立てる、ということ。



僕の樹には、僕のほかに、
誰もいないみたいだ。
そう言い得るためには、
みんなが立てた樹への理解が前提で、
その樹を切り倒して立てなければならない。

極めて常識的であると共に、
極めて非常識でなければならず、
自らが常識的であるゆえに、
非常識への転倒は容易ではない。
常に、常識的な問いが待ち受ける。

そんなことを考えて何になるのか。



    

今子有大樹、患其無用、
何不樹之於無何有之鄉、廣莫之野、
彷徨乎無為其側、逍遙乎寢臥其下。
不夭斤斧、物無害者、
無所可用、安所困苦哉!

―― 莊子/内篇、逍遙遊第一



君は、大きな樹を手にしていて、
でも、その無用さを嘆いている。
だったら、その樹を無何有(むかう)の郷(さと)の、
広漠な野に植えて、その樹の周りを彷徨(さまよ)って、
無為に過ごしてみたり、

その樹の下を散歩したり、
なんなら、昼寝でもしてみよう。
斧で切られても、失くすことはないし、
盗まれることもない。
それとも、その樹が無用ということで、

何か困ることがあるとでも。



    ―― Strawberry Fields Forever/The Beatles
    ―― John Lennon 作詞、Paul McCartney 作曲、
    ―― 1967、Parlophone



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年11月16日 12:47 |
  2. 荘子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

I mean it must be high or low.


        他の誰かからのメッセージが僕に届いても、
        僕の思考の枠組みに収まってしまうのなら、
        僕は誰とも出会えない。
そんなのは、自分と出会っていることに過ぎない。
みんなには、高すぎるか低すぎるのだろう、
なんてのは、自分の視点を固定しているだけ。

        一人よがりなら、Yes ってのは、Yes でいい。
        高いか低いかは知らないけれど、
        自分の中に他人を内面化させて、
その他人が異議を唱えているから、
No ってのは、Yes のことで、
Yes ってのは、No のことになる。

        君も僕に合わせることはできない。
        それは悪いことではない。
        僕の樹は、僕が他人と呼べるような他人には、

        必ず、高すぎるか低すぎる。



    



    ―― Strawberry Fields Forever/The Beatles
    ―― John Lennon 作詞、Paul McCartney 作曲、
    ―― 1967、Parlophone



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年11月13日 20:21 |
  2. 荘子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

I think, er No, I mean, er Yes but it's all wrong.


        老荘に、「樸(あらき)」って喩えがある。
        「樸」は、人為が加わっていない、
        切り出したばかりの木。
        本来の素朴さを備えている「樸」には、
        生来の力がある、という。
虚飾を排して、ありのままでいい、
なんて端折りたくなるけれど、
さらに、荘子は、未開の人たちに、
「素樸(そぼく)」という言葉を当てている。
自然に帰れ、ということか。
        ルソーのそれなら、
        帰れるものなら、帰ってみろ、
        くらいの意味だから、ぜんぜん違うけれど、
        そのぜんぜん違う意味において、
        僕は、ルソーに同意する。

意図して素朴に帰った素朴なんて、
どこが素朴なのだろう。
ありのままでいい、
なんて思えないことが、
ありのままのときもある。
        僕たちの便利さが、
        どんなに狂った便利さでも、
        一度は手に入れた便利さなら、
        自分から切り離して、
        否定することはできない。
僕の「樸」は、素朴ではないから、
No ってのは、Yes のことで、
って考えている。
素朴、なんて文字列を、
ネットに書き込んでいる僕には、
        素朴なんて知らないことが、
        僕の「樸」で、ありのままになる。
        でも、それはまったく間違っていて、
        納得できない、って考えている。
        僕たちは、素朴なんて無理ってことが、

        無為で自然になるような、
        原罪を背負っている。



    



    ―― Strawberry Fields Forever/The Beatles
    ―― John Lennon 作詞、Paul McCartney 作曲、
    ―― 1967、Parlophone



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年11月12日 12:04 |
  2. 荘子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

No one I think is in my tree, 2/3


僕の樹では、
他人によって作られた僕が、
他人を妄想しているらしい。
なんだか、僕は不確かで、
他人のほうが、余程、
確かな気がしてくる。

        自分と他人なら、
        自分は必ず遅い。
        僕が出来上がってくる前から、
        僕には、すでに他人がいて、
        僕は、他人に遅れて、
        この世界に生まれた。
風が吹いたり、雨が降ったり、
朝には明るくなって、
夜には暗くなって、
僕には、すでに自然があって、
僕は、自然に遅れて、
この世界に生まれた。
        だから、僕が生まれなくても、
        世界はそれ自体として、
        存在したと思う。
        僕が生まれたから、
        そう思えるようになった、
        と言うこともできるけれど。

他人も、自然も、
自分から区別して、
樹から降ろしてしまうことが、
できるのだろうか。
他人と関わらなければ、
人は他人の中に自分を配せない。
        自然と関わらなければ、
        人は自然の中に自分を置けない。
        世界と関わることで、
        世界と自分が同時に生まれる。
        僕の樹には、僕のほかに、
        誰もいないみたいだ。

        でも、それはまったく間違っていて、
        納得できない、って考えている。



    



    ―― Strawberry Fields Forever/The Beatles
    ―― John Lennon 作詞、Paul McCartney 作曲、
    ―― 1967、Parlophone



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年11月11日 21:07 |
  2. 荘子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

'cause I'm going to Strawberry Fields.


        では、僕の樹には、
        僕はいるのか、いないのか。
        そんなことを考える人はいない。
        そんなことは、頭のいい人なら、
        一生に一度も考えない。

仕事をしているときは、
僕は、計算高さと、
駆け引きの巧みさを、
頭がいいと呼んでいる。
僕は、ずいぶん頭が悪い。
        僕は、頭がいいと呼ばれることを、
        考えるのが苦手で、
        頭が悪いと呼ばれることを、
        考えるのが得意だから、
        どうしたって、頭が悪い。
頭がいい人は、
頭が悪いと呼ばれることについては、
考えることを知らない。
考え方も分からないから、
どうしたって、頭がいい。

        人がいい、などと、半笑いで、
        言われることはある。
        それは、遠回しに、
        頭が悪いと言っている。
        とても正しくて、同意する。
何の言い訳もしない。
僕が、毎日、考えれば、
僕は、毎日、頭が悪い。
来る日も来る日も、頭が悪い。
日ごとに頭が悪くなる。

        今夜も、頭を悪くしてみる。
        ついてきてくれないかな、
        今から行くんだ、
        イチゴがたくさん、
        生(な)っている場所に。

        ストロベリー・フィールズで、
        いつまでも過ごそう。



    



    ―― Strawberry Fields Forever/The Beatles
    ―― John Lennon 作詞、Paul McCartney 作曲、
    ―― 1967、Parlophone



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年11月10日 22:41 |
  2. 荘子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

No one I think is in my tree, 1/3


        No one 、誰もいない、
        I think 、って思っている、
        is in my tree 、僕の樹には。
        では、僕の樹には、
        僕はいるのか、いないのか。

僕の樹には、
誰もいないみたいだ、
僕のほかには。
目に映ったものは、
すべて、僕の夢になるから。
        すべては、言葉によって、
        妄想しているだけ。
        他人なんて、手さぐりで、
        妄想する以外には、
        僕には関わることができない。

僕の樹には、
誰もいないみたいだ、
僕も含めて。
僕の中にいるものは、
すべてが他人だから。
        僕を作っているものは、
        両親や、学校で出会った人たちや、
        テレビやラジオや、
        本や映画や音楽や、
        イチゴの甘さや酸っぱさや、
あの子やこの子や、
あいつやこいつや、
エロい動画や、
エロくない動画や、
僕は、あまりにも多くの、
        他人の寄せ集めだから、
        僕は、どんな人にもなれそうで、
        でも、どんな人にもなれないでいる。
        僕は、誰でもあり、
        僕は、誰でもない。

        時々、ではなくて、いつも、
        それが僕だと思っている。



    



    ―― Strawberry Fields Forever/The Beatles
    ―― John Lennon 作詞、Paul McCartney 作曲、
    ―― 1967、Parlophone



テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017年11月09日 21:08 |
  2. 荘子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0